渡辺 尚志編『幕末維新期萩藩村落社会の変動
評者:三宅 紹宣
掲載誌:日本歴史660(2003.5)


 本書は、萩藩の幕末維新期の村落について、豪農の経営分析や村落運営、その歴史像、あるいは綿織物生産の解明を行ったものである。本書によって、幕末期萩藩の経済発展度について、「高度に発展」とか、「中間」とか、もっぱら形容詞によって評価するレベルにとどまつていたのを、経営分析の深みにおいて議論できる地点に到達できたことの意義は大きい。

 また、維新政治史とのかかわりでは、萩藩豪農が諸隊を支持したのか否かは、維新の評価にも関連する重要な論点であるが、本書は、豪農の諸隊支持の傾向を明らかにしており、大きな成果といえよう。これらの点は、最後に総括することにして、まず、各章の論文について紹介しよう。

 第一章「萩藩小郡宰判の木綿問屋と綿屋」(森下徹)は、小郡宰判における綿織物業について、中小の綿屋に視点を据えてとらえなおそうとしたものである。

 分析の結果、川西南部地区の中小絹屋の大量の存在と、安価な木綿として九州市場へ直接販売していた事実を解明している。従来の木綿問屋による大吸市場への売捌き以外のルートを明らかにした点は貴重な成果である。しかし、中小綿屋の生産を安価な木綿市場をめざしたものと高く評価しているが、田中屋善蔵によれば、幅尺不足のため大坂では売捌けないことが九州に市場を求めざるをえない原因であり、また、竹下安左衛門によれば、広幅の箴への改良は、新箴を買替えることができない小身の者によって生産が行われているため困難だとしており、過大評価であろう。

 また、綿織物の大量生産や販売綿の事例があることから綿替制であるとの評価を批判しているが、綿替制は生産システムのことであり、それを否定すると次の出機制の段階を想定することになる。しかし、幕末の小郡宰判は高機導入以前の地機の段階であり、織機は各農家の婦人が所有しており、出機制を想定するのは無理であろう。

 第二章「幕末・明治初年における豪農の小作地経営と小作人の存在形態−小郡宰判岐波村部坂家の事例−」(尾川弘)は、小作地経営の分析を中心とした部坂家の経営分析である。

 分析の結果、農業企業家的な経営に専心していた姿と、小作人に村して細かな配慮が成されていたことを明らかにしている。手堅い実証分析で説得力に富んでいる。また、政治過程への見通しについて、部坂家が諸隊支援にかかわっていたとの指摘も興味深い。

 なお、手作地の年貢米は、小作人に納入させるシステムであったことは、部坂家を含めて豪農層は俵ごしらえや年貢納入チェックの厳しさを実感しにくい状況にあったと考えられ、この点の意識の階層差の解明も課題となるであろう。

 第三章「幕末期小郡宰判における豪農経営とその特質−大道村上田家の地主経営と酒造業の分析を中心に−」(木部和昭)は、上田家の経営分析であり、六〇町歩地主として部坂家や林家とは一線を画する存在であった姿を鮮やかに描き出している。

 とりわけ上田家の複雑きわまりない帳簿を見事に解析している手法は圧巻である。さらに酒造業と米穀の問題についても論及して、地域社会との矛盾と救済の面も考察している。これから豪農の類型化を進めていく上で貴重な成果が切り開かれたといえよう。なお、上田家は、諸隊寄りであったこの指摘は重要である。

 第四章「幕末期における大庄屋林家の農業経営−天保一二年〜弘化四年「当座差引帳」の分析を中心として−」(尾川弘)は、林家の経営分析であり、手作地の経営は、農業技術の向上に意を注ぎつつ、四人の年季奉公人などによって営まれていたこと、小作地経営は高額小作料であったことを明らかにしている。

 維新史研究の上で重要な位置を占めてきた林家の経営内容が解明された意義は大きい。なお、研究史との論点でいえば、林が百姓一揆を家丁いる位置に立っていたのか否かを見究めることが課題であり、このことは政治的側面の分析とあわせて総合的に進める必要があろう。

 第五章「近世後期萩藩村落の庄屋元足役貫の算用と農村支配−小郡宰判上中郷を事例として−」(又野誠)は、村入用のうち、庄屋を中心として村落内で運用される部分の実態と推移を分析したものである。

 とりわけ、天保二年一揆前と後の庄屋元足役貫の算用構造を微細に明らかにすることにより、村役人層は、村落運営に不可欠の費用については、藩にその確保を認めさせたことを明らかにしている。また、その運営とかかわって、村役人層が行政能力を獲得していっている点も指摘している。村落運営が実態レベルで徹底して詳細に解明された意義は大である。

 第六章「歴史像はいかにつくられたか−地域指導者林勇蔵の明治維新−」(渡辺尚志)は、林勇蔵について、明治一〇〜二〇年代において、明治維新がいかに認識されたかを明らかにし、再構成された歴史像から幕末維新像をさぐろうとするものである。

 内容は、椹野川治水工事と野田神社の資本金充実を分析し、その実現をめざす中で維新の歴史像が作り上げられていることを明らかにしている。本章では、明治維新研究史にかかわって、元治元年の林勇蔵の諸隊支持の意識を指摘している点は重要である。根拠として、『林勇蔵日記』は、大庄屋としての公務日誌であり、自らの内心の思いをそこで吐露するとは考えにくいとしている。

 評者も、『林勇蔵日記』は、九月起筆、翌年八月終筆の書式からみて役務日誌であり、保守派政権下で諸隊鎮静令が出ている状況で真情を書くのは困難と考えている。第一次史料だから正しいのではなく、第一次史料だからこそ慎重な史料吟味が必要であることを改めて認識させられる。

 最後に、はじめに提起した二つの論点について総括しておこう。

 本書によって幕末期萩藩の経済発展度のレベルが詳細に解明された。その実像は、豪農の経営発展の努力と地域社会の安定を志向する姿を明らかにするもので貴重な成果といえよう。これを明治維新の研究史に位置づけてみると、要はブルジョア的発展の把握・吸収として綻新を理解でさるか否かという議論にどう応えるかということであろう。

 本書は、この議論に立入ることには禁欲的であるが、あえて評者の印象を述べれば、本書が明らかにした発展レベルでは、たとえば豪農層が小ブルジョア的発展を遂げ、百姓一揆を率いて政治権力に対抗していくことを想定するのは無理ではないかと考えられる。むしろそのことが確認できたのが、本書の維新研究史上の大きな意義だともいえよう。

 また、豪農層の諸隊支持について、その動向の存在を解明したことは貴重である。このことによって、討幕への政治過程が豪農層を含むものであったことが明らかになった。今後は、この事実の上に立脚した維新政治史を組み立てることが課題となってこよう。

 以上、本書の精緻な分析について充分な紹介を行いえなかったが、村落史、経営史商品生産あるいは歴史像分析など、各分野においても新たな知見を開拓しており、本書を出発点として、研究がさらに深まつていくことを期待したい。
(みやけ・つぐのぶ 広島大学大学院教育学研究科教授)


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