浦井祥子著『江戸の時刻と時の鐘
評者:小沢詠美子
掲載誌:日本歴史660(2003.5))


 本書は、江戸時代に使われていた時刻の体系と、当時総城下町であった江戸に設置されていた時の鐘について、総括的な検証を行った初めての論集である。まず、以下に本書の構成を示すこととする。

 (省略)

 さて、第一章ではこれまで実証がなされていなかった時の鐘の設置場所について、史料を詳細に分析し、確定することに成功している。研究の結果、従来日本橋本石町など九か所とされていた時の鐘の設置が、実際には時期によって変化しており、それ以外に目黒祐天寺など数か所に設置され、時の鐘が江戸にとって重要な施設であったことを明らかにした。希有な史料を丹念に発掘されたその研究姿勢は、大きく評価されるべきであろう。

 しかし時の鐘は、明治維新以後苦境に立たされることとなる。神仏分離令によって神社内から梵鐘が撤去され、市ケ谷八幡の時の鐘までもその対象となった。一方、太陽暦導入により、それまでの不定時報が改訂されてしまう。さらに時計の普及や、騒音の増大といった現象もあらわれてくる。こうした時代の流れの中で、役割を終えていった時の鐘の末路が丁寧に論じられており、東京の近代化の一面を議論する上でも、たいへん興味深い。

 第二章では、時の鐘についてこれまで一般にいわれていた「町人主体の管理・運営」という認識を覆し、設置、繰り返し行われていた修復や新規普請、維持、鐘撞人の監督に至るまで、すべて幕府統括の下で執行されていたという事実が明らかにされている。さらに、運営費用である鐘撞銭の徴収にまで、幕府の関与があったことも指摘されており、江戸における時の鐘の存在意義が、他の都市とは異なるものであったことがよく理解できる。

 そして、時の鐘の設置決定後に行われる鐘撞所普請の入札、普請入用の内訳、資金の出所や鐘撞銭の動向など、これまで明らかにされていなかった普請の実態が、具体的かつ明快に整理されている。中でも興味深いことは、鐘撞人は世襲制をとる一方で、株も存在していたという指摘である。現段階ではその詳細はまだ未解明であるというが、今後さらなる研究成果が待たれるところである。

 なお、本章に関しては、鐘撞銭が使用料であったのか、税であったのか、より明確な定義があってもよかったように感じた。いずれにせよ、本章で扱われたような問題には、まださまざまな分析視点が残されている。詳細な普請費用の分析や、鐘撞銭と銭相場との関係、株の経済的意味なども含めて、今後、研究の進展に期待したい。

 そして第三章では、時の鐘の撞き方には誤差防止のための工夫がなされており、従来いわれているように不正確なものではなかったと指摘する。また、時の鐘が夜間にも撞かれていたことが明らかにされているが、これは時刻報知が単に生活上必要だったということだけではなく、時刻の管理は幕府権威を誇示する行為のひとつであったことがわかる。

 その一方で、時刻の認知方法は必ずしも統一されておらず、驚くべきことに幕府の中でも混乱が生じていたという。さらに筆者は、現代の我々が史料を読む際、そこに記されている時刻の標記についても、慎重に検討すべきであると警鐘を鳴らしている。これは肝に銘じるべきことと、改めて気づかされた。

 そして本書全体を通して筆者が強調しているのは、やはり幕府の置かれていた江戸の特殊性である。幕府は権威の象徴として「時」を支配しており、その意味でも時の鐘の研究は、江戸という都市空間を分析する上で、非常に重要であると実感した。

 以上のように、本書は近世の江戸を中心に論述されてはいるが、時間・時刻の問題は、民俗学や社会学、古代史・中世史または近代・近現代史研究においても、非常に重要なテーマとなっている。また近年、「スローライフ」をキーワードとする生活時間の観念を問い直す試みも活発に論議されており、そうした観点からも、本書はさまざまな領域の研究に、多くの示唆を与えているといえよう。日本近世史を研究されている方はもちろん、それ以外の領域に興味をお持ちの方々にも、ぜひご一読をお勧めしたい。

 ところで、本書は著者の博士論文をまとめたものである。実をいえば、評者は著者本人から、本書はあくまでも中間報告です、というコメントをじかに承っている。確かに、博論という性格だけでなく、研究史の蓄積も少なく、基本的な事実確認をする必要もあり、本書は概説的な印象も否めない。しかし、まだまだ研究は始まったばかり、著者は現在も疑問と格闘し、調査に燃えているようである。今後、さらなる個性的な研究の発展が、十分期待できよう。
(おざわ・えみこ 神戸大学大学院経済学研究科助教授)


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