根本 誠二・宮城 洋一郎編『奈良仏教の地方的展開
評者:三舟 隆之
掲載誌:日本歴史659(2003.4)


 本書の刊行の目的は、編者根本誠二氏によれば、文部科学省科学研究費補助金基盤研究の「奈良仏教の地方的展開」を、成果報告書の拡大版の意味を込めてまとめたものであるという。『日本霊異記』を中心として、奈良仏教の地方的展開に文学・民俗学・美術史などからアプローチし、とかく権力論に傾きがちな奈良仏教史の研究に、地方的な展開の中で信仰内容を重視する視点を獲得しようと試みたものである。

 本書は七本の論文と「奈良仏教研究文献目録」からなる。

 まず@北条勝貴氏「東晋期中国江南における(神仏習合)−日中事例比較の前提として−」では、日本の神仏習合が日本独自のものなのか、中国の影響を受けて成立したものなのかという研究史上の争点を明らかにした上で、東晋期中国江南仏教の展開の中に日本の原型となる寸物集合言説の成立を考察する。神身離脱と護法善神が同質のものであるか否かの問題は残るが、最近の研究動向を踏まえて日中の事例を比較していくことは、今後の仏教史研究では重要であろう。

 次にA御子柴大介氏「天武朝の仏教政策についての覚書」は、天武朝を天皇中心のビラミッド型の支配体制である中央集権体制の確立期と位置づけ、天武天皇が「大寺制」の制定を中心に寺格制度を成立させ、その仏教重視の政策の中で地方豪族が天武政権の傘下に入るため、当該時期を中心に地方寺院が造営されるとする。天武朝は確かに古代国家成立期でさまざまな面で重要であろうが、考古学的見地からは、地方寺院が天武朝以前の七世紀第3四半期から造営が開始されている点をどう説明するかが課題となろう。

 B宮城洋一郎氏「『日本霊異記』下巻第四緑の一考察」は、下級官人が陸奥国に赴任する際に借金をしていた義父を殺害するという内容で、従来から律令制度の家族制度の歪みが問題とされてさた。この説話は中国の『冥報記』との関連が指摘されているが、宮城氏は陸奥国府であった多賀城の構造などから陸奥への海上ルートの存在を指摘し、その内容が現実社会に起こりうるものであったとする。このような『霊異記』の実証的考察の手法は、今後の研究方法として重要な提起を行っているのではなかろろうか。

 C長谷部将司氏「律令制下における毛野氏の変遷−東北地方への仏教布教の一側面−」は、とくに上毛野氏・下毛野氏の氏族的考察を行い、『霊異記』に登場する「下毛野寺(下野寺)」「広達(下毛野朝臣)」から下毛野氏の仏教信仰の厚さを考察し、さらに下毛野氏の東北経営と結合させて、東北地方への仏教布教の背景に下毛野氏の存在を指摘する。しかし東北地方への仏教布教はすでに七世紀後半には行われており、東北地方への仏教布教の時期やその支援氏族として朝廷貴族でもある下毛野氏の仏教的関連については、さらに検討が必要であるかと思う。今後を期待したい。

 D根本誠二氏「行基と薬師信仰」は、行基の母の出自が「蜂田薬師古」であるところから行基と薬師信仰との関係を指摘し、民俗学的手法から全国の行基伝説を採り上げる。国家的信仰であった薬師信仰を、民衆救済の宗教として転化させたのが行基であると位置づける。しかし江戸時代の縁起を史料批判もせずに利用し、それを奈良仏教が階層的にも地域的にも広がりを見せるようになったという結論は、支持を得ることができるであろうか。

 E木村衡氏「東国における仏教関連遺跡−様相と予察−」は、最近発掘調査で発見されることの多い「村落内寺院」をとりあげ、その中でとくに集落遺跡から出土する奈良三彩小壺が仏教と関係し、それらの出土遺跡が仏教関連遺跡と性格づける。視点はおもしろいが、三彩小壺が仏教と関係する遺物であるのか、さらなる検討が必要であるし、また東国と北陸地方の出土状況の違いをどのように克服するか、が今後の課題となろう。

 Eサムエル・C・モース氏「The Hosoo School and Image-Making In Ninth Century Japan」は、日本の仏像が木像に変化する理由を民衆宗教の広がりに求め、最澄や空海だけでなく民衆宗教研究の重要性を説く。彫刻という芸術、とくに仏像造像の宗教的意義に注目するのは、国家仏教一辺倒の仏教史観から離れるためにも必要であろう。このような視点からの研究が少ないだけに、日本美術史からのアプローチは今後期待される。

 以上の各論の要点を述べたが、奈良仏教史の研究は律令体制下の僧尼の統制と保護や、国家仏教の性質とそれを推進した天皇・貴族層の研究が中心であり、地方仏教の研究もややもすれば国分寺研究に傾く嫌いがあった中で、本書のような研究目的は評価されるに値する。木村氏のような地道な考古学資料の蓄積や北条氏のような日中事例の比較、また宮城氏のように『日本霊異記』を素材としたあたらしい研究を試みようとする姿勢も高く評価できる。文学・考古学・民俗学などの多様なアプローチから本題に迫ろうとした方法も、今後の『霊異記』研究には必要となるであろう。

 しかし、そのために全体として見ると、まだ個別研究の集成の域を出ておらず、本来目的とした「奈良仏教の地方的展開」の全体像は見えてきていないと言わざるを得ないが、今後この研究を継続していくことによって、次第にその像が明らかになっていくと思われる。

 ただあえて注文をつけるならば、巻末の「奈良仏教研究文献目録」は便利で大変参考になり、ありがたいもので必要ではあるが、そのスペースの多さが論文集としての本書の価値を下げているような気がしてならない。それだけ奈良仏教史の研究の蓄積が多いことを示しているが、取捨選択も必要なのではなかろうか。

 各論文の主旨をはたして正しく理解できているのか疑問であり、失礼の段数々ある点は、評者の未熟ゆえご容赦願いたい。編者の根本氏の言にあるように、「試み」は一回で終わることなく、ぜひ今後も継続させていただきたいと願っている。
(みふね・たかゆき 明治大学兼任講師)


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