橋本 政良編著『環境歴史学の視座』
評者:亀谷 弘明
掲載誌:日本歴史659(2003.4)


 現代社会に生きるわれわれの生活環境は、環境ホルモンの問題や地球温暖化の問題など、ますます悪化してきている。報道番組等で見開した話で恐縮だが、太平洋上にある小さな島嶼国には、このまま地球温暖化が進めば数年後には国ごと水没してしまうものもあるという。また、昨年中国の長江流域で大洪水が発生し膨大な被害がでたが、上流部の森林がなくなったためだという。だが、それらはもはや一部の国だけの問題ではなく地球規模の問題であり、宇宙船地球号の一員としてのわれわれ個々人に否応なしに関わる問題である。

 近年、考古学のみならず、日本史の分野でも特に中世史研究者を中心としていわゆる環境史の専論も多く発表され、学術雑誌等でも環境史の特集がいくつか組まれている。その中で、本書は近世史の論文一本も含むが、古代史側から環境に関わるテーマに正面から取り組んだ書である。本書は編著者橋本政良氏による序章、第五章も含めた七論考からなる論文集の体裁をとる。

 橋本政良「序章 環境歴史学の可能性」では、まず、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』による人類への警告以降約四〇年間における地球上の環境問題の状況とその問題に正面から向き合った諸著作についてわかりやすく紹介する。さらに、日本の例についても言及する。その上で「科学的成果に端を発して社会的に活用され、経済的効果を求める行為は、近代文明の顕現形態であり、近代的行動様式そのものである。そこからひさおこされる公害・環境問題は、社会的に生み出される文化的問題以外の何物でもない」(一〇頁)とする。そこで、環境問題に取り組む場合、文化的視点からの研究も有効とする。

 環境問題を歴史的に研究する立場の学問には、環境史・環境史学・環境歴史学などがあるが、特に橋本氏は環境歴史学と環境史との差異について、環境歴史学は歴史的環境の保護に、より重点を置くものであるとする。そして、「環境歴史学は、人頚が出現して以来の生活の場とそれをとりまく自然の総体を、歴史的環境ととらえ、先祖が自然に働きかけて築き上げてきた歴史的環境を、健全な形で子孫に受け渡していくために、歴史学の果たすべき役割を探求していく学問である」(一八〜一九頁)と定義する。そして、文化財や歴史的環境の保護を重要な仕事としている。さらに、環境歴史学の方法のひとつに過去の事物の現代的意義を問うという意味での「間時代学」という名称の使用も提唱している。

 以下、各章について紹介していきたい。

 まず、大橋信弥「第三章 琵琶湖に生きる−水位変動と古代人の生活環境−」は、主として縄文時代の粟津湖底遺跡、弥生時代の大中の湖南遺跡などの湖底遺跡の調査例をもとに、琵琶湖に生さた人々の生活と環境変化について描く。琵琶湖の水位は、大まかにいえば縄文時代以来上昇傾向にあり、平安時代末から鎌倉時代初期にかけてかなりの水位上昇があったが、その漸次的上昇傾向の他に琵琶湖周辺のいくつかの活断層による大規模地震により水位が急激に上昇し湖底遺跡が形成される場合もあったという。

 弥生時代の大中の湖南遺跡が中期中ころに廃絶した原因は、大規模な活断層による地震で琵琶湖の水位が急激に上昇したことによるらしい。なお、東大寺領近江国犬上郡覇流庄についてもとりあげている。

 福原栄太郎「第二章 再び天平九年の疫病流行とその影響について」は、天平九年の疫病流行による人口の大幅な減少が郷里制を廃止に追い込んだとする見解の再論。まず、天平九年の各国正税帳わ検討から疫病の痕跡を抽出し、疫病が全国的規模であり、中央貴族のみならず地方においても人的・経済的被害が大きく、地方行政に支障をきたしたとする。次に疫病による人口の減少率を正税帳の出挙稲の免稲率により検討。さらに、天平一〇年の巡察使の報告と郷里制の廃止との関わりを解く。従来の政治史・政策史から郷里制廃止をとらえる見解に対し、環境史を踏まえた見解として注目される。ただ、疫病のための大幅な人口減少による集落・共同体への具体的な影響については出挙稲の免稲率等で述べられているが、その影響が一時的なものか長期的なものか不明で、直接的に郷里制の廃止に つながったか検討の余地がある。

渡部育子「第三章 律令国家の辺境政策と環境−出羽国を中心に−」は、出羽国を中心に東北北部の自然環境および人々の生活と律令国家の政策との相互関係について「人」を基軸として考察する。そして、人間の生活と自然環境とのかかわりあいには国家権力によつて人為的に形成された面も少なくなく、城柵経営において「柵戸移住をともなう開発による稲作農業地域の拡大は、より安定した農業経営を可能にした面がある一方、凶作のときの食糧不足、餓死に拍車をかけることにもなった」(二四頁)との指摘は従来の稲作中心史観に一石を投じ、環境史としても重要な指摘といえよう。

 安田政彦「第四章 平安京の臭い−排泄臭・屍臭をめぐって−」は、平安京の日常の臭いについては記録にとどめられることはなく、明らかにすることは難しいとしながらも、比較的史料のある排泄や死の臭いについて十、十一世紀を中心に描く。「一 平安京の排泄臭」ではまず、貴族・庶民のトイレ事情について述べ、貴族の邸宅内から「汚穢」(排泄物)が流し出され、日常的に庶民が路傍・側溝に排泄していたらしく、平安京中とはいわないまでも、場所によってはかなり臭ったのではないかとする。「二 災害と死体・屍臭」、「三   散在する死体と屍臭」では詳細なデータにより、日常的とはいえないまでも、平安京にはかなりの頻度で死体が散在し、それから発する屍臭を嗅ぐ機会も頻繁にあったとする。ただ、「四 記録にみえるかおり」で述べているように、当時の記録では「悪臭」よりも良い香りの方が目につくという。本章は人口の集中する平安京の公害という観点でも興味深いが、抗菌グッズが流行する一方、「汚ギャル」なるものも存在する嗅覚、衛生観念の混乱した現代に生きるわれわれには、逆に古代の臭いの観点は新鮮である。

 橋本政良「第五草 書写山円教寺の歴史と環境−信仰の霊場・憩いの山−」は兵庫県姫路市の市街地北方に所在する書写山円教寺を例に、環境歴史学的考察を試みている。本章では平安中期に成立した書写山円教寺が中世、近世、近代の各時代に紆余曲折を経て現在まで維持されてきた点に注目する。そして、書写山の清澄な環境は「長年、宗教的聖域として維持されてきたことが、自然環境の保護につながっていた」とする。この書写山は市民の憩いの場でもあるが、大学生などの歴史教育においても、良好な学習の場であるとする。

 新谷正道「第六奉 安藤昌益における環境思想をめぐって」は、近年エコロジー思想の側面から再評価されている安藤昌益の特異な自然哲学、環境思想の特質について検討している。昌益の五行《四行》に基づく運気論や穀物の生育に関与する天地や人間の直耕論が、自然環境の中での生態的な調和論を踏まえたものであり、血縁的な人倫論がもつ生命の一体観や、食物と、それを食性とする動物や人間の生態論が環境思想としてもつ意義を究明している。

 本書は古代史研究者を中心として、「環境歴史学」の提唱と、その実践を目指した書である。本書の各論文では、例えば大橋論文で琵琶湖の水位上昇という急激な環境変化と、それに対応する人々のたくましい生きざまが垣間見られたし、福原論文の郷里制廃止に関する環境史からの斬新な見解もあり、本書は古代史を環境論、環境史から解いたキレのよい各論文から構成される。そして、従来、評者も含めた古代史研究者が自身の学問の現代的課題を自問自答してきたが明確な答えを見い出せなかったのに対して、序章で橋本氏は、「間時代学」という概念をもち出されて各時代の歴史学が現代的課題に向き合うよう呼びかける。古代史を専攻する評者としても橋本氏の提起に大変勇気づけられた。

 ただし、序章で編著者橋本氏の提起された環境歴史学の仕事のひとつである文化財の保全については、各論文でもう少し強調しても良かったのではないか。近年、圃場整備や宅地化等により、全国の条里制遺構や棚田などは壊滅的状態にある。また、産業廃乗物やゴミが「地方」に押しつけられ、歴史的環境も掲なわれつつある。

 橋本氏が第五章でとりあげた書写山の例は長い歴史の間、そして、厳しい現状で文化財や自然環境が希有に保全された例といえるだろう。われわれは、常にわかりやすい歴史学を目指しつつ、市民参加の環境歴史学を目指していきたい。
(かめたに・ひろあき 駒沢大学非常勤講師)


詳細へ 注文へ 戻る