吉川 祐子著『遠野昔話の民俗誌的研究』
評者:米屋 陽一
掲載誌:国学院雑誌104-2(2003.2)


 『遠野物語』は一九一〇(明治四十三)年に三百五十部限定出版された。それから九十余年。柳田国男の著作の中でもっとも多く読まれているに違いない。地名を冠した著作の中で「遠野」はもっとも多くの人を引き寄せているに違いない。その遠野には、『遠野物語』の毛筆の原本(初稿本)、ペン書きの再稿本、校本の三種類が揃っている。「'92世界民話博IN遠野」が開催されたとき、著者は学術専門委員として実行委員会を支えた。それから十年がたった。この時間の流れの中で『遠野物語』あるいは「遠野」を巡って実に多くの議論がなされてきた。イベントも年中無休の状態で開催されてきた。それらをつぶさにみてきたのは著者であった。

 この間に著者は昔話伝承・民俗伝承の聞き取りに多くの時間を割いてさた。そして『遠野物語』と同じ年に生まれた白幡ミヨシ女との出会いがあった。ミヨシ女は遠野の農家に生まれ育ち、農家へ嫁いだ生粋の遠野人である。ミヨシ女の語りの一部は『白幡ミヨシ遠野がたり』(九六年刊)として刊行された。各語りの後には「民俗一口メモ」、つまり「伝承者の経験による説明」が付されており、語りの補完的役割を果たしている。翌年刊の『遠野物語は生きている−白幡ミヨシの語り−』の頭注にも踏襲され、「語りの裏に潜む民俗を浮き彫り」にしたといえる。二冊から得た『遠野物語』「遠野昔話」「遠野民俗」への新たなる接近・掘り起こし・解読の視点・方法は、発展的に本書に継承されている。

 本書の構成は「はじめに・凡例・遠野市略地図」「第一編遠野昔話民俗誌・第一章遠野プロフィール・第二章家督に嫁ぐ・第三章衣食の管理・第四章生業と嫁の役割・第五章年中行事と嫁の休み・第六章嫁からガガヘそして語り手へ」と「第二編語りの伝承論・第三章語りの変容・第二章世間話と民俗意識・第三章語源説明譚の生成・第四章記述と語り・第五章遠野への提言」「引用・参考文献・あとがき・索引」から成る。

 第一編・第三章「遠野プロフィール」では、『遠野物語』の成立を支える歴史・地理的な背景・経緯を先行研究と伝承世界とをからめながら展開させ「遠野に出入りしたダンコツケ(駄賃付け)は語りの文化も持ち込み」「今現在人びとの記憶の奥に残っている昔話や伝統的な世間話は、残るべくして残った遠野の民俗遺産なのである」と指摘した。

 続く「遠野で暮す」には「人身御供伝と猿ケ石川」「馬のいる暮らし」「人馬同居の曲り家」「厳冬の生活」「凶作・飢径に備えて」「身近な山の生き物」が並べられている。遠野は桜の開花が本州でもっとも遅く、数年ごとに繰り返される凶作・飢饉の常襲地帯であった。人びとはこの自然に従い、生きるがための知恵を生み、保存食・救荒食物を伝奉文化の一つとして今日まで継承してきた。佐々木徳夫氏は『遠野の昔話−笹焼蕪四郎−』の解説の中で「笹焼蕪四郎」の昔話伝承と語り手の戦中戦後の食糧難時の体験を感動的に重ねている。史実・飢饉伝承と小鳥前生譚・童唄等との関係も検討して欲しかった。

 第二章から第五章までは、ミヨシ女が語る昔話・民俗と『遠野物語』とをからめながら白幡家および遠野における家督・衣食・生業・年中行事を明らかにしている。第六章「語り手への道」は「浦田穂一との出会い」「昔っこの獲得と伝承」が置かれている。写真家の浦田穂一氏は白幡家と「二人三脚で遠野を世間に紹介し続けてきた」人物だが、ミヨシ女が昔話の語り手としてデビューしたことも背後で支えていたと思われる。現在、観光客に昔話を聞かせる語りの場での最長老である。このことは後の「提言」にも関わる。

 第二編・第三章では「昔話伝承の問題点」として「蛇聟入り苧環型」の類型・成立・変化・発展を書承・口承の両面から丹念に追い、「蛇聟入り譚は、苧環型英雄誕生譚妖怪型から苧環型蛇退治譚と苧環型立間譚が生まれたと推定」し、「やがて、水の神としての信仰が強くなると、これが分離して水乞型を誕生させることになった」と「信仰の変化と語りの発展」を論じている。「語りの理解は民俗を通してこそ行われるべきもの」という主張に、研究者も新しい語り手たちも耳を傾ける必要があろう。

 第二章では「河童誕生譚」を展開させ「"河童"が間引の口実に使われ」その「後ろめたさが、世間話をさらに膨らませた」と結んでいる。第三章では「ハカダチとハカガリ」を展開させ「語彙としてのハカダチ、ハカガリの使用額度が減って語意が不明にな」って「でんでら野」が「伝奉世界の出来事に変わっ」たとし「民俗伝承の変化のひとつの典型がここにある」と結んでいる。第四章では「サムトの婆様」を展開させ「『遠野物語』研究と観光語り」の問題点を指摘しているが、ミヨシ女の語りの変化や他の遠野の語り手との語りの比較は興味深い。

 これらを通して著者は「"感じたるまま"から"語りしまま"へ」「"民俗のふるさと遠野"への再生」という熱い思いと願いを込めて「遠野への提言」をまとめている。

 遠野の観光語りの語り手は「『遠野物語』の影響を受けた語りをしていることは事実」であり、「『遠野物語』に依拠して観光行政をすすめている」かぎり「観光語りをやむなくされている人びと」は後を断たないであろう。それは「遠野人自身が遠野の民俗遺産を破戒させる行為であり、"民話のまち遠野"の自戒をも意味する行為なのである」としている。前掲の佐々木氏が遠野に三十余年間足を運んで編んだ『遠野に生きつづけた昔』『遠野の昔話』『遠野の昔話−笹焼蕪四郎−』の三部作の存在が再び光を放ち始めている。そこには筆者もこれまでに聴き耳をたててきた市民のふだんの遠野の語りが生きているからだ。遠野らしさがあるからだ。「観光客が聞きたいのは、"遠野語り"であり、"『遠野物語』語り"ではない」。「素顔の遠野の民俗語り」「遠野の昔語り」を「胸を張って語るときがすでに来て」おり、それを「披露するという強い意志のもとに、観光行政を推し進めるよう方向転換が必要であろう」と提言し、観光語りの語り手に対しては「遠野市民の自分発見のための」「民俗伝承の"遠野昔語り"を披露する責務がある」と問う。この提言は、全国各地の共通の施設・行政・催し物・関係者に与えられた警鐘とも読める。

 本書はミヨシ女の「人生を綴った生活誌であり」、「遠野昔話」の本格的な「民俗誌的研究」である。遠野昔話・遠野民俗の奥行の深さ・新鮮さ・魅力をアピールし、遠野研究の新たなる道を切り拓いた労作を高く評価したい。


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