中山 清著『巨大地主経営の史的構造』
評者:阿部 英樹
掲載誌:社会経済史学68-4(2002.11)


 大地主地帯としての知名度のわりに、越後国=新潟県の地主別についての研究蓄積は、決して多いとはいえない。著者は、そうした従来の地主制史研究の欠落を意識しながら、越後平野(蒲原・頸城平野)を対象に、大地主経営の実態究明にとり組んできた。すでに『近世大地主制の成立と展開』(吉川弘文館、1998年2月、以下「前書」と略す)のなかで、代表的な大地主諸家の実態分析を明らかにしている。本書は、それらを基礎にまとめられたもので、前書の焦点が、もっぱら江戸期における大地主制の生成・展開過程に注がれていたのに対して、明治前期における大地主制の確立過程にも積極的に分析を及ぼした内容になっている。

 序章「巨大地主研究の課題」では、本書の課題を「江戸期から明治前期にかけての米作単作地帯における地主的土地所有の成立・展開と確立過程の究明」であると述べ、大阪周辺等の商品作物生産地帯を対象とした先行研究との関連に触れている。米作単作地帯の地主制の基本的性格にかかわる3つの問題が指摘されている。農民的小商品生産の発展度の違いをふまえた土地集積や地主経営の実態、不安定とみられてきた地主小作関係の成熟度、質地地主制の近代への移行過程である。

 第1章「近世巨大地主経営の成立基盤」と第2章「巨大地主経営の構造と展開」では大地主諸家の実態分析によって、次の諸点が確かめられている。100町歩を超えるような大規模な土地所有は、近世後期の質地形態による土地集積によって形成された。近世後期100年に及ぶ土地集積の結果、すでに幕末期には多数の大地主が存在した。土地集積の開始時期や幕末の到達規模は多様であるが、所有規模は100町歩到達時期などに注目すれば、江戸期型、幕末期型、明治期型に区分して把握することができる。近代新潟県の地主制は大地主の集中的存在を特質とするが、明治期に入ってにわかに生成したものではなく、江戸後期における大地主の生成・展開の帰結としてとらえられる。

 第3章「大地主制の再編と確立」では、明治前期の新潟県における大地主制の動向を取り上げて、次の諸点が強調されている。大地主を頂点とした地主制の構造は、その基本的要素が近世後期以来、幕末期を経てほぼ形成されていた。明治期に入ってからは、地主諸層の上昇・固定・下降を伴いながらも、地租改正以下の諸政策への対応を経つつ、大地主制の確立に向けての再編過程が進展したのである。そして、近世後期以来の地主制の生成・展開の結果が、明治期に入ってより強化された状態を明治10年代末から20年代初頭にとらえることができる。大地主制は地租改正以後の国家的承認の下で体制的に確立し、近世から続く構造的特徴を維持しつつ資本制的経済展開への対応を始めていくのである。

 終章「米作単作地帯における近世後期〜明治前期の大地主制」では、序章において先行研究との関連で指摘した3つの問題について、本書の分析による見通しを整理する。さらに前書の内容もふまえ、越後国=新潟県の大地主制の生成・展開・確立に関する実態や特質を総括している。また、「あとがき」では残された課題への言及もみられる。

 以上の構成や内容からもわかるように、近世の大地主経営を取り上げる部分は全体の過半に及ぶ。近世後期を通じての大地主制の生成と展開に関する究明結果の延長線上で、大地主制の体制的確立を明治前期において見いだそうというのが、著者のねらいなのである。したがって、本書での分析に基づき新たに整理された著者の見解は、後半部に多くみることができる。それらのうちから、とくに幕末・明治初年の質地請戻の盛行現象をめぐる見解について、くわしく紹介しておこう。

 著者の分析によれば、明治前期における大地主制の再編過程は、幕末・明治初年にみられた質地請戻の盛行に特徴づけられるという。近世後期を通じての一般的傾向として、質地代金を小作経営内部で準備できず、請戻の権利を行使できないからこそ、大地主が出現したのである。もし質地代金が準備でき、請戻の権利を行使できる状況が広範に生ずれば、質地形態の土地集積によって成長した大地主経営の存立基盤は揺るぎかねない。ところが、幕末・明治初年には小作農民層による質地の請戻が多発しており、なかには質流れ後の土地の請戻といった事例も認められるようになる。それは特定の地主にだけにみられる現象ではなく、地域的な土地移動傾向として確認でき、近世後期から成長を続けて来た大地主の多くに、所持規模の減少をもたらしていた。

 周知のように、質地請戻慣行の研究は、近年新たな成果が次々と発表され、大きく進展を遂げた。それらについて著者は本書課題との関連で、各地の事例によって慣行自体の広範囲の存在を知り得るが、質地地主制への具体的な影響、地主的土地所有を脅かす動きとなっていたのかどうか、明らかではないと述べる。そうした視点を持って、自らが幕末・明治初年の越後平野で確認した質地請戻の盛行現象を評価しようというのである。

 著者は質地請戻が多発した背景を、次の2つの動きから解釈する。第1に、質地移動のなかで土地代金騰貴傾向がみられるようになり、それが元代金での請戻を可能にする基本的条件となりえた。小作農民層の内部で階層分化が進み、そうした条件を生かして借金返済を行い、請戻を実現する階層が出現していた。第2に、地主優位の下で押しとどめられてきた旧土地所有者=直小作農の土地所持回復要求が、土地慣行や小作慣行の存在と結びつきつつ、「世直し状況」という時期をとらえて表面化してきた。

 このような質地請戻の背景を提示したうえで、著者は質地地主制への影響を、最終的に次のように結論づける。小作下層によると推定される土地回復も確かめられるが、安定的な所有は続かず再放出されている。質地地主制の近代への移行過程において、下層農民層の土地所持回復への展望は閉ざされつつあった。また大地主倒の経営実態からみれば、請戻事例の多発が各地主の所有規模を減少・縮小させるといった変動はあったにしても、地主的土地所有を脅かし、解体に導くような状況は認められなかった。質地請戻の多発を伴いながらも、質地地主制の近代への移行が進み、結果として地主的土地所有の再編に成功した事実が強調されている。

 ちなみに、私は近世後期の庄内平野を対象に地主制史研究を進めているが、越後平野と似た土地移動傾向、すなわち幕末・明姶初年の質地請戻事例の増加を確認している。よって著書が、質地請戻慣行に関する諸研究をふまえ、そうした傾向をどう評価するのかは大変興味深かった。著者の論旨は明解でおおむね理解できるが、やや性急すぎるようにも思われる。そのため、必ずしも説得性が十分なものとはならていない。小作農民層の内部でいずれの階層が、いかなる経済的・経営的条件、あるいはどのような土地慣行・小作慣行をふまえて請戻を実現したのかについて、もう少し具体的事例の提示がなされるべきではないだろうか。もちろん著者自身もこの点を自覚しており、「これらの土地移動についてはさらなる実態究明を必要としている段階」等と述べている。引き続き追究の余地が残っているということであろう。

 このように本書では、質地請戻慣行をめぐる近年の研究動向をふまえ、質地請戻の多発が質地地主札 あるいは大地主経営に与えた影響について論及がなされている。地主制史研究の空白を埋めるといった前書とは異なる、新たな研究史上の意義を認めることができよう。

 以上は、いうまでもなく私の興味に従って、内容の一端を紹介したにすぎない。前書と同様に、各章の緻密な実証の積み重ねからからは、膨大な作業量を投入して大地主諸家の文書類を丹念に分析し、大地主経営の全体像の解明につとめたプロセスをうかがうことができる。読み進むうちに、著者が学生向けに番いた「一連の数値を求めて」と題する短い文章が思い出された(『日本史論文の書き方』吉川弘文館、1992年)。そのなかで大地主経営の数的究明には「史料の厚さにひるまない努力」が必要であると述べられている。私自身の経験からしても、経営全体をみわたせる便利な史料が残っている例はきわめて少ない。大地主経営の全貌を明らかにするためには、金銭関係と土地関係の諸帳簿を、厚さにひるむことなく一枚一枚めくり、得られた数値を関連づけていくほかはないのである。私は地主制史研究を始めたころから、地主家文書を利用した著者の実証手法を参考にし、多くのことを学んできた。研究史上の意義にくわえ、研究者としての真撃な個性がにじみでた緻密な実証も、本書全体を特徴づけ、大きな魅力となっていることを強調しておこう。

 著者は戦前日本を代表する大地主地帯であった越後平野の大地主経営を、一貫した姿勢で長年にわたって追究してきた。『千町歩地主の研究』正・続・3(京郡女子大学、1985・87・90年)を経て前書、そしてついに本書の刊行によって、近世後期から明治前期に至る大地主の生成・展開・確立の全貌が明らかにされたのである。長年の研究の結実を心からよろこびたい。


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