石塚 尊俊著『出雲国神社史の研究』
評者:瀧音 能之
掲載誌:日本歴史658(2003.3)


 昨今の出雲は、神庭荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡などの発見によって、旧国別では、弥生時代における青銅器の最大保有エリアとして知られるようになった。しかし、出雲の一般的なイメージは、まだまだ"神々の国"であり、出雲大社ではなかろうか。現に、近年の出雲大社境内遺跡の発見は、あらためて出雲大社の史的重要性を再確認させられることになったといえる。

 本書は、そうした出雲という日本古代史のなかで独特の位置を占めるエリアの神社史を論究したものである。著者は民俗学者としてつとに高名であり、自らも本書の序で「この一冊は、私のこれまでの神社史研究の論文・報告・解説のほとんどすべてである」と述べ、「それほど私の神社史に関するものはいたって少ない」と語られている。しかし、本書を手にすれば一目瞭然であるが、その質・量ともに他を圧倒するものがあり、出雲に生まれ、長年にわたり研究にたずさわり、また神職の立場にもある著者ならではの創意がいたるところに示されている。

 構成をみると、T古代出雲と神社、U式神名帳上の問題社、V勧請社の研究、W古社と古伝祭の四部からなっている。このうち、T・U・Wが古代を対象としたものであり、Vが中世・近世にかかわるものである。

 さらに、内容に入ると、Tには「風土記に探る出雲の聖域」と「風土記と風土記前代の出雲」の二編が収められている。前者は、出雲国造の本質地をはじめとして、熊野・杵築・須佐・美保・狭田・加賀などの地域の問題点をとり扱っている。後者は、出雲古代史研究会での講演記録であり、著者の出雲古代史に村する全体的な考えが述べられている。したがって、本書の中の古代に関する部分のダイジェストの役割をも果たしている。

 Uには四編の論文が収められている。冒頭の「同社坐と同社の問題」はVの総論ともいうべきもので、『延喜式』神名帳の出雲国の条にみえる「同社坐」と「同社」が他の国の条にはみえないことに注目してその意味するところを論及したものである。ふつう、その国のすべての宮社を一覧することができるのは、十世紀はじめに成立した『延喜式』によってである。しかし、出雲の場合には、それよりも二世紀も早い八世紀のはじめにつくられた『出雲国風土記』によって、官社および非官社を確認することが可能である。著者は『出雲国風土記』にも「同社」という表記が多いことをふまえて、『延喜式』との比較をおこなっている。その結果、従来は「同社坐」と「同社」とを同じにみなしていたが、これを否定して「同社坐」は同一神社の境内にまとめて祀っているもので、「同社」は同名社であるとされた。

 しかし、この結論は、著者自ら指摘しているように、個別にひとつずつあてはめていくと矛盾がでる場合もみられ、さらなる検討の余地を残している。

 こうした結論もさることながら、わたしが目を開かされたのは、著者の神社に村する考えである。それは、『出雲国風土記』には一八四の官社がみられ、『延喜式』神名帳では一八七となっていて三社の増加がみられるのであるが、これをどう解釈するかという問題である。通常、二〇〇年の間に三社が新たに加わった、と考えるのであるが、著者は「この約二百年間に消滅したものがなかったか」と問いかけている。指摘されてみるともっともであり、二〇〇年の間に廃絶された神社があっても何ら不思議ではない。むしろ、『出雲国風土記』に記載されている官社すべてが存続し、それに三社が加わったと考える通説の方が机上の発想といえるかもしれない。しかし、『出雲国風土記』のすべての官社のその後を、一社ずつみていくことは現実的には不可能である。著者も結局は、通説に従って検討をすすめているが、こうした神社も変化するという認識は、御社研究の基本においておく必要があるであろう。この点について著者は近代以降についても「千年もたてば世の中がどれほど変わるものか、その中にあって神社だけが変わらないというはずはない」と述べている。神職の立場にある著者の言葉ゆえになおさら重く感じられる。

 Uには、この他に同社の問題を個別検討したものとして「出雲神社の問題」・「大穴持神社と杵築大社」・「韓国伊太?神社の研究」が収められている。特に、韓国伊太?神社は名称の特異さもさることながら、出雲のみにみられろ神社であり、式内社でありながら『出雲国風土記』には記載がない、という興味深い神社である。著者が導びかれた渡来人によってもたらされた今来の神という結論には、残念ながらわたしは同意しかねるのであるが、先考を整理して本格的に韓国伊大?神社を論じたものとして注目される。

 Vは、「『雲陽誌』に見る勧請神社の研究」・「塩冶神社と塩冶八幡宮」・「宇美神社と熊野権現」・「由来八幡宮の頭屋と祭儀」の四編からなっており、いずれも地元の神社の詳細な実態研究となっている。四編のうち最初の二編は、本書のために書き下ろされたものである。中でも、「『雲陽誌』に見る勧請神社の研究」は、一五六頁に及ぶ大作で、まさに『雲陽誌』の中の勧請神社の総合研究といった感をなしている。中世以降の出雲の神社研究の重要性を説く著者の熱意がVからは伝わってくる。

 Wには、五編の論考が収められている。一「古社各説」は出雲大社・佐太神社・美保神社・日御碕神社をとりあげ、それぞれの沿革を述べるとともに、代表的な古伝祭について紹介し、その問題点を指摘している。「意宇六社梗概」・「意宇六社関係古伝祭」は、意宇六社と総称される熊野大社・神魂神社・真名井神社、六所神社・八重垣神社・揖夜神社について、古代からの由来と古伝祭とについて論じたものである。「出雲国造火継式」は、出雲国造の代替りのさいの一世一度の儀式の考察である。現存する最古の記録とされる天文十八年(一五四九)の北島国造秀孝と天明四年(一七八四)の北島国造家孝のときの記録をもとにして火継式の詳細を述べ、現行の火継式についても述べている。加えて、秋上家文書である天文十八年の記録の翻刻もおこなっている。「出雲神在祭の成立」は出雲大社・佐太神社の古伝祭として知られる神在祭について検討したもので、両社に加えて関係のある朝山神社・神原神社・万九千社・神魂神社・売豆紀神社・多賀神社の六社を視野に入れて考えている。その結果、これらの八社の多くが『出雲国風土記』に記されている四つの神名火山と位置的に近いとして、神在祭は本来、一社の祭りではなく、聖山を対象とする「地区共同の祭り」であると結論づけている。しかし、神名火山との関係については、著者も認めているように出雲大社があてはまらないといった大さな問題点もあって難しいのではなかろうか。

 以上、本書の豊富な内容をごく大まかに述べてきたが、本書の大きな特徴としては、近世以来の研究史を適確にふまえているということがあげられる。出雲の神社史に関しては、江戸時代からいくつもの蓄積がみられる。『出雲国風土記』の現存最古の注釈書である『出雲風土記鈔』をはじめとして、『出雲国式社考』・『神名帳考証』・『出雲神社巡拝記』、そして『雲陽誌』といったものがあり、近代に入ってからは『神社竅録』・『出雲風土記考証』などがあげられる。著者はこれらをていねいに読み解くことによって自論を構築している。これは当然のことといえばそれまでであるが、戦後の研究に依存しがちなわたしなどは深く反省させられた点である。つけ加えるならば、『出雲国風土記』も版本と同時に写本を併用した研究の時代に入ってきたように思う。秋本吉徳氏の『出雲国風土記諸本集成』によって善本を容易にみることができるようになった現在、写本の併用は不可欠といえる。

 また、本書の特徴としては、加藤養成氏・朝山皓氏といった地元で大きな成果をあげた先学をとりあげていることもあげられる。両氏の業績は島根県古代文化センターから逐次刊行されつつあり、これまた誰でもが参考にできるようになった。

 このように正統かつ本格的な本書ではあるが、もちろんいくつかの問題点もないわけではない。いま、ひとつだけあげるとすれば、最近の研究成果についての論及が少ないことが気にかかった。近年の出雲研究、特に古代史研究は長足の進歩がみられるように思われる。地元では内田律雄氏をはじめとして活発な祭祀研究がおこなわれているし、地元以外でもたとえば関和彦氏による『出雲国風土記』の注論が継続的になされている。こうした最近の成果についての著者の考えもきいてみたかった。

 しかし、いずれにしても、古代のみならず中世以降、近・現代までをも視野に入れるという壮大なスケールをもつ本書の刊行によって、出雲の神社研究は、また一段の厚みを加えたことは疑いのない事実といえる。本書に刺激を受けて、さらなる出雲神社史研究の地平が切り開かれるものと期待される。(たきおと・よしゆき 駒沢大学文学部助教授)


詳細へ 注文へ 戻る