佐久間 耕治著『底点の自由民権運動』
評者:矢嶋 毅之
掲載誌:千葉史学41(2003.1)


 一九八〇年代初め、「自由民権一〇〇年」と題して、全国的に自由民権運動に関する様々な史実が掘り起こされた全国的な集会も開催され、その成果を集めた報告書なども多数刊行された。その熱狂的ともいえる盛り上がりから、二〇数年が経過し、自由民権運動に対する研究は停滞・混迷などの評価が下され、新たな研究視点を要求されるなど厳しい環境におかれている。しかし、そうした評価は果たして妥当といえるのであろうか。

 現在、各地で民権一二〇年を記念した顕彰運動などが行なわれている。著者もその運動の一翼を担い、地域の自由民権一二〇年と称して、様々な活動を続けている。

 本書は著者が一九九二年に『房総の自由民権』(崙書房)を刊行した後に発表された論考をまとめたものである。本書の構成は以下の通りである。(中略)

 本書の内容にふれるまえに、書名の由来について少し述べておきたい。著者をよく知る方ならば、「底点」と付けたことにそれほどの違和感を覚えないのではないだろうか。著者は自由民権運動を研究するにあたって、色川大吉氏が唱える「底辺の視座」からとする研究視点に強く影響を受け続けてきた。しかし近年、著者が出会った牧師が「民衆は辺ではなく点として存在し、皆孤立している」と語った講話により、底辺から底点に研究志向を変えたとのべてい
る。その具体的な方法論は本書において明示されてなく、著者の今後の課題となっている。このように書名ひとつをとっても著者の自由民権運動に対する真撃な姿勢を知り得ることができよう。

 さて本書は、新史料の発見あるいは既出史料を新たな視点でとらえた史料紹介、論文、講演要旨、研究授業の報告など通常の研究書とは体裁を異にしている。このため、どこからでも読める手軽さを感じさせるが、章立ての副題に示されているように、各論考ともに地域の史料を根幹とし論述されている。大量の史料が使用されているが、十分な史料批判がなされている。とくに民権家の書簡は当時の民権運動に昼夜を問わず奔走した様相が伝わってくる好史料
といえよう。そのため歴史を研究するうえで、史料の重要性を改めて認識させられる。

 前著と比較するならば、本書は明治一七年一〇月の自由党解党から、同二〇年のいわゆる三大事件建白運動に至る時期に重点がおかれているように見受けられる。とりわけ第四章において、「言論集会の自由」「地租軽減」「条約改正」の要求を掲げた三大事件建白運動が全国的に展開されるなかで、千葉県の運動を民権家・斉藤自治夫宛の書簡や新開史料をもとに克明に明らかにした。その結果、本県における運動は「国会開設準備」要求を加えた四大事件建白運動であったとの新たな視点を生み出している。この四大事件の建白は愛媛県でも確認できるとのことで、中央との動向も視野に入れた興味深い指摘をなしている。著者自身、この分野については分析の継続を抱いているようである。いずれにせよ、これらは、詳細な史料調査に基づいたものである。現在、自由民権運動は民衆運動との関係、運動史から文化史にたった視点での研究など、多様な観点からの研究の必要性に迫られている。しかし、丹念な掘り起こしも研究には必要不可欠である。評者は、本書が現況下の民権運動の研究に警鐘を鳴らす役割を担っているのではないかと考えている。

 ところで、著者は前著刊行後に「デジタルミュージアム房総自由民権資料館」と杯するホームページを開設し、自身の研究成果を公開するとともに、民権ネットワークの形成・普及に努めている。このホームページのアドレスは本書に記されているが、是非インターネットにおいて「自由民権」を検索していただきたい。著者のホームページのほかにも、多くの自由民権運動の研究者のサイトがあることがわかる。著者が進める民権ネットワークの形成の現状を理解できると思う。また、その一環として、著者は一九八七年から自由民権資料展を断続的に県内各地で開催している。今年は第一〇回目を館山市で開催した。そこでは民権家の書簡や関連史跡の紹介など著者の永年にわたる研究の足跡が端的に表されていた。著者には今後も展示活動を継続していただき、民権運動の普及に努めていただきたいと願う次第である。

 最後に、著者が新たな研究志向で取り組まれた成果が一刻も早く発表されることを強く望み、この稚拙な紹介を終えることにしたい。(成田山霊光館)


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