神田 より子著『神子と修験の宗教民俗学的研究』
評者:伊藤 辰典
掲載誌:宗教研究334(2002.12)


 本書の主要な研究対象である「神子」は、岩手県陸中沿岸地方において現在も活躍する晴眼の女性巫であり、「口寄せもするが、口寄せミコとは分類できない。また神社で舞を舞うが、神社所属でもなく、神社に仕えるミコでもない」(四〇頁)というように、従来のミコの類型には当てはまらない特異な在り方を示す。この神子を学会に紹介し、精力的な研究を推し進めてきたのが、他ならぬ著者の神田氏であり、すでに前著『神子の家の女たち』(一九九二年、東京堂出版)を始めとする多くの業蹟を上げていることは、ここで改めて指摘するまでもなかろう。本書は、その著者の約二十年にわたる神子研究の集大成である。

 本書は「序論」、第一部「巫女の研究史」、第二部「陸中沿岸地方における神子の生活と地域社会」、第三部「神子と修験のかかわりの歴史的変遷」、第四部「神子の儀礼と世界観」、「結論 巫女と修験の新たな研究に向けて」という四部構成を取り、全体は二十の章から組み立てられている。まずは章ごとに本書の内容を概説していきたい。なお著者は、調査対象であるミコに対しては「神子」、ミコ一般を論じる場合には「巫女」の表記を用いているので、ここでの評者のコメントも、それに従うものとする。

第一部 巫女の研究史
 第一部では、従来の巫女研究の概括と、その中における本書の位置づけが示されている。第一章から第三章では、それぞれ「日本民俗学における巫女研究史」、「宗教学・精神医学・人類学におけるシャーマニズム研究史」、「巫女と修験のかかわりに関する歴史的研究」と題して、先行の巫女研究の再検討がなされており、陸中沿岸地方は巫女研究の空白地帯であること、および柳田国男の研究以来、神社ミコは形骸化した姿と見做されてきたため、神社で舞を舞う神子も、巫女研究の対象から外されてきたことなどが指摘されている。第四章「本論の視点−地域研究と巫女−」では、神子を従来の巫女研究に位置づけるための枠組みが模索されており、佐々木宏幹によるシヤーマンの類型との関わりで検討する必要性のあることなどが論じられている。そして、その上で「近世から近代に至るまでの神子と修験の歴史的変遷と、現代に活躍する神子の分析とを通して、神子と地域社会の人々が共感して作り上げた世界観を明らかにする」(一一八頁)という本論の目的と、それによって従来の巫女の類型の中間地点に位置するような、新たな巫女の姿を提示し得るのではないかという著者の見通しが述べられている。

第二部 陸前沿岸地方における神子の生活と地域社会
 第二部は、著者自身による史料調査と民俗調査を踏まえて、近・現代における神子の在り方を地域社会との関わりの中で論じた部分である。第一章「語りの中の神子の伝承」では、神子にまつわる伝承を通して、神子は、地域社会の人々にとって特別な存在であり、修験者と本質的に同じ力を持つと認識されてきたことが示される。第二章「神仏分離令と近代の神子」では、神子の制度上の変遷が跡付けられており、明治初年の修験者の所属変更に伴って、天台宗寺門派の尼僧になった神子や、教派神道に所属した神子がいたこと、そして後に神子の大部分は出雲大社教に所属したことが明らかにされる。加えて、そうした変遷の過程で、神子の崇拝対象に変化があったことも指摘されている。第三章「神子の系譜」では、近世末から現代にかけての神子の系譜が詳しく述べられている。第四章「神子の生活誌」では、現代の神子について、入巫動機には親や周囲の勧めという例が多いこと、修行のプロセスは盲目の巫女と類似するが「神憑け」の儀式がないこと、および祭の場で託宣ができるかどうかが一人前の基準になっていることなどが明らかにされる。また近年の神子の減少に伴い、日蓮宗の僧侶や、突然の憑依をきっかけに巫女になったカミツキが、神子に代わって様々な儀礼の場面に進出している現状も報告されている。第五章「神子と地域社会の女たち」では、神子の宗教活動について論じられており、共同体レベルのものとしては湯立託宣・ねまり託宣・大漁祈願の祈祷・オシラ遊ばせがあり、個人や家単位のものとしては、春祈祷・後清め・ホトケ降ろし・病気治し・憑きもの落とし・厄祓い・地鎮祭・家祈祷・船の祓い・恵比寿直しのあることが明らかにされる。第六章「禁忌と託宣」では、地域の女が神子を必要とする背景について考察が加えられており、女たちは神子とのふれあいや、儀礼を通して得られるカタルシスを求めていること、そして何よりも女たちには、神々やホトケの声を聞いて、自分が家族を守るのだという自覚のあることが指摘されている。また災因論について、女たちも神子も、心身の不調を「憑きもの」との関係で説明する共通の体系を持つこと、そして神子には、そうした状況を回復し得る力があると認識されていることも論じられている。

第三部 神子と修験のかかわりの歴史的変遷
 第三部は、歴史的史料を用いて、修験道に所属していた近世期の神子の在り方を鮮明した部分である。第三早「歴史的概観」では、南部藩における神子と修験者の概観がなされ、他の地方と較べて、南部藩には羽黒派の神子が多く存在したこと、また陸前沿岸地方を含む閉伊郡には、突出して神子の数の多かったことが示されている。第二章「近世期羽黒山正書院文書に見る神子の位置付け」では、羽黒派の史料をもとに、神子は修験者と同様に本山からの直接支配を受けていたこと、および神子は修験者とは別に信者を持ち、独自に宗教活動を展開していたことが明らかにされる。第三章「近世期修験文書に見る神子の変遷」では、羽黒派以外の神子について、南部藩では当山派の神子の存在は確認できないこと、および本山派の神子は、修験者と同様、年行事に対する上納金や祝儀金の拠出を義務づけられていたことが明らかにされている。また後半では、墓石や過去帳の精査によって、陸中沿岸地方では俗家出身の神子も多かったことが示される。第四章「近世期陸中沿岸地方の神子の生活と社会」では、まず神子が本山派年行事から宗教活動の場として「祈祭場」を宛われていた事例や、その祈祭場を巡る神子同士の争いの事例をもとに、修験道の組織における神子の位置づけが論じられている。続いて、地域社会における神子の生活が取り上げられ、修験と神子は常に夫婦であったわけではなく、多くの場合、神子は弟子を養女に取って跡継ぎとしていたことなどが詳述されている。

第四部 神子の儀礼と世界観
 第四部では、神子の執り行う儀礼の分析を通して、神子の世界観の究明がなされている。第一章「湯立託宣と神子舞」においては、神子が法印や神楽衆と組んで執行する湯立託宣と神子舞が取り上げられている。そして、その際には、遠い異界の神である「タカ神」と、地域の産土神である「トコロ神」の託宣がなされることから、著者は、神々の世界が遠来の神と地域の神というように二重に考えられていることを指摘し、さらに修験道の観念的・抽象的な神々の世界と一般民衆の持つ神観念のズレが、そうした二重構造を成立させているという推測を示している。また湯立託宣における神子は、憑祈祷の霊媒のような単なる霊の容れものではなく、託宣の神を自らに降ろし、儀礼の場をリードする存在であることも指摘されている。第二章「オシテサマ儀礼の諸相」では、オシラサマに関する儀礼には各地域の様々な信仰と儀礼の要素が取り込まれていること、そして神子の減少などにより、現在、変遷の過程にあることが論じられている。第三章「治療儀礼」では、神子の治療儀礼について、彼女たちの治療儀礼には修験道の影響が強くみられること、また神子の動的なパフォーマンスは、依頼者を癒しの世界に導く一助になっていることが明らかにされる。第四章「死者儀礼」では、神子が関与する死者儀礼として後清めと口寄せが取り上げられており、前者については、死のケガレを祓う意味のみならず、死霊が生者に取り憑かないよう追い祓うという観念がみられること、また後者については、死霊の供養だけではなく、死者の怨念の解消が、その目的になっていることが指摘されている。第五章「神子の世界観」では、神子の世界観に関する考察がなされており、神子の語りに注目した場合、その「世界」は具体的で、異界や他界が身近な場所に設定されているのに対して、儀礼の分析から明らかになる神子の世界観は、本人にはその自覚がなくとも、修験道の影響が強く残されており、抽象的・観念的な部分も多くみられると論じられている。第六章では、神子が神仏の媒介者となり得る論理を追求することによって、日本のシャーマニズム研究における神子の位置づけが試みられ、神子は、霊媒と精霊統御者の両方を使い分ける存在であると結ばれている。

 以上、本書の概要を駆け足で辿ってきたが、神子という宗教者の全体像を提示したという点、および先行の巫女研究の中に、その神子を位置づけたという点に、本書の最大の特徴があるものと思われる。前者については、著者の多年にわたるフィールドワークが実を結んだものであり、その記述は実見と粘り強い聞き取りに裏付けられた信頼すべきものとなっている。しかも先行研究が著者の業績以外無いに等しい現状では、本書が学会の貴重な財産となり、今後の研究史を刺激していくことは間違いなかろう。また後者については、前著の段階では課題として残されていた研究史の整理と自説の位置づけを図ったものであり、これによって著者は、日本の巫女研究に新たな地平を切り開いたと評価し得る。もっとも、巫女やシャーマニズムの研究を専門とするわけではない評者にとって、この分野の批評は、いささか荷が重い。以下においては、特に修験道と関連する部分について、評者なりに気付いた点を指摘することで書評の任を果たすことにしたい。

 まずは神子の縄張である「祈祭場」を問題にしたい。巫女と修験者の関係について、従来の研究では、巫女は修験者の妻、ないしは憑祈祷の霊媒としてのみ取り扱われる傾向にあった。しかし著者は、陸中沿岸地方の神子を通して、修験道所属の巫女は、修験者に従属する存在ではなく、一人の独立した宗教者であったということを立証することに成功している。この点は、今後の巫女研究や修験道研究に重要な示唆を与えたものとして、充分に評価されるべきであろう。修験者に対する霞場とは別に、本山派年行事が神子に対して祈祭場を宛っていたという事例も、こうした著者の見解を裏付ける証左とみることができる。しかし、さらに一歩踏み込んで、修験者の霞場と神子の祈祭場の関係という点については、著者の議論は、やや曖昧であったように思われた。例えば、祈祭場を巡る神子同士の争論について、著者は、「一方の神子が他の神子よりも『当たる』と周囲の人々の評判が立って、神子への依頼が越境してきたための紛争とも考えられる」(四七七頁)というように、祈祭場は託宣を職分とする神子同士の縄張であることを窺わせる一方で、別の箇所では、「霞職は年行事によって在地の修験者に宛行されて、霞よりは制限付きあるいは権利の少ない祈祭場が神子に宛行されていたと推定できる」(四八二頁)というように、霞場と祈祭場は、程度の差はあれ、はぼ同じ性格を持つという推定もなされている。前者の場合、霞場と祈祭場は同一の地域に重なり合い、併存する関係にあったと考えられるのに対して、後者の場合、両者は基本的に排除し合う関係にあり、神子と修験者が競合する場面も想定し得る。この両者の縄張の在り方に重点を置いて考察を進めたならば、より明確に神子と修験者との関係を提示できたのではなかろうか。

 また本書では、近年の神子の減少に伴い、様々な儀礼の場に神子以外の宗教者が進出しているという興味深い事例も報告されている。この点については、著者の今後の研究テーマの一つになるものと期待してよかろう。しかし、こうした変化の過程に注目するという著者の視点を評価すればこそ、一つの疑問も生じる。それは、著者が現在の神子の活動を、ほとんど検討することなく近世からの連続で捉えている点である。例えば、現在の神子が執り行っている葬儀後の後清めは、よく知られているように修験者の職分の一つであった。この点を考慮に入れると、後清めに携わる宗教者の交代は今に始まったわけではなく、明治初年に、まず急激に減少した修験者の穴を埋めるという形で、神子が後清めの場に進出していったという可能性も考えられるように思われるのである。

 最後に、本書の『神子と修験の宗教民俗学的研究』という題名についても一言しておきたい。これまで述べてきたように、本書の研究対象は、あくまでも神子であり、神子を離れて修験が取り上げられているわけではない。その意味では、『神子と修験の‥‥』という題名は賛否が分かれるものと思われる。また『‥‥宗教民俗学的研究』という方法論について、その説明が本文の中で全くなされていない点は非常に残念に思われた。そのために、あるいは著者の恩師に当たる宮家準氏が構築した宗教民俗学をイメージする読者もいたと予想されるが、儀礼の構造分析による世界観の解明を課題としながらも、歴史的変遷や地域社会との関連を重視する著者の方法論は、やはり著者独自の「宗教民俗学」であるように評者には感じられた。次回作では、ぜひ著者の構想する宗教民俗学の方法論を披瀝していただきたい。

 以上、本書に多くのことを学びながらも、評者の能力不足から偏った批評に終始してしまった。著者ならびに読者の御寛恕を乞いたい。なお本書は、著者が一九九九年に慶應義塾大学より学位を受けた博士論文を加筆・修正したものであること、すでに修験道研究の分野では高い評価を受けており、二〇〇一年に第十一回日本山岳修験学会賞を受賞していることを付け加えておく。


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