武田 正著『おんなのフォークロア』
評者・増田昭子 掲載紙 週刊読書人(99.7)


宮本常一を師と仰ぐ武田正さんは、宮本の代表的著書『忘れられた日本人』は感動の書であるが、「描かれた地域の人々は、雪のないおだやかな土地柄であったこそなのではないか、米が一年に一回しか穫れない東北地方とは違って、いささかは食べものもあるといったことが、そこにはあって、確かに貧困があり、労苦はあったろうが、やはりうらやましい話」と書く。一年のうちの三、四ケ月は人間の背丈以上の雪の中で暮らす人々が待ちわびる春がどんなに喜ばしく、晴れやかなものであっても、そのことだけで「具体的な生活の豊かさの保証とはならなかった」とも書く。極寒の地にあって「食う」ことがいかに大変であるかを知っている人の言葉である。
昔話を中心にした十指にあまる著書をもつ武田さんは山形県を中心に東北・関東の各地を歩き、その独自の学問を形成してきた。「"白河以北一山百文"とさげすまされてきた東北」の貧しさをみ、さらには貧困の中で生きる人々……家族や村人を支えるのは女たちであったと長年、村を歩きながら感じ続けてきたに違いない。「もし女がこの貧困な東北にいなかったら……という表現自体、学問を無視した仮定に他ならないのだが……ずっと以前に東北地方は滅んでいたのではなかろうか。女がその崩壊をどのように喰い止めてくれて来たからこそ、私のテーマであり、視座のつもりであった」という。"ムラが子を育てる"、"間引きの子"、"苞もれ"などは現代では想像もつかない話である。こうした話がいつでも、だれでもが聞けるわけではない。村を際限もなく歩いた著者が、ふと話し手がもらしたり、この人ならばと語った話をすくいあげた話なのである。
村のまとめ役などを務めるような夫をもつ主婦ともなれば、姑と嫁のいさかいなどを耳にすれば、それとなく解決に当たる"世話焼き婆"になる。村に二、三人の世話焼き婆がいれば「大抵の家の中のいざこざはまあまあの線で解決するものだった」らしく、「男は村の方を向いて仕事をするが、村の女という内側から解決の道をさがすのが世話焼き婆の仕事」であった。「女の力によって、イエもムラも維持されてきたが、そこには女の、夫を立て、イエを立てて自分の無名性に安住し、その中に喜びを見出している強さを忘れるわけにいかない」と見ている。イエで解決できないことをムラ共同体がカバーしてきた民俗社会であったが、ムラ共同体が排除していった女たちの話は読む者を圧倒する。子をおいてムラを追われた女の"地方流し"と、親を失った余り者を意味する"あぐり"の話で、共同体がもつ負の側面をえぐり出している。著者はこうした話の主人公の「こころを理解したといって、何が修復されたことになるのだろう」といい「記録されることもなく埋もったものは数多くあったに違いない」と東北の地を歩き、心のなかに沈殿した女たちの無名の声を本書に残 したのである。
(ますだ・しょうこ 立教大学非常勤講師・民俗学専攻)
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