北原 かな子著洋学受容と地方の近代−津東奥義塾を中心に−』
評者:河西 英通
掲載誌:弘前大学国史研究113(2002.10)


     一

 青森県、なかんずく津軽地方の近代化を考えたとき、弘前の東奥義塾の存在をはずすわけにはいかない。旧弘前藩校稽古館の流れをくみ、キリスト教の影響を受けて出発した東奥義塾に関しては、これまでもキリスト教史・英学史からの研究や、自由民権運動との関連について考察がなされてきた。

 本書は北原氏が一九九八年度に東北大学に提出した博士論文を加筆修正したものであり、二〇〇二年度の日本英学史学会賞を受貫した研究である。「一地方の私立教育機関であつた東奥義塾の教育水準が、当時の日本においてどのくらいに位置するものであつたか」という、教育機関として本質的に問われるべきテーマに鋭く迫っている。最大の特徴は、東奥義塾所蔵資料の全面的な活用と在米英文資料の詳細な分析にあり、本書によつて、東奥義塾研究の水準が一挙に飛躍したことは疑うべくもない。近代日本と地域社会の関連をとらえるうえでも、きわめてユニークなモノグラフである。

      二

 まずは、本書の構成を記しておこう。(中略)

 巻頭の口絵(一三点)も貴重だが、巻末におさめられている東奥義塾所蔵明治期洋書調査報告、英文資料、主要参考資料・文献がたいへんありがたい。東奥義塾の研究のみならず、地域における洋学受容について考えるとき、こうした基本データの整理はとても重要である。北原氏の真摯な態度に学びたい。

 以下、第1牽から第5章までの概要と気づいた点をのべていきたい。

 第1章は「沿革関連資料の検討」「弘前漢英学校から東奥義塾へ」「中心的役割を担った人々」「開学時東奥義塾学校体制」「開学時の青森県教育体制」「開学時東奥義塾の性格」の六節から成り、開学時の東奥義塾の状況が手際よく整理されている。東奥義塾に対する慶応義塾の影響など、つとに指摘されている点が基礎資料から再確認されているが、印象深いのは、結社人の一人である菊池九郎が官製の教育を否定して、明確に私学教育の推進を主張していた点である。引用されている資料は後年のものだが、「「東奥義塾の創意者」と称される菊地がこうした教育観を抱いていたことは、やはり注目に値する」との評価は至当だろう。

 第2章は「ウォルフ夫妻とマックレー」「ジョン・イングと本多庸一」「ジョン・イング」の三節から成り、開学時の英学教授を担当したウォルフ、マックレー、イングの三名の動向が整理されている(マックレーとイングについては、後章で詳述)。北原氏の真骨頂はここから始まるといつてよい。興味深いのは、初代の外国人教師であり、オランダ改革派の宣教師であつたチャールズ・ウォルフの契約更新をめぐり、県令北代正臣が尽力したことや、時の右大臣岩倉具視が関与していた事実を、ウォルフ書簡から明らかにしている点である。ウォルフの処遇をめぐり、宗教と教育と政治の問題がからみあつていた観がある。

 第3章は「イングの教授内容」「『文学社会』」「キリスト教の普及」「女子教育」「イング離職後の外国人教師」「東奥義塾弾圧と弘前事件の影響」の六節から成り、リンゴ栽培の普及者としても知られる三代目外国人教師ジョン・イングと東奥義塾との関係が詳述されている。重要な点は、@イングの母校である米国インディアナ・アズベリー大学(現デポー学)のカタログと『東奥義塾一覧』を比較することで、当時の東奥義塾の教育水準をインディアナ・アズべリー大学予備科から同大学一〜二年次に同定したこと、Aインディアナ・アズべリー大学のLiterary Societyの影響を受けた東奥義塾の「文学社会」=「文学会」の地域に根ざした言論活動・学術運動を明らかにしたこと、Bアメリカの大学のLiterary Societyの導入としては、札幌農学校(現北海道大学)の開識社に先を越されるものの、政治的関心の強さや地域への影響などを考えるならば、東奥義塾の「文学社会」=「文学会」に軍配があがると評価したこと、などである。イング時代の東奥義塾が、慶応義塾の影響から徐々に離脱しながら、インディアナ・アズべリー大学を経由して、アメリカ文化を直接的に受容していたことは、おおいに注目される。

 第4章は「津軽地方初の米国留学」「インディアナ・アズべリー大学での東奥義塾生たち」「最初の留学生たちの帰国と第2期米国留学生たち」「留学生たちが立証した草創期東奥義塾の水準」の四節から成り、珍田捨己をはじめとしてインディアナ・アズべリー大学に留学した若者たちの生活がたどられている。北原氏はイング時代の東奥義塾がインディアナ・アズベリー学と「姉妹校」関係にあつたことを指摘し、本章の内容をまとめて、「結」でこうのべている。「東奥義塾から米国留学した学生たちは全員、アメリカ人学生を凌ぐ成績を修めた。それは、当時のエリート中のエリートであつた日本人官費留学生たちに決して引けを取るものではなく、総体的に見てやはり彼らを育てた東奥義塾は、全国屈指の水準であつたと考えられるのである。」本書の最終的結論であろう。

 第5章は「マックレーの『日本からの書簡集』」「マックレーと東奥義塾」「マックレーの再評価」の三部から成り、これまでイングの華やかな経歴に圧倒されて、なかば忘れ去られ、なかば謎に包まれていた二代目外国人教師マックレーの実相を明らかにしている。マックレーは横浜を出発して、函館経由で青森港に上陸したとき、「ここはまさに、本当の日本なのだ」(『日本からの書簡集』)と語った人物だが、この章に北原氏の深い思いが込められていることについては、ぜひ「あとがき」を読まれたい。

     三

 以上のように、本書は文明開化期における洋学やキリスト教の受容をめぐる「日本の縮図」を東奥義塾に見出し、「地方独自の文化受容の在り方」を主張している。本書によつて近代青森県史研究が重要な前進をとげたことは明らかだが、広く近代日本、あるいは近代文明を考えるにあたって、提出されているいくつかの論点をあげてみたい。

 第一に、第3章でふれられているイングと自由民権運動との関連である。年、外国人と自由民権運動の関係性が強調されているが(稲田雅洋『自由民権の文化史』筑摩書房、二〇〇〇年、新聞人ブラックの例)、津軽地域においても外国人が自由民権運動に深く関わっていたことは、自由民権運動を国際的な視野から再評価することになるだろう。

 第二に、第4章でふれられているイングと留学生との関連である。イングは彼らに教育者と同時に宣教師としての将来を期待していたという。たんにイングの個人的な希望だけではなく、彼が属するメソジスト派のアジア宣教戦略との関連も強いのではなかろうか。ミッションとアジア宣教(駒込武「「文明」の秩序とミッション」『年報近代日本研究』19、一九九七年、参照)という文脈のなかに東奥義塾を位置づけることも魅力的だろう。

 第三に、第5章でふれられているマックレーの津軽紹介の問題である。北原氏は、津軽の洋学受容が日米の文化交流・相互交流に貫献した点に注目している。評者もかつて、偶然手にしたマックレーの『日本からの書簡集』に岩木山や弘前の図版を見たとき、当時の米国における日本イメージの重要な環を津軽が占めていたことに驚いた。日本をめぐる他者像は豊かである。まだまだ探らねばならないだろう。

 第四に、近代日本への外国人の眼差しに対する応答の問題である。多くの来日外国人が幕末維新期の日本を観察した(渡辺京二『逝きし世の面影』葦書房、一九九八年、参照)。そうした視線に対して、人々はどう応えたのか、はたして外からの視線は掛け値なしのものだったのか。本書のような個別研究がもっとなされる必要があろう。

      四

 総じて、文明開化期の東奥義塾および津軽地域は洋学やキリスト教をめぐつてエキサイティングな時代をおくつていたことがわかる。それは書名にある「受容」というどこか受身的な空気ではなく、「選択」あるいは「獲得」といった積極的な姿勢を感ぜずにはいられない。この時代は米国にとっても内戦(南北戦争)後の統一国家づくりの時代であつた。津軽の東奥義塾という窓口を通して、日本と米国が新たな近代・近代文明に向かつてともに試行錯誤していた構図を読み取ることも可能ではなかろうか。北原氏は「近代史上における文化受容の多様性」を結びの言葉にしているが、さらに展開するならば、文化の形成過程それ自体が多様であり、つまるところ文化の動態とは多様なのであろう。書名にある「地方の近代」を、評者はこう読みたい。

 北原氏が対象とした時代と地域において相互に行き交った近代・近代文明づくりのベクトルが、その後どのような弧を描いていったかについても、ぜひ知りたいところである。続編を期待したい。本書では東奥義塾における西洋音楽(讃美歌)の受容といった、ピアニストでもある北原氏ならではのオリジナリティあふれる切り口や、女子教育の実態などについても言及がされている。評者の能力と紙幅の関係上、ふれることができなかった。北原氏および読者の皆さんのご海容を請うのである。

 最後に。イギリス人の旅行作家イサべラ・バードが一八七八年に北日本を旅行したさい、三人の若者の訪問をうけた。彼女は旅行記につぎのように残している。「三人ともすばらしく知性的な顔をしていて、きれいな身なりの青年であつて、全部が少しばかり英語を話せた。その中の一人は、私が今まで日本で見たうちで最も明るく最も知性的な顔をしていた」(『日本奥地紀行』東洋文庫)。彼らこそ東奥義塾生であつた。彼女の絶賛は三人の若者を産み出した津軽の近代への絶賛でもあつただろう。この時代の津軽はいまだ周縁ではない。  
(かわにし・ひでみち 上越教育大学助教授)


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