石塚 尊俊著『出雲国神社史の研究』
評者:中村 慶太
掲載誌:御影史学論集27(2002.10)


 著者は、周知のように、山陰地方をフィールドとして研究をつづけ、山陰民俗学会を主宰されてこられた。のみならず日本民俗学会の創設期から活躍しつづけておられる。本書は、著者の広範な研究分野のうち、題名のように神社史に関する論文集である。構成は次の通りである。(中略)

 自序でもふれられているようにT、U、W章は古代が中心である。T章では、『出雲国風土記』などから出雲国の聖域とされた九つの地域の状況をのべられている。つづけて風土記研究における、記載の社名、行政区画や行程、神名火山、出雲国以前の小国、神話の意義といった問題をとりあげられている。

 V章では、「風土記」と『廷喜式』神名帳の神名の表記の違いや記載順序の問題をとりあげ、「風土記」より「式」に個々の神社をはっきりと区別しようとする姿勢があり、それが表記の違いにあらわれたとし、「風土記」の社格順から「式」は地域順になったとする。

 W章は、T、V章でとりあげた出雲大社をはじめとする古代から現代につづく神社についての概説と祭祀の報告である。

 出雲といえば、従来、古代の「風土記」や記紀神話が注目をあつめ、神社史においてもそれを現代の神社に比定しようとする研究がよくなされてきた。V章では、これまであまり研究されてこなかった中世、近世の様子を明らかにしようとされている。これが本書の特徴であるとおもわれる。

 江戸時代の地誌『雲陽誌』から村氏神以上のものを対象に、古代からの流れをくむもの、他国から勧請されたもの、陰陽師などの民間教者や民間信仰によるものなどに分類されている。このうち勧請神社に注目し、系譜としては八幡宮が武神となったことから圧倒的におおいこと。また、紀州熊野権現の影響がつよいことを指摘されている。時期的には平安中期からの荘園の設置によるもの、南北朝から戦国期の廻国する御師や武将の勧請によるもの、藩政下のものの三期にわけられるとした。そして、石高から近世には勧請神社が優位であったとした。それが明治維新後の社格制度で、式内社が再び重視されたとしている。さらに、先述の八幡宮と熊野権現について、個別に事例をあげておられる。

 全般に慎重かつ実証的な研究姿勢につらぬかれている。とくに古代をみるとき、現代の地図のようにくまなく行政区画ができているとみてはいけないという指摘や、「風土記」から現代にいたるまで神社がそのまま存続したかのようにみるのでなく、歴史の流れをふ
まえてみるべきという指摘はたいせつであろう。


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