鈴木 哲雄著『中世日本の開発と百姓』
評者:鎌倉 佐保
掲載誌:社会経済史学68-2(2002.7)


 本書は、これまで中世の「開発」および「百姓」をめぐる問題について一貫して独自の視点からその本質に深く切り込む議論をしてきた鈴木哲雄氏が、既発表論文に新稿4編を加え、自説を再論、展開したものである。「開発」「百姓」およびそこから論じられる土地所有論は、中世史研究のもっとも根本的な問題であり、先行研究の厚い蓄積があるなかで、問題を明確化しこれまでの枠組みを相対化する本書の問題提起は広く議論を呼ぶものであるといえよう。まずは本書の目次を掲げる。(中略)

 これまで中世開発論は、中世成立期を「大開墾時代」と位置付け議論を展開してきた。しかし著者は、まず序章において、この定義が戸田芳実の開発論の誤用に発し、その後も十分な検討のないまま前提とされてきたこと、また具体的な開発形態の研究成果からも論証しえないことを明らかにする。そして本書における論証をふまえ、「中世成立期は『再開発』の時代であり、中世は農業技術の集約化の時代である」と位置付ける。

 この認識を裏付けるのは具体的な「開発」の理解である。第1章では、越後国石井荘の11世紀中ごろにおける開発の実態と在地構造を分析し、「開発」の語が荒野の開墾などの開発行為一般を意味しているのではなく、浪人を労働編成し散田−請作関係をすすめることを意味したことを明らかにする。また武蔵国熊谷郷における熊谷氏の領主的開発と領主経営の展開を論じた第2章、鎌倉時代前期における鎌倉幕府の東国開発命令と検注の問題を論じた第3章においても、東国における中世的所領の形成・展開の前提となった領主的開発が荒廃田の再開発であり、中世の開発とは不安定耕地を安定化、満作化することであったことが明らかにされた。

 つづく第U部ではこの「開発」の構造的理解を前提に、中世百姓の性格と土地所有の問題が論じられる。第4章では、『御成敗式日』42条が年貢所当の未済のない限り人身・土地緊縛されないという中世百姓の性格=「去留の自由」を前提に立法された法であることが細かな論争史の検証と批判を含めた議論を通じ明らかにされる。中世百姓は「去留の自由」をもつ存在であり、それが散田−請作関係を基本とする庄田や公田の経営形態=「『開発』の構造」にもとづき存立していたとする。補論2は、式目42条をめぐる諸説への批判と自説の再論である。第5章では、さらに中世百姓と土地所有との関連(占有意識の希薄性)を論じ、「中世社会における名田・一色田体制の生産構造を支えるものが『開発』の構造(散田−請作関係)」であり、こうした生産構造のなかで中世百姓は請作者であり土地所有から自由な存在として位置付けられるとした。つづく第6章では、作手や請作権に対応する具体的な所有の形態として、土田と作毛の存在が明らかにされた。著者はこれを田地や下地などの「不動産」とは次元の異なる「動産」としての所有であるとし、「中世百姓は『不動産』としての土地所有から自由であった」と結論づける。

 第V部第7章は、常総地域における「ほまち」「ほつく」史料の精緻な検討から、これが播種量により作付面積が表示された直播農法による耕地であり、低湿地における農民的な開発地の一形態であったことが明らかにされる。第8章は、東国社会における下人・所従の存在を、「現実の生活形式」に即して分析し、中世の東国社会が「奴隷包摂社会」であったと位置付ける。これらは本書のもうひとつの論点である東国社会を在地の視点から論じたものである。

 以上を論じた上で著者は、「請作」「請負」をキーワードとして本書を総括し、中世社会は「重層的な請負社会」であり、その「重層的な請負関係を根底で支えていたものは 領主一百姓間の請作関係であった」と結論づけた。

 以上簡単に本書の内容を紹介したが、本書の特徴はなにより「『開発』の構造」という独自の社会構造論にある。もちろん本書の意義はそれだけにとどまるものではないが、ここでは本書の核心ともいうべき「開発」と土地所有の問題を中心に見てゆくこととしたい。

 まずこのような観点からもっとも注目されるのは、百姓の本来的性格を請作者と規定する荘園制的支配原理の発見である。著者は、「去留の自由」をもち土地所有から自由であった百姓の基本的性格が、荘園制の成立段階に創出された散田−請作関係−−それによって規定された領主−百姓閑係および百姓と土地との関係−−をもとに存立していると見るのであり、この散田−請作関係(「『開発』の構造」)を荘園公領制社会の形成原理であるとした。これは著者自身も触れているように、戦後歴史学における奴隷から農奴への発展を基本とした封建制成立論や、私的土地所有の深化・進展を軸とした領主制論・農民的土地所有論へのアンチテーゼである。ここでは特に以下の2つの点が重要である。

 第1に、領主−百姓関係を「請負」という契約性を基本に据える観点である。第1章では、「開発」による労働編成が領主制支配の実現を意味しなかったことを指摘し、領主側と百姓側との人身的支配隷属関係をめぐる相反する指向の存在とその対立構造を描くが、著者の議論は、領主制あるいは荘園制的な「支配」と百姓・村落との関係について、これまでの枠組みを越える新たな視角を提示するものであろう。第2に、百姓と土地所有の問題に関して、耕作権から所有権への発展論の否定である。著者の指摘の通り、永原慶二の主張した「単なる耕作の事実の積み重ねからは所有権はおろか耕作権さえ成立しないのではないか」という指摘は極めて重要であり、それを発展させた著者の議論もまた土地所有論にとって重要な意義をもつものである。そして、有期的請作の継続から説明付けられてきたこれまでの作手論に対し、作手を「開発請負」によって成立した所有権として明確に定義づけた。これは作手の所有の根源が開発主体と請負者との「開発」をめぐる契約にあったことを示しており、重層的土地所有の形成についても新たな議論の展開を導く重要な指摘といえよう。

 次に評者が疑問に感じた点について述べたい。それはまず「開発」の理解にある。著者は「『開発』の構造」とは「十世紀後半から十一世紀にかけての公田や庄田の新たな経営形態」(151頁)と説明し、「開発」を経営形態の側面から捉える。だが、開発=開くという行為には、その後の経営とは区別される独自の意味があるのではなかろうか。例えば第3章で挙げられている陸奥国好島荘の事例では、著者は「三ヵ年の雑公事免除を条件に『常々の荒野』が地頭別名として開発され」た(99頁)とするが、この部分は「三箇年以後免除雑公事、可弁町別所当准布拾段」とあって3ヵ年以後は雑公事のみの免除で所当を弁ずる、つまり開発後3ヵ年までは所当・雑公事が免除されたのであり、地頭は開発特権として3年間の所当・雑公事免除を得ているのである。開発=開くという行為には、それが後の経営形態を規定したと理解するとしても、未開発地や荒廃田を開いて可耕地にする行為、後の経営を可能とする初発行為として独自の意味を認める必要があるのではなかろうか。

 この点は所有権の発生を考えるとき、より重要な意味をもつように思われる。著者は「『開発』の構造」における請負関係として「散田請作」と「開発請負」という2つのパターンを示すが、その請負者についてはともに「請作者」として土地との関わりの希薄性を論じている(第5章)。しかし何を請け負うのかによって、すなわち耕作の請負(請作)と「開発」の請負とによって、土地との関わりには大きな差異があるのではなかろうか。それは請作権=耕作権と作手=所有権とを明確に区別する著者の議論においては、極めて重要な点であるはずである。「開発請負」には、開発=開くという行為が所有権を生む構造が認められるのであり、ここに請作とは区別される、開発という行為のもつ性格や権利意識を認めるべきではなかろうか。「『開発』の構造」において「請作者」の地位にあった中世百姓が土地所有から自由であったという著者の議論は、まさに正鵠を射ている。だがそれは「開発請負」という重層的な請負関係の場合にあっても、「散田請作(有期的請作)」の閑係において理解しうると思われるのである。

 また請作に対応する「作毛」の所有や、「土田」の存在が明らかにされたことは極めて大きな成果であった。だがこの議論のなかにも、作手と請作権との差異の不明確さを感じるのは評者のみであろうか。第6章において著者のいう「農民的土地所有」とは何をいうのか、「請作・耕作の継続による『事実上の所有』」なのか、請作権なのか所有権なのか、また「作毛」は「動産」として理解できるが、「土田」も「動産」と言いうるのかなど、その評価をめぐっては若干疑問も残る。「近代の国民国家がつくった「所有」の観念を相対化しようとする」(390頁)著者の意図は十分評価されるべきである。だがそれがいかなる所有として社会的に承認され権利として存在するのか、本書の成果をふまえ今後さらにその具体的様相を明らかにしていく必要性を感じた。

 以上、評者の関心から問題を限定しての評論に終始してしまったが、本書の投げかける問題は今後の中世史研究にとり極めて重要であり、今後多方面からのさらなる議論が期待されよう。評者自身も自らの課題として取り組んでゆきたいと思う。論争的な本書に刺激され、非礼を顧みず批評めいたことを書き連ねた点には何卒ご宥恕をお願いしたい。最後に、本書より多くのことを学びえたことに感謝するとともに、著者の先行研究に対峙する姿勢にも、特に我々後学は大いに学ぶべきであると強く感じたことを述べ、拙い書評を終えることとしたい。


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