鈴江 英一著
『キリスト教解禁以前−切支丹禁制高札撤去の史料論−』
評者:沼倉 延幸
掲載誌:記録と史料12(2002.3)


 本書は、国文学研究資料館が主催する大学院原典セミナーの一講座として、1995年(平成7)に著者が行った講義「函館洋教事件・一八七二〜七五年−近代の公文書は何を伝えるか−」に加筆し、一書と成したものである。

 その中心テーマは、本書の「はしがき」の冒頭に端的に表現されている。「明治維新早々に政府が掲示し、五年後に撤去させた『切支丹禁制高札』について、これがキリスト教の解禁または黙許につながるものであるかどうか、を考えようとするもの」であると。

 1873年(明治6)に五榜の掲示の1枚、キリシタン禁制の高札が撤去されたことが、そのままキリスト教解禁を意味すると、当時も今日も解釈する人々が少なくない。しかし著者は、高札撤去後も依然としてそれを否定する禁教事件が起こったことに着目し、(1)その実相を丹念に検証すると共に、(2)この問題をめぐる官庁公文書、私的書翰、日誌、旅行記、回想録などの文書・記録史料の世界の広がりと、(3)これらが如何様に著者の視野に入ってきたか、ということの「三重構造」をもって構成し、巻末に「史料論」を展開し本書を締め括る。殊に(3)がもたらす本書の特色として、これを読み進めると、著者が史料を集積し歴史像を構築していく過程に読者も参加しているような臨場感がある。

 さて、本書の構成を次に掲げよう。(中略)

 ここで内容を掻摘んで略記しよう。

 第一講では、まず明治政府が高札撤去を検討し、これを進めていく過程と背景について、1854年(嘉永7)の日米和親条約締結から起筆し、アメリカのプロテスタント諸教派、パリ外国宣教会、ハリストス正教会などが日本伝道に着目し宣教師を派遣して活動を始めたこと、維新政府の禁教政策とこれによって「浦上四番崩れ」などのキリシタン迫害事件が生じたこと、このため政府に対し「信教の自由」が保証されていないことへの批判が浴びせられ条約改正の障碍となったこと、といった一連の流れに触れる。

 このようなキリスト教の禁教と解禁という問題の渦中で、函館と仙台の正教徒捕縛事件(洋教事件)が起きた。これは1861年(文久元)に来日したハリストス正教会の修道司祭ニコライの日本伝道活動の過程で1872年(明治5)に生じた事件であり、仙台の正教徒が国禁を犯したとして県当局の手で捕縛され、次いで開拓次官黒田清隆らの主導により函館の正教徒が捕縛された。この事件について、著者は宮城県図書館所蔵同県庁文書、北海道立文書館所蔵開拓使文書、国立公文書館所蔵文書、開拓中判官杉浦誠の記録(国文学研究資料館所蔵)、正教会刊行の『日本正教伝道誌』、カトリック宣教師マランの旅行記などを用い、事件の推移、当時の開拓使や宮城県庁側の思惑、外交問題に発展し外務省とロシア外交団が相対時した経緯、開拓使側の非公式謝罪や長崎などの配流キリシタン諸共の釈放、という顛末について考察を進める。これを踏まえて著者は、このときの決着を「キリスト教徒の全面釈放を意味するものであっても、キリスト教の解禁や黙許を意味し」ないが「その後の対キリスト教政策の方向を新たに開いていることがわか」ると指摘し、第二講への導線とする。

 第二講では、まず前講で検証した関係史料を俯瞰すると共に、次いで「原典セミナー」でこれらの事件、高札撤去とキリスト教政策の問題を採り上げるための研究史の捉え直しと新たに公開された文書などの検証について論じていく。

 すなわち、事件解決のため外務省が太政官正院にあてた文書(本書では「断案」と略称)が正院内達の「教諭赦免」と密接な関係があると言う。この「断案」に記された見解を見ると、仙台・函館の正教徒は長崎のキリシタンと相違して士族であり行動も政事上の障碍がなく、信仰ゆえの処罰を行わず釈放する、という「寛典の処置」が論理の基盤であり、これがのちの対キリスト教政策の重要な転回点になっている、と著者は論じる。その上で赦免後の正教徒の動向を追っており、正教徒にはこの洋教事件の顛末が正教を盛んにするとともに開拓使の権威を失墜させたという意識があること、一方の教部省が進める国民教化の担い手である神道・仏教共同の「教導職」と衝突し、正教徒側が教導職に対し「神」観を問題にした論争を挑むような対立も起きたこと、さらに(当時の正教会が知り得なかった事実として)政府がその動向をキャッチするために諜者を教会内に放ったこと、という事実に触れる。こうした事例を踏まえ、同じ時期に「切支丹札」を含む高札の撤去を命じる太政官布告第六八号が公布された、と論じている。

 高札撤去により、当時のキリスト教界は概ねこれをキリスト教の解禁と解釈しており、また政府部内の外務卿副島種臣は解禁を示唆する「口上覚書」を各国公使へ渡した。こうした解禁ムードの一方で、政府が禁教継続を表明したことについて論じ、一般にキリスト教史の中で高札撤去をキリスト教解禁または黙許と捉えることには無理があることを検証し、あらためて全体像を描く必要を論じて第二講を結ぶ。

 第三講のテーマは、「禁教は解かれたか」とのタイトルに尽きる。著者はあらためて自身の研究を組み立て直す過程を述べ、次いで政府の禁教継続に対するイギリス公使パークスの抗議と外務省の応答について検証する。その結果、この問題解釈で一説となったいわゆる国外解禁、国内禁教という「ダブル・スタンダード論」や政府部内の不統一という「政府齟齬論」には根拠が乏しい、と論じる。そして第二講で採り上げられた「断案」などに目配りをしながら、禁教を継続しつつキリスト教徒の行状次第で取締る、という政府の方向性に着目した。そこで1873〜75年のキリスト教徒取締り事件の具体例を検証し、主に宣教活動とキリスト教式の埋葬などがその事由であり、延いては信仰そのものが表に現れた行為も取締りの対象となったと述べる。ここに「内面の自由には手をつけず、かたや違法行為を取り締まる」という論理が裏付けられるとし、「寛典の処置」の政策上の意味を見出している。いま一つ注目すべきこととして、取締りの結果、太政官や裁判所などの処分は殆どの最終決定が放置されたことを挙げ、政府自ら禁教政策を掘り崩しており、キリスト教各派の多様な伝道が政策を無効化したものであると論じる。さらに、1876年になると、公文書の文言からも禁教継続の主張が消滅していくことや、外務省でもキリスト教の取締りの必然性が薄れているという認識が見られてくることに言及し、この年から1884年の間に「黙許」の状態に至ったが、その時期をまだ何年と特定できないと述べている。キリスト教の解禁が法的に保証されるのは、1889年の大日本帝国憲法第28条によって留保付きながら信教の自由が認められるまで待たねばならない、と付言している。

 終章は、史料の探索を皮切りに、「近代」史料論の深化が必要、と述べて結んでいる。ここは是非読者が直接読んでいただきたいところである。

 一読した範囲での読後感に過ぎないが、近年は家近良樹氏著『浦上キリシタン流配事件』(吉川弘文館、1998年刊)や中村健之介氏ほか共編『宣教師ニコライの日記』(北海道大学図書刊行会、1994年刊)など、幕末から明治期にかけてのキリスト教史に関わる好著、貴重な史料集が出版されており、本書が刊行されたことの意義はあらためて大きい。政策・制度と実態という問題は多くの歴史的テーマを研究する上で常に意識下に置かれるが、高札撤去と「キリスト教解禁」の問題について、本書は一般に伝えられる歴史像を史料の集積と分析に基づき明確に否定する。一方、言うまでもないことであるが、公文書に限ってみても未検討の文書が残されており、かつ本書で保留にされた問題などはさらなる史料の収集・分析が求められよう。本書の刊行を契機に、このテーマ、さらには海外史料を視野に入れたキリスト教史研究の一層の探化が進むことを望んで止まない。

 また本書は、著者が多年にわたって取り組んでこられた近代史料と「キリスト教解禁」をめぐる多様な研究・実践の成果が結実していく流れにも意が用いられている。著者は、研究過程における「史料の拡大体験」は「歴史研究者だれしもが経験しているはずで」あるとし、本書でもそれは「オルガン演奏でいえば曲の下支えをする通奏低音ともなる大事なテーマの一つで」あると言う。本書が1点の原典を採り上げるセミナーとは趣を異にし、史料の集積によって形成されたものであるだけに、読者も(セミナー受講者も)その臨場感と共に読み進めることができる。しかも副題「切支丹禁制高札撤去の史料論」の通り、さまざまな史料(群)の調査・整理・保存・利用といった問題、換言すれば史料を後世に伝えていくことの実践とその肝要性についても、著者が目の当たりにした場面が幾たびか再現されており、このことを通してリアルな体験を共有すると共に、深く考えさせられる。例えば第一講では、現在北海道立文書館で保存・公開されている開拓使文書などの公文書類の簿書約1万1,000冊について、その整理を道庁に就職して間もない著者に任されたことによる整理作業の模様を始め、実は1901年(明治34)の記録に比して約1万冊が行方不明となっていること、またこの文書群がどのような性格・構造をもっているか、そして本書のテーマとなるキリスト教禁教関係文書(高札撤去後の禁教継続を示す文書)との出会いなどが記されている。これ一つを読むだけでも、これから史料の世界に沈潜しようとする者にとって多面的かつ恰好のテキストになっている。

 なお、本書の巻末には「引用史料・参考文献目録」が掲げられており至便である。拙稿では敢えて本書が成り立つ上で参看した論考などについて逐一記さなかったのは、本書を読み進める上での臨場感を予め削ぐことを避けたいという意識があってのことだが、無論この目録によってそれを簡便に調べることができるからでもある。
(宮内庁書陵部)



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