小松 芳郎著
『市史編纂から文書館へ』
評者:佐藤 宥紹
掲載誌:記録と史料12(2002.3)


 旧聞となって恐縮ながら1999年11月、筆者・佐藤は全史料協新潟大会の研修会で、著者・小松芳郎氏による同タイトルの講演を聴いていた。「あとがき」を読ませていただくと、本書刊行の企画はその講演前にあり、講演後に企画が本格化したもの、とのことである。

 研修会で氏は、市町村史編さんの原則として@(記載の)水準を守る、A(原稿の)分量を守る、B(執筆の)時間を守るの、三原則を掲げた。さらには松本市と合併する前の旧自治体に残された公文書を、地元在住の市民による助力を得て、整理・保存に努めたと、話されていた。氏はその軌跡を、それこそ情熱を傾けて紹介され、会場の出席者の共感を呼んだのだと思う。本書を手にして、あの講演がここに示されたほんの一部であったことを、のちに知ることとなった。氏はその後も、全史料協の大分大会や長野大会で報告され、資料保存委員会の委員長として活躍をされている。9年間の市史編さん事業終了とともに間髪をおかず、長野県で初の、全国的にみても市町村段階ではまことに稀少な文書舘開設を実現した、小松氏による文書の保存・整理の理念をおりこんだ事業報告書である。出版を歓迎したい。

 はじめに、主要目次を掲げておく。(中略)
 
 目次を一見して理解できるように、松本市史の編さん事業を開始した時から文書館開設を目標にすえ、市史編さんのうえからはもとより文書館開設をめざした資料の保存・整理を意図的・計画的・組織的にすすめ、編さん事業の終了とともに文書館開設を実現した点で、自治体史編さんをすすめるうえでも、自治体史出版後に編さん体制を文書館へ移行するためにも、具体的な提案を行ってきわめて示唆的である。

 それと言うのも、北のハズレに位置する北海道内での、まことにささやかな体験で恐縮ではあるが、市町村史編さん事業に携わる方々とお話していると、多くは二つの方向に議論がわかれる。

 その一つは、当面する市町村史の編さん業務をどのように処理していくか、ということである。市町村のすすめる自治体事務のそれぞれには、少なからずマニュアルとでもいうべきものがあるらしい。そうしたなかで自治体固有事務としてすすめられる市町村史編さんには、どこにでもあてはまる指針というべきものが乏しいのだとされる。だから、市町村史編さんの事務を、どのようにすすめるか。その情報が求められており、本書はその点に正面から答えていることである。

 その二は、市町村史編さんで収集された資料の、その後をどうするかである。選択肢としては、@編さん終了時のままで関係課に引き縦がれる、A資料の閲覧業務を担当している図書舘・博物飴に継承されるも、恒常的な市町村史編さん体制の維持や公文書舘のような独立部局の設置は難しいという制約、B最近では公文書館を開設し、自治体史編さんのために集められた史料に加えて公文書についても、市民に閲覧させてゆく、という方向が考えられている。

 だが、関連課に引き継がれた史料のなかには、その後の管理がうまくゆかずに消滅したという話をなかには耳にしてきた。このため後代になって、同じ町でありながらその後の自治体史編さんに支障をきたしているという話を聞くこともあって、残念な思いをしたこともある。

 筆者は、1970年前後と1995年前後の二度にわたり、自治体史の編さん業務に従事したが、一度目の1970年を前後する時期には、記録・資料を保存する概念や、文書館の存在が広く受けとめられていなかった、ということもある。もとより、山口県や埼玉県の文書舘がすでに存在したし、クセジュ文庫かに『文書舘』なる確かフランスの日本語訳書も出回っていたのであるが、市町村史編さん関係者や行政当局の理解を獲得できる段階ではなかった。つまり自治体史の刊行・出版が目的化されて、編さん事業が終了した段階で編さんする機構も、編さんによって蓄積された刊行物以外の地域情報も、そして編さんのために収集した資料も、あいまいなうちに消滅していく、≪記念・臨時的事業≫ として取り組まれることが多かった。

 四半世紀を経て、1995年前後の自治体史編さん事業の環境は、いくぶん変化していたのだと実感してきた。資料保存の概念が、正面に据えられることになったのである。これまた乏しい情報量で失礼があってはいけないが、市町村史編さん後に文書館施設に発展させたケースとして、尼崎市立地域研究史料館、藤沢市文書舘や八潮市資料館の例があって、それぞれの舘が刊行する紀要などに掲載された論文が、ポスト市町村史編さんの枠組み設定に影響をあたえてきたのだと、思う。因みに、私の勤務する釧路市地域史料室なる名称は、尼崎市立地域研究史料飽の影響を残している。そして同館は、《恒常的な自治体史編さん事業》をも掲げ、現に来るべき市制施行百年にむけた尼崎市史縞さん事業をすすめている。

 つまり全国に多くの自治体があって、それぞれに市町村史編さんとその後の事業展開に多くの情報が必要とされているのに、その指針となるべき情報が乏しいのである。本書は小松氏の努力や、松本市当局の理解を経て市町村史編さんから文書館へ移管していくプロセスを示して、多くの示唆と展望を与えている。

 読ませていただくと、書名となっている《市史編纂から文書舘へ》が、きわめて円滑、かつ効率的に進められた軌跡に接することができ、しかも明解である。その理由は、

 @ 市史の編纂と資料保存が一体のものとして進められたこと、
 A 旧町村合併文書整理などを軸に行政側と地域の、(昨今、行政側は好んでこの語を用いる)協働による事業として史料の保存・整理をすすめてきた過程を経ている結果、初めに《史料保存ありき≫のコンセンサスが市民側にも形成されていたこと、
 B 膨大な、しかもち(緻)密に整理された市史編さん史料を基盤として文書館に移行したこと。このため、小松氏は現用文書のうち歴史資料として重要な文書の保存を、どうするかが課題である(108ページ)と提起しながらも、
 C 市史編さん室と庁内公文書保存を担当する文書係が同じ行政管理課にあったことで、文書館へ移行する庁内合意もスムーズに確立した、少なくも以上四点にわたる課題が、障害もなく確立されたことが、手にとるように伝わってくる。しかしそれだからと言ってどこの自治体においても、市史編さん事業から文書舘への移行がこれほど円滑にすすむのかといえば、実際はそういうことではないのだと思う。思うと言うより、実務を担当している立場で言うと、文書飴の存在や必要性が行政内部で理解される、あるいは市民権を獲得してゆくのには、むしろ多くの曲折をともなっているとの実感のほうが、はるかに強いのである。

 松本市の場合、そこのところが円滑に行っているようにみえるのは、実は『松本市史』を編さんする過程での膨大な努力が実をむすび、幅広い合意形成が可能であったのだと紹介されているように思う。つまり、

 @ 隔週ごとに、毎回1,000部を通算222号まで発行し送りつづけた、『松本市史編さん室だより』の編集と刊行、
 A11冊の『松本市史』刊行だけでも困難であるにもかかわらず、それを加えて21冊に及ぶ諸報告書を発行しつづけた努力と成果、
 B 個人宅に保存される史料の悉皆調査と1万5,000本に及ぶ撮影フィルムの確保と整理、及び目録化
 C15か所の支所、出張所に及ぶ旧村役場文書を含めて7万点余の整理、
 D 500人を超える市民・生活者の聞き取り調査とその情報整理のうえに、『松本市史研究』などを通じた情報の還流、
 E 文書舘開設にあたり、開設地の居住民、資料所蔵者と資料調査協力者との十分な合意形成の努力、

 など、などである。いずれも市史編さん事業にとっても、文書館開設にとっても、円滑にすすんだ理由であり、努力の過程というべきである。

 ここまで、紙幅を割きすぎた感がないではない。それを思いつつも、なお遠まわしの言い分になったことには、筆者なりのひとつの思いがある。それは、本書のタイトルのように「市史編纂から文書舘へ」は、資料・記録の保存管理のうえからはきわめて明快にして具体的な目標であるけれども、地方自治体の第一線で実務を担当している立場からすると、臨時・記念事業的な自治体史編さんを恒常的な編さん体制に移行してゆくこと、非現用企文書などのうちから歴史資料を保存していくこと、テンポの速い時代に歴史情報を掘り起こしかつ保存することに、庁内合意を形成し、コストと人員を投入しつづけることは、昨今の自治体財政の緊迫度をまつまでもなく、意外にたいへんなことと実感しているむきが多いのではないだろうか、と考えているからである。たとえて言えば、《定年を迎えた公文書》を《再任用》し、《廃棄されることになっている公文書》が保存・活用されることに市民権がえられるには、それなりの努力が不可欠である自治体が多いのが、現実なのである。

 小松氏は、これからの課題として三点をあげておられる(123〜124ページ)。資料保存機関とのネットワーク、生涯学習の場としての文書館活動をいかに創造するか、「歴史資料としての公文書」をいかに選別して未来にのこしていくか、の三点である。氏のこれまでの実績に則してゆけば、難しいこととは思えない。ただ、第一線で実務を担当している立場からすると、文書館開設をめぐる庁内論議の過程や、図書館施設などとの機能分担の論議がいかに進められたのか、知りたい点ではあった。ただそれは蛇足というものであって、現に自治体史編さんを担当している人にとっても、自治体史編さん後の次の体制を模索している側にも、多くの提案をされている。すなわち、市史編さん事業から文書館への転換をなしとげた手際の良さと、周到な意図的・計画的・組織的な戦略に、刺激される点の多い書であった。
(佐藤宥紹・釧路市地域史料室)


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