森田 登代子著
『近世商家の儀礼と贈答−京都岡田家の不祝儀・祝儀文書の検討−』
評者:米村 千代
掲載誌:家族社会学研究第14巻第1号


 儀礼と贈答というフィルターを通して、近世社会のリアリティー、とくに衣食住にわたる日常生活を垣間見ることができるところが本書の魅力である。分析されているのは、京都の薬種問屋、岡田家に約90年間(1772年〜1867年)にわたって残された儀礼文書、とくに不祝儀文書、祝儀文書である。著者はこれらの文書をていねいに解読していく作業から、「当時の社会・風俗・生活文化の解明」(本書序論より)を試みる。

 第1部では不祝儀文書を扱い、葬儀、追善法要、遺物進上(形見分け)の分析にそれぞれ1章があてられ、だれになにが贈与されたかが明らかにされる。衣裳に関する指摘も興味深い。死装束、喪服、衣裳贈与に焦点を当て、男性が女性に劣らず衣服を所持していたことなど、今日とは異なるジェンダーや年齢の間の差異を指摘する。また、岡田家では、男性ではなく女性に煙草道具が譲渡されていることから、喫煙は中年女性のたしなみであったのではないか、とも語られる。当時の人々が死をどのように受容していったのか、儀礼に際してどのような社会関係が確認・再構築されているのかを分析することは儀礼分析の常であるが、当時の消費文化にも光を当てているところは本書の特徴の1つである。

 第2部の祝儀文書の分析では、婚礼、婿養子婚と、出産、通過儀礼、癌瘡見舞いなどの産育をめぐる贈答や儀礼が対象となる。ここでも近世生活文化の断片をみることができる。たとえば扇子を贈る習慣の背景には、扇子業者の振興や、小笠原流、伊勢流といった礼儀作法の普及が作用していたとする点、乾物」は祝儀・不祝儀の両方に用いられるのに対し、鰹節だけはなぜか不祝儀贈答には忌避された点、出産に際して豪華な贈答品があまりみられないのは、当時の乳幼児死亡率の高さから質素にとどめたのではないかという指摘なども興味深い。なお成育儀礼にあっては、贈答品には成長に伴った変化はそれほどみられないものの、祝宴はだんだん豪華になっていくという。著者はそこに当時の子ども観の現れをみる。婿養子の分析では、その豪華さ、贈答品の多さから、本人への生前贈与の意味、さらには婚家での立場への配慮など、当時の社会における婿養子の社会的位置を示唆する。

 本書は、仮説を検証するとか、近世儀礼に関するあらたな説を打ち立てるということよりも、むしろ1つの家の文書を丹念に読み解くことから、近世社会の日常を、そのトリヴイアルな点にまでわたって照射したところに重点があるといえるだろう。これらの資料から、90年間の当家の経営状態や本家分別家関係を絡めて考察すれば、社会経済、政治的側面に関する分析も可能になるだろうし、随所に示唆される近世家族の情緒的側面、死生観、子ども観を近代家族論に照らし合わせて解釈していくことも、またおもしろいだろう。いろいろな読み込み方、活かし方、展開の仕方が可能になる一書だと考える。


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