鈴木 哲雄著
『中世日本の開発と百姓』
評者:薗部 寿樹
掲載誌:日本歴史651(2002.8)


 本書は、『社会史と歴史教育』(岩田書院、一九九八年)につぐ、鈴木氏の第二論文集である。「T 中世の開発」、「U 中世の百姓」、「V 東国の社会」の三部構成で、序章・終章を含め全十章、補論四編からなる大冊である。

 序章 中世開発論─「大開墾時代」説・再考

 中世の開発に対する性格規定を論拠として、ほぼ通説となっている中世成立期=「大開墾時代」説に疑義を呈する。本書は冒頭から論争的である。
 
T 中世の開発
  第一章 越後国石井庄における開発と浪人
  第二章 武蔵国熊谷郷における領主と農民   
 第三章 中世東国の開発と検注
  補論1 中世的開発論の地平−木村茂光=畠作論によせて─

 Tでは、序章で述べられた開発についての見解が、具体的な事例で検討されている。中世的な開発とは、未墾地の開発ではなく「荒野」・「荒廃田」の再開発であり、その特質は農業技術の集約化にあったとする。面積を拡げるだけが開発ではないということ。

 U 中世の百姓
  第四章「去留の自由」と中世百姓
  補論2 式目四二条と「去留の自由」をめぐつて
  第五華 中世百姓と土地所有
  第六章 土田と作毛─農民的土地所有・再考─
  補論3 戸田芳実著『初期中世社会史の研究』をよむ

 Uではまず、御成敗式目第四二条との関連から中世の百姓が「去留の自由」をもつ存在であることが示される(第四章)。また、Tで説いた開発の中世的性格とも関連して、中世百姓の土地との関わりは請負(請作)関係にあり、中世百姓は土地所有から「自由」であったとする(第五章)。百姓は領主や土地からも自由なのだと、いささか挑発的に説く。この間の言説が、本書の中核をなすと思われる。この点(特に第五章)は後述する。

 V 東国の社会
  第七章 常総地域の「ほまち」史料について
  補論4 高島緑雄『関東中世水田の研究』によせて
  第八章 東国社会の下人と所従─「奴隷包摂社会論」の視点から─

 Vでは、中世東国における農民的開発の歴史的意義を高く評価した(第七草)。また奴隷包摂社会論の立場で、下人・所従の主体的なありかたを検証した(第八草)。在地領主支配下の地域ではすべてが在地領主にからめとられているかのようなイメージが、学界にはいまだ根強いと思う。こうした既成観念に対して、鈴木氏は風穴を開けたのである。この点はもっと注目されるべきだろう。

 終章

 本書の論点は、「請負」関係で説明できると概括する。中世社会の特質を根底で支えていたものは、領主─百姓間の請作関係であると結論する。

 まことに野心的な一冊である。

 さて、中世の土地所有(観念)のありかたが現在のそれと大きく異なっていることは、これまで土地売買や徳政との関連からも、いろいろと指摘されてきた。しかし、それを中世百姓の去留自由という性格と関連づけて議論したのは、鈴木氏がはじめてだった。これは、論文(第五章)初出の当時、逆転ホームランといった感じの斬新な発想だった。そのため、この議論には当初から、いろいろと批判がでた。「中世百姓に土地所有がないわけがない」などの反論に接すると、確かにその通りかなとも思ってしまう。しかし、それでは、中世における土地所有の特質は当時の社会諸階層のありようとどのように関連しているのか。この点について、諸氏の鈴木批判は何も答えていなかった。

 このことは本来、逆に、中世社会の特質がいかに土地所有のありかたを規定していたのかと言うべきであろう。いずれにしろ、鈴木氏の発想の筋そのものは間違ってはいないと思う。ただ中世百姓の特質が「去留の自由」にあるということ、中世百姓が所有から「自由」であること、そして両者が結びついていることなどについては、実は評者もまだ得心がいっているわけではない。

 それは、鈴木氏に対する諸氏の批判も不十分なように、鈴木氏のフォローもまだ十分ではないからであるとも思う。鈴木氏は、「土地所有の進展あるいは深化を機軸におくという研究視角そのものを問い直そう」、「近代の国民国家がつくった『所有』の観念を相対化しよう」(いずれも三九〇頁。傍点は同氏によるもの)と述べている。それならばこそ、土地所有のありかた、百姓のありかた、およびその相互関係が、その後どのように変化していったのか、このことをきちんと示しておく必要があろう。

 あまり気乗りしないようにみえた鈴木氏に、歴史学研究会委員として大会報告(第五章初出論文)を要請したのは、評者であった。この文章を書いているのも、その縁であろうか。ここに書いたような注文も、大会報告準備の段階で鈴木氏に話した。それだからこそ、願う。今後、この視点をさらに有効かつ強烈に展開させてほしいと。

 最後に評者の議論にことよせると、「百姓」というのは身分呼称である(薗部寿樹「中世前期の百姓身分について」『日本史学集録』二〇、一九九七年)。本書の眼目ではないにしろ、「百姓」に対して身分としての考慮がほとんど加えられずに議論がなされていたのは、残念であった。
 なお、評者の誤読・誤解があれば、著者および読者のご海容を乞う。著者のさらなる研究の進展を期待して、擱筆したい。
(そのべ・としき 山形県立米沢女子短期大学助教授)


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