高原 豊明著
『晴明伝説と吉備の陰陽師』
評者:木場 明志
掲載誌:宗教民俗研究12(2002.7)


 安倍晴明に関心を抱く者、ならびに陰陽道の地域的展開を追う者、の両様が待ち望んでいた書が刊行された。著者の高原氏は人も知る陰陽道研究者であるが、特に、「晴明伝説」なる研究分野の開拓者として著名である。氏は、岡山県下吉備地方を中心に近世の在地陰陽師と池田藩および土御門家(安倍晴明の末裔)との諸関係を歴史学的に掘り起こす一方、東北から九州に至る全国の晴明に関する伝承が存在する地を実地踏査し、詳細極まりない報告を行ってきた。それらは一九九三−九七年に矢継ぎ早に諸学術雑誌に発表され、そのエネルギッシュな行動力と語り口が陰陽道研究に多大な影響を与えた。在地陰陽師・晴明伝説への興味を一気に高めた功績には多大なものがある。世はまさに陰陽師ブーム・晴明ブームにならんとする時期であったことから、氏の研究成果は「晴明モノ」と称されて大量に出回った出版物に止め処もなく無断引用されることになった。氏を措いて晴明伝説研究者はいないはずなのに、氏の成果だけが晴明関係情報として一人歩きし大量消費されたのであった。それに対する氏の怒りは本書のあとがきに記されているが、そのやるかたない想いには同感せずにはいられない部分も多い。

 さて、本書は前述のような二つの内容を持ち、それは二部構成によって示されている。略々目次を掲げておこう。(中略)

 総じて、氏の研究の軌跡をそのままに提示した観が強い。第一部の晴明伝説事例編は、そうであるだけにフィールドワークノートそのものを読むような臨場感がある。反面、必要な記述も不必要な記述も取り混ぜであるということや、民俗調査による部分と文献調査による部分との記述について違和感が残るところもある。自分の足で集めた三百を越える晴明伝説を、塚・屋敷・井戸の三点が見られることに特色があるとまとめ、伝説分布の担い手は陰陽師だけではなく、ほかに修験者・唱門師・念仏芸能者・念仏説教者ら広範な民間宗教者達が関与していたのだとする新しい見解には説得性がある。

 第二部は備中陰陽師を事例とする文献中心の歴史学的研究である。世に言う天和三(一六八三)年から土御門家による地方陰陽師支配が始まったとすることについて、備中陰陽師はそれ以前から土御門家との間に被官関係を築いており、むしろそうした関係が踏襲されて、その後の全国的な陰陽師支配の基本となっていったと見るべきであろうという。これまた「さもありなん」と感じ入る至極もっともな新見解である。また、陰陽師集団内にも階層構造があったことへの言及も新しい研究の可能性を示唆するものとして注目したい0名だけは知られていた上原大夫の詳細研究としても優れている。

 以上、詳細を避けて大略について紹介したが、少なくとも地方陰陽師研究の基本書となるであろうことは間違いない。ただし、備中陰陽師に晴明伝説を担った形跡が見られないことに象徴されるように、陰陽師研究と晴明伝説研究とを一冊にまとめて世に問うことには、いまだ無理があるように思われないではない。また、本書において氏の目指した学問は人類学的研究にあるかと推されるが、とすればそれも未完成の域であろう。あえて厳しい評価とともに紹介するのは、氏による起死回生の一書をさらに期待するからである。


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