森田 登代子著
『近世商家の儀礼と贈答−京都岡田家の不祝儀・祝儀文書の検討−』
評者:本林 靖久
掲載誌:宗教民俗研究12(2002.7)


 本書は、近世後期の祝儀・不祝儀の文書を検討し、当時の社会・風俗・生活文化の解明を試みたものである。具体的には十八世紀後半から明治初期まで、京都衣棚竹屋町で薬種問屋を営んだ岡田家(屋号近江家)に残された文書を手がかりに、都市の庶民階層における儀礼慣行を丹念に究明している。

 岡田家の儀礼文書(一一八点)は二代目傳次郎をはじめ代々の家長が、安永元年(七七二)から慶応三年(一八六七)までの約九十年にわたって祝儀・不祝儀に関する事項を中心に書き綴ったものである。著者の意図は、この文書を総合的に検証し、祝儀・不祝儀の通過儀礼の全容を明らかにし、儀礼習俗や生活文化、とくに親類縁者問のつきあいによって形成された社交文化や贈答文化の社会的意義を詳細に分析することにある。

 さて、具体的に本書の内容を見ると、第一部の葬礼と追善法要を記す不祝儀文書(七人の葬送と追善法要、遺物進上)の考察と、第二部の婚礼(宿這入・移徒を含む)、出産を含む産育の祝儀文書の考察という二部構成からなる。

 第一部第一章では、七人の葬礼と葬儀衣裳に着目し、まず商家同族団によって執行される葬礼の一部始終から当時の商家と葬礼のあり方を考察している。そのなかで、七人の着衣衣裳の記述変遷から、世代・時代によって死装束が異なることを検証し、法体年賀卦けの通過儀礼を受けた老人は隠居衣裳の十徳・頭巾を着ること、死装束が庶民階層にまで浸透・定着したのは文化期以降であることを裏付けている。また、葬儀参列時、喪服を借りた人数や借り賃を綿密に分析し、岡田家は裕福な中流商人階層に属しながらもイロや足袋に至るまでほぼ全員が貸衣装を利用したことを検証し、葬送における穢れ意識と経済性を折衷した合理案としての庶民の知恵を指摘している。

 第二章では、当時の死生観に即した追善法要が実施されたことを臨終場面から考察し、つづいて法要到来物の相互比較を試みている。追善法要においては七七日までの七日毎の法要と、初月忌・百ヶ日までの法要の参加人数、法要膳の数、満中陰の配りものを「逮夜参加人数一覧」として詳細に比較検討をおこなっている。さらに「年忌配り物」「忌中見舞到来物」「往生中陰中到来物一覧」「菓子と贈与者」を表にまとめ、法要に対する当時の到来物の傾向について言及している。その中で、十八世紀後半以降、到来物では豆腐切手・洒切手といった贈答切手がおおいに流通した点を社会経済史的に考察し、法要到来物としての贈答切手の意義づけをおこなっている。また、追善法要行事においては法要が遊楽性を兼ねていたことを明らかにし、葬礼や追善法要が親類問の交友の場として機能していたことを指摘している。

 第三章では死者の衣裳を形見分けとして贈与する行事(遺物進上)について考察している。通物進上とは死者が生前着用した衣服を贈与することであり、贈与行為を通して主従関係や親疎関係が如実に反映される習俗慣行と定義づけている。そのうえで、岡田家では被贈与者の選定は親類縁者には義理、奉公人には平等という意識にそって形見分けが実施され、ゆえに親類縁者には金銭贈与が忌避され、これに比して使用人へは金銭贈与の傾向が顕著であったという。そこには親類縁者相互の人間関係の親疎の度合いを配慮し、義理や職階や世代間の均衡を裁量しながら実施された慣行であったと分析する。また、衣裳が、現在とは想像を超えた大きな財産的価値をもっていたことも指摘している。

 第四章では、忌明けと月代の関係を服忌習俗、特に髪型の変化に注目しながら考察を行っている。
 さて、第二部第一章では婚姻例を取り上げ、当時の社会的事情を探り、使用人の結婚の一形態である宿這入を取り上げ、婚礼用贈答品は生活必需品のほうに重点が置かれていることに着目している。例えば祝儀例では、扇子のような儀礼的・非実用的な贈答と、生活道具のような実用品の贈答に明確な区分が見られ、実用的でない贈答品と実際に使用できる日常生活用の贈答品のどちらが欠けてもだめで、ともに必須の贈答品として認識されていたことを指摘している。

 第二章では、婿養子婚の特殊性を絡め贈答互酬を究明し、具体的には、親類間の祝儀贈答では、男性には鰹節・扇子、女性には白綾・和紙、子供へは鼻紙が贈られ、性別や世代によって明確な贈答区分が見られ、婿養子が持参した衣装は実家からの生前財産分与であったことを指摘している。

 第三章は、京都の出産事情を踏まえながら、傳次郎の娘の稲の産育儀礼を取り上げ、稲の産育に関する儀礼習俗とそれに付随する贈答互酬を中心に考察を行っている。この産育儀礼を見ると近代的医学の立場からと非科学的医療とが桔抗したなかで養育がおこなわれ、当時の京都の庶民の産育事情を表出していると分析する。稲の産育では、誕生−仮名付け・髪たれ−初社参(宮参り)−亥の子祝−食初祝−上巳の祝−髪置−被衣初(帯解)−庖瘡見舞が見られ、これらの節目ごとに様々な贈答品を互酬して、祝宴が催されているという。そして、誕生直後は親類縁者からよだれかけや守袋が嬰児に贈られているが、嬰児よりも産婦への慰労としての贈答が主で、ほとんどは産婦用に魚介類を贈答している。子どもが生育可能と判断されるにつれて、漸次子どもを対象としたものへと変化していく過程が、贈答品の推移から看取されたという。こうした子どもの産育儀礼につながる贈答互酬や饗宴は、子どもの養育を親類縁者がともに喜び祝う慣行であったことを詳細に考察している。

 以上、本書の概要について触れてみたが、著者の岡田家の不祝儀・祝儀文書による分析と考察は多岐に及び、ここではほんの一郎しか紹介できないのは残念である。

 著者はあとがきで、近世都市の庶民階層の不祝儀・祝儀をめぐる通過儀礼は、史料の整った富裕層や農村地域に比ベて、史料採集の難しいこともあって、あまり考察されてこなかったと述べている。そうしたなかで、著者は文化生活史(風俗学)や家政学の視点から、どの章においても岡田家の膨大な不祝儀・祝儀文書を詳細に読み解き、例えば、葬礼時の参列者の衣服に焦点を絞りつつ、一方で、歴史学、民俗学にいたるまで当時の多様な関連史料と照らし合わせ、緻密な検証を行いながら考察を試みている。また、近世の贈答習俗の観点からも多様な考察を提示している。その意味では、近世の家族を取り巻く通過儀礼や都市の贈答(社交)文化の研究においては、基本的かつ先鋭的な内容をもったものと言える。

 したがって、風俗学や家政学といった分野だけではなく、歴史学や民俗学はじめとする研究者にとっても多くの示唆を与える著作であり、幅広い層に一読されることを期待したい。 


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