鈴木哲雄著 『社会史と歴史教育』
評者・戸田善治 掲載紙(社会科教育研究81 98.3 )

『歴史学研究』誌上で行われた連載,「歴史学と歴史教育のあいだ」は,1986 年4 月号に掲載された座談会から始まった。この連載は,安井俊夫の「スパルタクスの反乱」に対する土井正興の批判,これに対する安井の「歴史教育の相対的独自性」の主張へと展開していった。この連載の概要は,1993 年に『歴史学と歴史教育のあいだ』(山川出版社)として刊行された。
しかし,連載では,歴史学と歴史教育がどのような関係にあるのか,あるべきなのかが十分に解明されたとは言い難い。
本書は,1984 年から1996 年の間に,著書,学会・研究会誌,市販雑誌に発表された論文を1 冊の著書としてまとめられたものであるが,前述の連載に参加した論者の1 人である著者が,前掲連載のテーマである「歴史学と歴史教育のあいだ」を,自己の実践に即して整理したものとなっていよう。
本書の構成は以下の通りである。
(目次省略)
本書の中心は,中世日本史に限定されてはいるが,著者が開発した教材とそれを活用した実践報告,生徒の感想とその考察である教材1 「田堵経営とかたあらし農法―摂関時代の荘園と公領」教材2 「*田荘園図を読む―中世の荘園」教材3 「烏帽子をつける百姓―中世百姓の性格」教材4 「屠膾・殺生の輩―武士の登場」教材5 「本主にもどる土地と質物―徳政令と徳政一揆」著者自身は本書で「歴史学と歴史教育のあいだ」をどうとらえるべきかを明確に主張しているわけではない。しかし,誤読を恐れずにあえて評者なりに整理すると,「歴史学と歴史教育のあいだ」を結合させるものは教師による教材化であると理解できる。
著者の教材化のポイントとして,2 点ほど読み取れる。第l のポイントは,歴史学の成果を
反映させた教材化を行うべきであるという点である。著者は,歴史教育では各時代の社会像を生徒に把握させることが重要であると考える。その社会像を明らかにする営みが歴史学である。
しかし,現在の歴史教科書の中世の記述を見ると,中世が荘園制(荘園公領制)という社会のしくみを持つという歴史学の定説が反映されていない。つまり,「歴史研究と歴史教育の断絶」という状態なのである。この断絶を橋渡しするため,教師自らが教材化を行う必要があるのである。
第2 のポイントは,社会史の研究成果に着目して教材化を図ろうとする点である。社会史に着目する根拠として2 点ほど示されている。1 つは,社会史の興隆という中世史研究の傾向である。著者は,「日本史の場合,社会史および民衆生活史的な研究が,なぜ中世史で隆盛したのであろうか。」(p.15 )という問題意識のもとで,中世史研究における社会史の位置づけの検討を行う。網野善彦,入間田宣夫等の研究を検討した結果,「日本中世史で隆盛した社会史あるいは民衆生活史は,中世百姓論の新たな展開なのであり,中世封建制論をめぐる『論争なき時代区分論争』を止揚しうるとまではいえなくとも,新たな中世社会論を提起しつつある。」(p.20 )
と整理する。著者による社会史の位置づけは,中世史研究におけるものだけにとどまらない。著者は歴史教育において生徒に与える教材という視点から,中世史研究における社会史の成果が歴史教育にもたらした成果を4 つ指摘している。
第1に,具体的な民衆像を語ることのできる「史料」(教材)が多様になった点である。
第2に,中世民衆の日常生活,なかでも労働―生産の側面について具体化できる点である。
第3に,中世民衆の非日常的側面に注目した教材化が可能となった点である。
第4に,これまでほとんど教材化されることのなかった「御成敗式目」四二条が教材としての重要性を増したことである。
中世社会論の新たな展開として社会史研究が隆盛した。その結果,中世民衆像が明らかになり,教師は多様かつ具体的な教材を手にすることが可能となった。著者はこの中世社会史研究の成果を活用し,生徒の歴史認識が中世民衆像から中世社会像へと展開するよう,教材化を行うことの重要性を主張する。
社会史の研究成果に着目して教材化を図ろうとする2 つ目の根拠は,歴史を学ぶ生徒の視点からの教材化を可能とする点に求められている。著者は,「戦後歴史学の成果と歴史教育のもとめる民衆像とを,橋渡ししうるように思われる社会史あるいは民衆生活史に,歴史教育の場から望まれるものは,高校生認識の歴史意識を内在化しうるような民衆像であることを再度指摘しておきたい。」(p.26 )と「歴史認識の内在化」の重要性を指摘する。しかし,著者の関心が歴史学における社会史の位置づけ,中世社会像そのものに向けられているためか,「歴史認識の内在化」について詳細に語られていない。
ここからは評者の私見として2 点ほど述べる。
第1実践報告という視点から見ると資料として不備な点が見られる。著者自身が開発した教材,実践記録(抄録),生徒の感想を見ると,歴史学の成果が生徒に理解できるよう教材化されていることが読み取れる。しかし,歴史学の成果を教材化するという,レベルの高い授業を成立させているだけに,学習指導案が示されていないのが惜しまれる。
第2に,歴史学の立場から歴史教育,社会科教育への提案となっている点である。本書では歴史学の研究動向における社会史の位置づけがなされ,そこから歴史教育へと論は展開している。しかし,社会科教育学界でも社会史の有効性は主張されている。それらの研究と本書の関係についての言及がないため,社会科教育研究における本書の意味は不明確なままで終わってしまう。歴史学者が,歴史学の側から歴史教育へとアプローチした研究になっているのではないか,「歴史認識の内在化」という重要な概念が十分に説明されていない原因はここにあるのではなかろうか。
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