森田 清美著 『ダンナドン信仰』
評者:第28回南日本出版文化賞
掲載紙:南日本新聞(2002.5.17)


 第28回南日本出版文化賞(南日本新聞社主催)は、森田清美著「ダンナドン信仰」に決まった。森田さんは鹿児島実業高校教諭。松元町在住62歳。受賞の喜びの声、選考経過、選考委員の講評などを紹介する。

 串木野からみる日本文化の基層
 受賞作は明治初期ごろから、串木野市の羽島、荒川地区で民衆に厚く信じられてきた「ダンナドン信仰」と呼ばれる民間信仰の秘技的な習俗などを徹底的に調べ、村の中で信仰がどのように根づき、生かされ、精神的支柱になっていったかを体系づけた十年がかりの労作。

 ダンナドンは内寺をもつ家々のことで、葬儀や供養のぼだい寺となる。その当主であるトイナモン(年の者)は、人々が病を得たり亡くなったとき、お経を唱え、呪術も使って儀式を取りしきった。

 禅宗が盛んだったという同地区では、一八六九年(明治二)年の廃仏毀釈以降約三十年間、ぼだい寺が一つもない状態が続いたという。その空白を埋めるように伝わってきた、霧島山ろく「修験道の流れをくむ隠れ念仏」が「ダンナドン信仰」ではないか、と森田さんは仮説を立て、古老たちから聞き取った経文などで裏付けていった。これまで同信仰は浄土真宗系の隠れ念仏(藩政期に禁制だった一向宗)が変容したものとみられていただけに、画期的な内容だ。

 周囲に東京の出版社からの発行を勧められて実現した。「亡くなったら浄土に行きたい、病気になったら治りたいとの素朴な気持ちは、民間信仰と結びついている。日本文化の基層に触れる普遍的な問題」との思いがあったからだ。

 納棺の際、硬直した死体を柔らかくするホネナヤマカシ(骨萎やまかし)という呪法、巫女や盲僧が、遺族や集落に死霊の厄災が及ばないように行うカゼタテ(風立て)の儀式−。隠れ念仏ゆえに、触れることの困難な秘事を知ることができたのは、前任地、串木野高校時代の「生徒のおかげ」と感謝する。

 きっかけは、同校で地域文化を知るため、授業の一環で行った体験学習。生徒が聞き取りに行くと、古老たちは孫のような生徒に年中行事、人生儀礼などの貴重な話を聞かせた。森田さんも農作業の休憩である「チャアガイ(茶上がい)」に話し込み、休日も延べ約百人に及ぶ古老らに何度も聞き取りした。秘密の経文を教えてもらうだけの信頼関係を築くのに三年はかかったという。

 調査の成果をまとめるため、高校の勤務終了後に鹿児島大学大学院に通い、論文の書き方を一から学んだ。学問的な裏付けを得るために、日本宗教民俗研究会など機関紙に発表し、厳しい批判も受けた。そうした努力の結実を素直に喜ぶ。

 ダンナドン信仰は六〇年代の高度成長期以降、過疎、高齢化、科学思考の発達なども重なり衰退の一途。それでも「祖先や仲間を大切にする信仰の核はまだ残っている」

 鹿児島大学文理学部卒。民俗学に本格的に興味を持ち出したのは、現在の黎明館の調査室に勤務した一九八一年からという。同館の民間信仰コーナーを担当し、県内各地を調査して歩いた。今後の研究に歴史学の手法が必要なため、現在九州大学大学院生(社会人・博士課程)として比較社会文化を学ぶ。松元町に妻と二人暮らし。
 
 選考経過
 応募二十七点の中から最終候補に次の六点が残った。(カッコ内は編著者、受け付け順)
「村−奄美ネリヤカナヤの人々」(浜田太)▽「種子島方言辞典」(植村雄太朗)▽「ダンナドン信仰」(森田清美)▽「里の石橋453」木原安妹子▽「日本甘藷栽培史」(中馬克己)▽「20世紀を耕した奄美の女性たち」(松元ミキほか九人)

 「里の石橋」は、県内の石橋を網羅した労作と評価されたが、各橋の構造の違い、石橋と住民の生活上の結びつきもあればとの指摘を受けた。「奄美の女性」は、企画力は認められたが女性だけでなく、男性の生きようを対比すれば面白かった、装丁にも気を配りたいなど注文がついた。

 この二点がまず選外に。写真集「村」は作品の迫力とともに、奄美の秋名の自然と生活を持続的に追った点が高評されたが、題のネリヤカナヤが唐突との意見も。「種子島方言」は、語彙だけでなく、音韻や派生語まで気を配るなど丁寧な作りが認められた一方、種子島方言と他の地方の方言の区別が明確でないとの指摘があった。

 「ダンナドン」は禅宗地帯に残る串木野の荒川、羽島の民俗信仰を丹念に調査し、よく知られていなかった実態を掘り起こした労作と全選考委員が評価。甘藷の栽培史を時代、地方ごとに膨大な資料を基にたどった「甘藷」にも称賛が集まった。

 選考では四点から更に「ダンナドン」「甘藷」の二点に絞られた。最終的に、今後に道を開く独自の研究成果と認められた「ダンナドン」が、文献資料の検証に厳密さを欠く点や羅列的な記載などが指摘された「甘藷」を抑え受賞となった。

 受賞者の言葉
 私は、一九九二年から七年近く勤務の関係で串木野市の荒川に居住できるという幸運を得た。串木野高校の生徒たちと「生きた地域文化の体験学習」を重ねるうち、荒川、羽島地区には貴重な秘密の民俗宗教があることに気がついた。高校生たちの力は偉大であった。地域のお年寄りの方々とすぐ親しくなり、貴重な話を聞きだした。彼らは学校でも生き生きとしてきた。

 私も荒川の人々の年中行事、葬送儀礼、奉仕作業等に意欲的、献身的に参加した。先祖や古老、先輩を敬い、助け合う信仰心に満ちた荒川、羽島の人々の偉大さを尊敬し人間愛を強く感じるようになった。

 ある日、九十歳を過ぎた長老の重たい口が開いた。泉のようにわき出る秘密の宗教の経文。私の心は躍った。他のお年寄りたちも次々とダンナドン信仰の話を明かしてくれるようになった。このお年寄りたちは私にとっては、かけがえのない師となった。

 南九州の隠れ念仏と民俗の関係を研究することは、並大抵のことではない。しかし、地域の人々と人間愛に満ちた共生の心と持って接することにより扉は開かれるものである。その研究の成果を過疎や伝統文化の崩壊に悩む地域に還元し、人々を幸せにする手だてにしなければ学問とはいえないのではなかろうか。

 この賞は、研究することの楽しさを教えてくれた荒川、羽島を中心とした南九州各地域の高齢の方々の玉石に値する「話者」のものである。また、鹿児島実業高校生の礼儀正しく、元気のよい激励の言葉に感謝したい。

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