松本 一夫 著 『東国守護の歴史的特質』
評者:小国浩寿 
掲載紙:千葉史学40(20025)

 本書は、松本氏がこの十五年余の間に発表してきた東国守護に関わる研究を集大成した論文集であり、それは、「松本東国守護論」の一到達点を世に問うべく誕生したものである。下野をホームグラウンドとして、八〇年代後半は、主に南北朝期の下野守護小山氏に関する精緻な研究を発表してきた氏が、九〇年代に入ると、小山氏研究のさらなる深化と連動して隣国常陸の旧族領主や他の下野領主の位置付けにも取り組みその基盤を築くや、九〇年代半ばを境に観点・時期・地域を発展的に拡大させ、東国守護の軍事指揮権のあり方・鎌倉期守護・下総旧族守護千葉氏の検討に留まらず、その探求心はついに上杉守護国をも呑み込み、そして、関東諸国を網羅する形で本書が登場したのである。以下、章立てに沿って内容を紹介していきたい。
 まず序章では、南北朝期〜室町前期における東国守護に関しての研究史を整理した後、峰岸純夫氏によって提唱された関東諸国の類型化の再検討を大きな目標に、小山氏の分析を核とし、それと比較する形で、市村高男氏の研究を継承しながら関東各国それぞれの状況下における主に旧族守護の存在形態・支配実態等を具体的に見ていくこと、また、その前提として当該期関東各国の守護沿革考証の再検討と鎌倉期以前の旧族領主の存在形態にも目配りし、さらに鎌倉府の軍事体制にも検討を加え、最後に新田英治氏の提言(「中世後期の守護をめぐる二、三の問題」『学習院大学文学部研究年報』四十、一九九二年)への氏なりの対応を示すことを宣言している。
 本編に入る。第一編東国守護の淵源は、鎌倉期の東国守護を扱った二章で構成され、第一章「小山政光の立場」で政光の存在背景を多角的に探り、頼朝挙兵以前の小山勢力を平安期以来の在庁官人として超然たる実力者として課題評価することに警鐘をならす一方で、第二章「鎌倉初期における守護の類型」では、自然恩沢人と称され東国守護の典型とされてきた小山・三浦・千葉三氏が、従来の類型化の再検討を通して却って特殊な性格をもつ守護であったことを主張する。次の第二編下野守護小山氏は、著者のホームグラウンドである下野の守護小山氏を正面から取り上げ、特に南北朝・室町初期における同氏に関する諸問題を三章一補説を以て独創的に論じ切った本書の基盤をなす編である。具体的には、第一章「南北朝期における小山氏の動向」で、秀朝から義政まで四代の当主の動向をそれぞれ詳細に跡付け、特に小山義政の乱に関しては、当時の京情勢を視野に入れる必要性を提言する一方で、補説「小山義政の乱に至る小山氏・宇都宮氏の関係」で、乱の原因の一つとされる境目争論の地に河内・都賀郡方面を加えた。また、第二章「小山氏の守護職権の特質」においては、当該期の下野守護沿革を再検討した上で、諸史料を駆使して小山氏が有する守護職権の制約性を示唆。さらに第三章「小山義政の乱後における下野支配の特質」では、まず、小山義政の乱後の鎌倉府による下野支配の特質として直轄支配に準じた上杉─木戸体制を措定し、その崩壊後に誕生した結城守護体制の安定性と限界を具体的に検証している。そして第二編の成果を踏まえた形で、当該期の他の関東諸国の守護を網羅的に検証対象とした第三編南北朝・室町前期の東国守護では、各国守護の沿革考証の他、その存在形態・支配の特質等をも多面的かつ具体的に摘出しており、それは、次の九章一補説である。まず、第一章「常陸国における守護及び旧族領主の存在形態」で、下野と同様に旧族領主が割拠していた常陸国、特に当該期における大掾一族の存在形態の分析を通して、一貫して当国の守護であった(補説「上杉憲顕常陸分郡守護の可能性」で伊藤喜良説を否定)佐竹氏の行使権限制約の実態を描出したのに続き、下総の旧族守護千葉氏をあつかった第二章「千葉氏の下総支配の特質」では、守護家の国内武家領への関与状況を概観し、その支配機構を担う守護侍所・守護代・守護使の動向を追った上でその後の千葉氏の支配体制変質を鎌倉府との関係性に求めた。次に第三章「甲斐守護についての二、三の問題」で、甲斐=武田氏の管国という固定概念に疑問を呈し、第四章「上総守護の任免状況とその背景」では、時期を観応の擾乱前後と上杉禅秀の乱直後に限定してこれまでの研究に対する整理・検討を加え、第五章「伊豆守護代祐禅」においては、建武政権期から南北朝初期にかけて守護代と目代を兼ねていた祐禅を再評価し、そして第六章「上杉氏の上野支配の特質」では、南北朝前期には一国にわたって行使された上杉による遵行権が中期以降に新田庄を含む東上野に及ばなくなった状況を鎌倉内部における政治状況の変化によって説明。次いで第七章「武蔵武士と守護」で、鎌倉期から室町前期にかけての武蔵武士の自立性と在地秩序の慣例化を確認した上で阿部哲人氏論稿の検討を通じて郡使制についての位置付けを試み、第八章「安房守護と結城氏の補任」においては、室町前期までの安房守護の沿革を再検討し、安房が、足利氏、特に鎌倉府の強い影響力が及んだ国であったことを以て関東管領や公方近臣の守護就任や府の直轄支配の実態を説明した上で、唯一の外様守護である結城氏の補任の理由を突出した足利からの信頼に求め、最後の第九章「相模守護の特質」では、やはり補任沿革再検討作業を経た後、鎌倉府侍所との権限分掌という視角から守護職権の特質について検討を加えている。そして第四編鎌倉府軍事体制と東国では、前期と後期の二章に分けて南北朝期における鎌倉府の軍事体制と東国守護との関係を跡付けており、第一章「南北朝前期」で、畿内・西国をフィールドとして蓄積された南北朝前期における守護・大将の軍事指揮権の特質に関わる漆原徹氏の仕事を東国に援用・比較する形で、当該期における鎌倉府の軍事体制のあり方に検討を加え、第二章「南北朝後期」においては、近年の研究動向を整理しながらさらに三期に分けて、それぞれの時期に軍事指揮権を行使したと思われる人物・一族等を精査し、終章を迎えることとなる。この終章で特筆すべきは、関東諸国の類型化(峰岸説の補完)、旧族守護の権限の制約性、東国における実体的半国守護の不存在、東国守護と一揆との関係の再検討の結論が、九〇年代の東国守護研究にとって重要な命題であった新田提言に対応する形で述べられていることで、東国史研究が次の一歩を踏み出すにあたり、この意義は決して小さくない。
 以上、紙幅の関係上、雑駁な内容羅列に終始してしまったが、下野史、特に小山氏関係の研究を格段に進展させ、東国旧族守護の特質の明確化を以て守護上杉氏のあり方を逆照射して従来の上杉氏研究を相対化し、近年の研究成果を積極的に整理・活用し、南北朝期から室町前期の関東守護に対して、濃淡を伴いながらも網羅的に検討を加えて当該期東国守護研究の礎石を築いた本書を東国史を志す者は勿論、比較研究の視点から、畿内・西国守護の研究に携わる方々にも是非ご一読願いたい。
(東京都立向島商業高等学校)

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