岡山藩研究会 編 『藩世界の意識と関係』
評者:松方冬子
掲載紙:古文書研究55(2002.5)

 本書は、岡山藩研究会(代表、深谷克己)の活動成果の一部として発表された論文集である。
 岡山藩研究会結成の直接の契機は、一九九〇年代に入って丸善株式会社から岡山大学附属図書館所蔵池田家文庫のマイクロ版集成が刊行されたことである。早稲田大学図書館がそのすべての購入し、その活用を初発の目的として、同研究会は早稲田大学に事務局を置いて発足した。会員は早稲田関係者にとどまらず、全国に一〇〇名以上を数えるという。同研究会は、一九九二年の発足以来、岡山藩研究の総合化、それを通しての幕藩制国家の考察を目標として掲げ、分科会(史料輪読や研究史の合評を行う)と全体会(研究報告を行う)を中心に活動を続けてきた。現地調査も何度も行っており、会員相互の連絡のために会誌『岡山藩研究』(一─三七号、続刊中)が発行されている。
 本書は三部構成となっており、冒頭に論集編集委員会による「総論 藩世界の意識と関係」を置く。各部の構成は以下の通り。(省略)
 どれも現在の研究状況と切り結ぶ問題提起的な論文で、紙幅の関係で個々の論文の論旨を紹介できないのが残念であるが、本書各論文の冒頭に簡潔な要約が揚げられているので、参照されたい。
 以下、本書総論について紹介する。
 本書総論の大きな特徴の一つは、本書の視角と方法が丁寧に説明され、本書成立に至る経緯が「あえて内部事情まで明かす形で」示されていることである。共同研究のあり方ついて真剣に考え、討議し、望ましい形を模索し実行していく会の姿勢がひしひしと伝わってくる。本書完成までには、本書が単なる寄せ集めの論文集となるのを避けるため、会員の中から選ばれた執筆者・論集編集委員(泉正人・齋藤悦正・谷口眞子・堀新の各氏)及び一般会員の間で討議が繰り返されたという。一方で、一九七〇年代の藩制史研究の成果に見られたような、分担制により統一的・予定調和的な藩制を描出するのではなく、各執筆者の多様な問題関心を生かし、その上で相互に有機的な関連を持たせるように工夫されている。研究会の活動のあり方を含めた論集出版に至る丁寧なプロセスと、編集委員各氏のご苦労にまず敬意を表したい。
 本書総論の二つ目の特徴は、「収録論文を複数組み合わせることで導きうる論点、すなわち、本論集全体として提起できる問題点」が「村社会」「大名権力と領民」「大名権力と家臣団」「藩と幕府」の四つに分けて、敢えて本書の章立てとは異なる形で、整理し直されていることである。総論の論点整理がこのような形をとることは、一点目に示した本書の方法の必然的な帰結であろう。
 本書総論の三点目の特徴は、「藩世界」という新しい概念がきわめて意欲的に提起されていることである。「藩世界」とは何か、本書でも一言で定義されているわけではないが、「藩領域で生きる人々の営為」であり、「個別藩領域にとどまるものではな」い(三二─三三頁)と説明されている。また、「藩世界の多様性は、藩世界内部の諸集団の多様性を意味し」、「多様な姿を実態に即して多様に描いてこそ、藩世界というものが見えてこよう」(三三頁)ともされている。また、「藩世界」論は、「関係論として展開」し、しかもその関係が「新たな意識を生み」、その意識が「更なる関係を生み出していく」過程を積極的に捉えようとしている(三五頁)、とも言われている。新しい概念なので理解はなかなか難しいが、例えば、現代の○○大学を論じるのに、学長選出方法や理事会の構成のみからするのではなく、個々の教員の学会活動や学生の卒業後の針路、サークル活動の様子や各種メディアにとり上げられた○○大学のイメージ等々からするのが、「大学世界」論である、というようなことだろうか。確かに、後者の方法を抜きに「現代社会における大学とは何か」という問いに答えるのは難しいだろう。このような方法論をとれば、藩に関する研究は無限の論点と無限の広がりを持つことになり、同様の「△△世界論」はいくらでも生成可能である。大きな可能性を秘めた概念・方法論だといえよう。多様な問題関心から生まれた多用な論考を含む本書の総論として「藩世界」論は成功していると言える。
 ただ、「藩世界」論がこれから独り立ちするためには、今一歩練り上げが必要だろう。この点について、やや批判めいた評言を付け加えさせていただきたい。
 第一に、評者の意見では、一般に藩機構(ここには儀礼・交際などの大名の「家」としての側面も含む)の解明はいまだ不十分である。一方、藩機構のあり方についての実証研究はの深化と十分な理論構築抜きに、藩を論ずるのはやはり難しいのではないだろうか。勿論、藩機構だけが藩だという考え方はあまりにも貧相である。また、本書には藩機構を扱った論文もあるので、本書がそれにも目を向けていることは確かである。しかし、藩から見た近世社会ではなく、あくまで藩を研究対象とするのであれば藩機構は藩領域内の諸集団とは別の次元で論じる必要があるだろう。本書が批判する「課題の個別分散化が進」む(七頁・三五頁)現在の研究状況を克服するためには、この点は避けて通れないのではないかと思う。
 第二に、第一の点とも密接に関連するが、本書及び岡山藩研究会がよって立つところの池田家文庫という文書群を誰(どんな組織・機構)がどのように生み出したのか、という点にいま少し認識を示してほしかった。歴史研究は、素材とする史料群を生み出した主体の視野に否応なく制約を受けるはずである。藩政史料群を主たる素材とする以上、それを生み出した人や組織のありようを、仮にそれ自体の解明を最終的な研究目的としない場合でも、見据える必要があるのではないだろうか。
 評者の非力ゆえ、誤解や的外れの評言もあることと思うが、本誌編集委員会と読者のご海容を請いたい。
(東京大学史料編纂所助手)

詳細へ 注文へ 戻る