松本四郎著『町場の近代史』
評者・鈴木勇一郎 掲載紙・日本歴史648(2002.5)

 著者は近世史の研究者として知られているが、本書は近代史を扱ったものであり、明治期を中心に山梨県郡内地方の町場である谷村町とその周辺地域の近代における町場の形成と展開を明らかにしようとした著作である。本書の構成は次の通りである。(省略)
 次に各章の内容を簡潔に紹介したい。
 第一章では、山梨県南都留郡宝村の「家別帳」を史料に、当該村の農村的な構造を明らかにし、さらに戸長や村会議員の構成員の分析を行なって、明治初期の合村によって誕生した行政村である宝村が近世以来の村を単位とする組をまとめていった過程を明らかにしている。
 第二章では、山梨県郡内地域の中心地のひとつである谷村町が商業の集積、公共機関の立地、交通機関の整備などを通じて次第に近代の町場として形成されていく姿が明らかにされている。
 第三章では、谷村近郊の宝村で三菱が経営した銅山である宝鉱山をとりあげることで、中央の財閥資本が地域社会とどのような関係を有したかを分析しているが、著者は同鉱山が三菱にとっては主要な鉱山の一つであったとしつつも、地元の宝村を中心とする地域社会にとってはあまり影響のない存在であったとしている。
 第四章では、二〇世紀初頭前後に谷村町を中心に設立された株式会社である富士馬車鉄道、谷村電燈、谷村商業銀行の設立とその経営を分析することで、近世以来地域の経済を担ってきた資産家層が近代的な会社の経営者に転化していく過程を描いている。しかしこれら町場に展開した株式会社も、彼らの地域の資本家たちの保守的な性格などにより次第に行き詰まりを見せるようになり、公営化や合併などによって地域独自の資本としては、その性格を大きく変えていったとしている。
 第五章では、町場である谷村町とその周辺農村における一九世紀後半から二〇世紀前半にわたる数十年間の財政状況を分析する。その結果、農村部が伝染病や自然災害対策などに対応するのに精一杯であったのに対して、町場では水道や電気など税収に頼らない事業を積極的に展開するなどにより都市的な公共施設を拡充することが可能となった。このような過程を経て町場は次第に周辺の町村とは大きく異なった内実を有するようになっていったとしている。
 第六章では、藤村式擬洋風建築として知られる禾生村尾県小学校が地域の人々の負担によって建設され、運動会や学芸会など、地域社会の中心的存在となっていた姿を明らかにしている。
 おおむね最初の二章で地域における町場の位置づけと概要を明らかにし、第三章では中央資本と地域との関係を論じている。その上で第四章では地域資本の形成と展開を、第五章では近代町場の展開を、さらに第六章では地域と学校との関係を論じている。それによって著者はこれまでの「全国規模での財閥系統中心の」資本制的な経済発展、「官治性と中央集権制」のきわめて強い「地方自治」、次第に地域社会との関係が希薄となっていく学校教育といったこれまでの経済史、地方行政史、教育史などで示されてきた中央に取り込まれていく地域という視点とは異なり、全体として地域の独自性を重視する視点を強く打ち出している。
 著者はこれまでの研究に対して「複眼の立場での評価があってもよくないだろうか」という疑問を呈し、本書で「論じられている地域は、中央の動きの単なる地方版、全体と部分の関係としての地域ではない、ということに留意してきたつもりである。この点が地域を論じるときの一番大事なことではないだろうか」と地域を論じるにあたっての基本姿勢を明確に表明している。
 この地域というものを論じるにあたって著者は町場というものに着目している。著者は町場を「単に人口や戸数規模の大きい集落というよりは、他国、あるいは他府県といった地域外との接点となった集落」と定義している。つまり、外部地域との交流の接点となっていた都市的な場が町場であると捉えているといえよう。この「地域のコア」としての町場の性格を明らかにしていることが本書の大きな特徴となっている。
 これまで近代における都市史の研究は東京、大阪をはじめとする大都市にその重点が偏りすぎであったということができ、谷村町のような県庁所在地でもなく、城下町でもない(もちろん近世のある時期までは城下町であったが)、農村地域における都市的な場をとりあげたことは近代都市史研究の面から見ても大きな意義を持っているということができる。
 また農村地域との関係に重点をおいて分析した結果、それまでの地方の行政町村という枠組みの中で見られがちであった町場が、農村とは大きく異なった実質を一九二〇年代ごろには備えるようになっていたことが、具体的に明らかにされていることも本書の注目すべき点のひとつであろう。
 このようなこれまでの都市史とも農村史とも異なった視点を持つことにより本書は、農村と都市との関係が、明瞭に浮かび上がってきている。もちろんこの関係は、町場という「零細な」都市をとりあげていることにより極めて直接的なものとなっているが、これ以外の地方都市やひいては東京や大阪などの大都市においても当然農村との関係は免れ得ないものであるはずであるが、このような視点を持った具体的な実証研究は、ほとんど進んでいないというのが現状であり、今後の研究の進展がまたれるところであろう。
(青山学院大学文学部助手)


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