北原 かな子著 『洋学受容と地方の近代』
評者・末永洋一 掲載紙・東奥日報(2002.4.18)


 独自文化の存在示す
 著者の北原さんとは、過去五年間ほど、「青森県女性史」の執筆や県史編さん事業で一緒に仕事をしているが、いつも感心させられるのは、笑顔を絶やさずに他人の話に耳を傾けるとともに、疑問のあるときはとことん問題を突き詰める姿である。貴重な資料を入手したときなどは、研究者らしい喜びを満面に浮かべる姿もしばしば見受けられる。

 本労作を読みながら、評者は彼女のこうした姿をしばしば思い浮かべていたが、本書は彼女の飽くなき学究精神と知的好奇心こそが完成させたものであると言えよう。

 本書はそのサブタイトルが示す通り、東奥義塾における洋学(外国語を通じて広く日本にもたらされた西洋の学術文化全般=同書)の受容過程を、同校が設置された一八七二(明治五)年から廃校となる八三(同十六)年の期間において検討している。

 著者の関心は「日本の学生たちが外国人教師たちから具体的にどのような文化的刺激を受け、何をどのようにして学び、津軽地方にどのうような影響が広がったか」を明らかにすることにあるが、それは同時に「官の援助を受けずに独自の文化受容によって近代化を成し遂げようとした地方」が存在したことを示そうとする、極めて今日的な問題意識を伴っている。

 本書は、序、第一章「東奥義塾開学」、第二章「東奥義塾の洋学(1)」、第三章「東奥義塾の洋学(2)」、第四章「津軽地方初の海外留学生たち」、第五章「アーサー・C・マックレーの活動」、結、巻末資料からなる。

 これらを詳しく紹介する余裕はないが、J・イングの教授内容と方法が当時の学生(この中には本多庸一などがいる)にさまざまな影響を与え、津軽の自由民権運動を根底において支えることとなったという事実(第三章)、津軽の洋学受容が日米の文化交流に貢献するものであり、その際、マックレーの功績が重要であったという事実(第五章)などは初めて明らかにされたことであり、本書の大きな功績であろう。

 もちろん、全く注文がないわけではないが(例えば同一事実の繰り返しが出てくることなどにより論理の展開によどみがみられるなど)、それは本書の重要性を一向に損なうものではない。研究書が故の難しさもあり、同一テーマで一般読者向けの書物を執筆してくれることも期待したい。
(青森大学総合研究所教授)


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