市川秀之著『広場と村落空間の民俗学』
評者・鈴木正崇 掲載誌・日本民俗学228(2001.11)

 村落が民俗学の主たる研究対象であるとされた時代は終わったといわれて久しい。その理由として、伝承母体の衰退や過疎化の進行により、村落の伝承の質的変化が劇的に進んだことが挙げられる。農山村や漁村が生業の連続した営みを基盤として伝承を維持し、民俗学でしか捉えられない独自の事象があると断言できる時代は終わった。確かに、村落での民俗研究の面白さを体験する機会は少なくなったが、都市民俗研究の行方も定まらない。本書はこうした状況の中で、あえて「ムラとは何か」という問いにこだわり、埋没気味の「村落空間論」を再浮上させ、民俗学を再生させようとする意欲的な試みである。地域の歴史を村落空間という明確な輪郭の中に位置付け、内部の社会関係を民俗学的視点を入れて考察しようとする。広場という中心、宮座と社会の重層的関係、村落の全体性などを明らかにして、民俗の観点から歴史の再考を促している点が評価できよう。
 全体構成は、村落空間論の可能性(序章)、広場(第一章)、会所(第二章)、村落空間の地域的展開(第三章)、ムラをこえた空間(第四章)の計四章と結語からなる。対象とする空間を中心から周縁ヘ、内から外へと広げて考察するという意図がある。調査地域はほぼ近畿地方、特に奈良盆地と和泉地方に限定されているが、視野は大きい。
 序章では研究史を整理して、一九八○年代に盛行した「村落空間論」が、その後に停滞した原因を枠組みの曖昧さや歴史性の軽視に求め、これを克服することを本書の課題としている。従来の問題点は、異なった位相の混同、異なった時間的局面の混同、歴史性の無視にあるという三点に集約する。本書の着目点をあえて整理すれば、村人側の分類体系を明らかにすることと、境界だけでなく中心の意識を探ることであり、主観的な内部の視点を外部の者がどのように表現し解釈するかについて濃厚な歴史的観点を導入するということであろうか。方向性は、境界論から中心論ヘ、静態から動態ヘ、空間から場所ヘ、隠された構造から場所の記憶の意味ヘ、構造から歴史へと向かう。その基軸は「地域歴史民俗学」であり、フィールドワークによって多様な史料(文献・考古・金石文・民具・景観・村落空間)を収集し、実体としての空間の変遷、空間に投影された社会関係、村人の空間認識の三者を通じて、総体として村落の変遷を考える。本書の前提は、@村落の全体空間を民俗の空間表象と考えて民俗の総体を把握する、A村落空間に投影されている歴史性を明らかにする、B部分空間、特に中心に位置する広場に東から近畿で伝統的集会施設、その外側では全戸が交代で場を提供、その外縁に特定の家で集まるという同心円モデルを提示する。この分布の意味は従来の地域性論と整合的ではなく今後の検討が望まれるという。
 第三章は村落空間についてのモノグラフを集める。「天理市乙木の祭祀と村落空間」(第一節)は著者の研究の出発点になったもので、惣村制の伝統を引く集村では、村落空間の儀礼的な中心として広場が機能し、そこに会所があり、中心が明確な空間の形態を明らかにし、境界論と異なる接近を図る。福田アジオの村落領域論の影響が見られる。「桜井市江包・大西の祭祀と村落空間」(第二節)は二つのムラによって執行される正月祭祀、御綱祭の空間論的分析で、事例は著名な荘園の故地で、民俗の維持と、その歴史性を浮き彫りにする。村落の機能を、境界から中心ヘ、個別要素から全体的把握へと考察し、水の象徴性と水利との関連で儀礼を解釈する。「橿原市曽我の御旅所祭祀と広場」(第三節)は御旅所の歴史民俗学的考察を空間論として試みる。史料を跡付けるかたちで、宮座組織の関与と神社祭祀を検討して、歴史的に遡る考察を試みて、広場的御旅所の成立を探る。この動きには宮座祭祀の開放という変動があるという。「山間盆地村落の空間構成」(第四節)は村落空間論の枠組みを提示し、機能空間・社会空間・認識空間の三類型を設定して、山間盆地という小宇宙的な貝塚市蕎原の事例を分析する。緻密な調査に基づいて根底にある水利慣行が明らかにされ、儀礼と社会の関係性に多様な解釈を介在させて、質の異なる空間の重層性を提示し、その変容過程も視野に入れた論考で、本書の中でも白眉と言えよう。
第四章は広域にわたる村落関係を奈良盆地を視野に入れて空間論的にとらえた論考を収めている。「竜田と吉野」(第一節)は奈良盆地に伝承される宮座の儀礼に見られる広域の人々の空間認識を分析する。宮座行事の前に、吉野と竜田といった特定の場所でみそぎをし、小石や水を持ち掃るという共通性に注目する。奈良盆地の国中から見ると周縁や境界にあって海と結びつく接点にあるという場所性が明らかにされるが、歴史性についてはやや不分明の点もある。「一揆における結集の場」(第二節)は民衆史の影響を受けて、膨大な一揆史料を民俗学的に読み込む試みをする。注目するのは一揆結集の場で、大和の村落では池や郷社が多く、都市では川原や門前の芝などが多いという。東日本に多い野原は登場しない。一揆の記憶は義民伝承として語り継がれ祭祀により特定の場所という記憶を空間に連続的に刻み込み再生する装置になるという。民衆の持つ世界観に深く迫ろうとする試みである。「座送り慣行をめぐる近世宮座の動向」(第三節)は泉南から紀北の宮座文書に見られる座送りの慣行を取上げ、村落内に限定された組織と考えられてきた宮座が、地域的な広がりを持って認識されていた事実があることを史料で確かめる。従来の宮座研究の成果を部分的に覆すだけでなく、村内と村外での価値の差異に着目した研究でもある。
 本書の論文はそれぞれに問題提起を含み、空間と社会との関係性についての説明を多様な角度から把握しようとする熱意が伝わってくる。常に参照されるのが歴史性であり、現在の民俗を遡及することで、変遷を明らかにした上で、姿を変えて現在の中に構造化されている諸相を探る。近畿地方の村落という限定があるが、歴史的な考察を空間論に盛り込むことで、平板な空間の理解からの脱却を図ろうと試みた労作と言えよう。本書の限界は著者も吐露しているように、近代以降の目配りが十分でないことと、場所の政治性が考慮されない点にあるが、今後の課題として期待していきたい。
 学説史上から見れば、村落空間論は空間を様々な民俗事象の集まりとして、可視的なものを主体に民俗の空間的表現を考察する方向性と、空間を往民の世界観の投影とみて、祭祀空間に注目して不可視の世界を明らかにしようとする方向性がある。本書が前者の立場に立ち、空間を通じて社会関係やその歴史性を浮き彫りにする意図を持つことは明らかである。構造論や認識論よりは機能論の色彩が強く、構造論に見られる恣意的解釈やモデル化を避ける傾向がある。その結果として、民俗誌的記述に傾くが、理論構成にも意欲を持って取り組んでおり、村落の歴史の解明に新しい視野が開かれたと言ってもよい。
 問題は広場という概念を民俗の世界の解明に導入するという強烈な違和感である。本書で言う広場とは、漁村の浜、共同井戸、公民館、会所、消防倉庫、郷蔵、倉、小祠、小堂(地蔵・観音・薬師・毘沙門)、高札場跡、商店、床屋、芝居小屋、そして近くに詣り墓などがある可視的空間であり、機能としては祭りの場、お旅所、お籠りの場、講の寄合、日待、集会場、情報伝達、商売などに使用され、見世物やイベントも呼び寄せる。この多様な公共の場所を、広場と呼び「人が集まるための特定の空間」と定義して、条件は「出入りが自由」で「所有者が公共的」(四六頁)、「ムラの論理によって支配される空間」(六ニ頁)であると考える。広場の地元での名称は、大和ではドー、ドーノツボ、ドーノカド、テラノヤシキ、テラノカド、カド、ツジ(辻)など、和泉ではドーノバ、オドリバ、エベッサンノバなどで、総じてドーやテラやツジなどの名称が付与され、民間信仰、特に講集団と関わることを示している。広場の定義を人が集まるという単純な機能に特化しており、民俗語彙の意味内容を十分に取り込んで定義したとは言えない。問題点としては、場所の属性を本質主義的に規定していること、広場という用語自体が西欧的な意味合いを脱却できないことであろう。広場とは言い換えれば広義の公共空間であり、公有と私有、中心と周縁という関係性の中で動き、相互に連関しつつ動態的に変化するという「構成主義」の視点で十分に包摂できると思う。そこは公有と私有の関係を越える共有の場とでも言えようか。
 社会関係を共有の観点からみれば、大字(財産区か代表者名義)の所有が多いのは当然であり、多機能(共同体・生活・生産・宗教)を収斂させ使い分ける空間の成立を可能にする。諸活動の焦点(核)となり、上からの支配と下からの自治のせめぎあいが起こる。公有と私有の拮抗が生じる一方、共同の相互行為が成立し、時には市場に変貌して商業活動や祭祀娯楽の場となる。これが都市と村落を繋ぐ方向へと展開する要因であろう。しかし、西欧の広場との大きな違いは自然の取り込み方にある。本書の大和の事例で、広場の神社は勧請された有名社が多く、次第にムラの神に昇華するが、他方では古くからの式内社などは端か外の森にあり、土地名を入れるなど呼称も古めかしいまま残るという指摘は面白い。中心に勧請された神社を通じて、広場は森に囲まれた社寺空間との関連を保ち続け、村の周縁や外部の自然との連続性を強く持つのではないだろうか。本書の広場はドーやテラやツジとして自然との交流を根底に持つ場であり、西欧の広場が形態と機能の双方で森との連続性をそぎ落として人工化を推し進めるのとは根本的に発想を異にする。
 西欧の都市の広場は単純化すれば、教会と市庁舎と広場が三位一体になって構成される所が多い。そこはキリスト教に代表される教権が民衆に臨む権威の場で、それゆえに教会が尖塔として聳え立つ。天上からの降臨を視覚化する教会は、村落でも広場の中央に屹立する。ヴェニスのサンマルコ広場のように聖人名がつけられ、強いキリスト教の影響下にある。広場という用語は、西欧的な偏向、特に都市から村落へという一方向的に見える広場の発生の諸相を払拭出来ない。アジアを広く歩いた経験を想い起こすと、また別の方向が見えてくる。ネパールのカトマンドゥの広場、イランのイスファーハンの王の広場、インドのヒンドゥー寺院の前庭、北京の天安門広場、中国の廟の前の広庭、ミャオ族の村の広場(ヘそ)、バリ村落の辻、いずれも「人が集まるための特定の空間」という意味での広場に出会ってきた。しかし、その場所はどこかとの関係性の中で広場たりうるのであり、機能の類似よりも差異が大きい。本書の意義は網野善彦などが強調してきた「境界領域」に対して広場という「中心領域」を浮き出させたことにある。そして、西欧都市と広場という結びつきを反転させ、村落空間の中心に広場があるという斬新な提言を行い、村落と都市の双方向性を論じたことも評価できる。しかし、本書が『村落空間の民俗学』で十分に通じるのに、あえて広場という用語をその前につけて突出させることには抵抗感がある。
 また、都市の広場との接合は今後の課題かと思われる。集落を「人が居往する空間」、都市を「多くの人が居往し、集まる空間」、都会を「多くの人が集まる空間」と定義して連続性を考えているが、人の集積という量的基準では不十分で質的変化を考慮すべきであろう。また、近代という強力なイデオロギーが人々に及ぼす内面的効果が十分には追求されず、顔見知りが集う「集落的広場」から匿名性の卓越する「都会的広場」ヘの移行という図式は常識的である。「交換の場」、それもモノ・ココロ・ヒトの交換の変容を描いては如何か。
 しかし、本書の指向する「場所への根源的問いかけ」という観点は大事にすべきだと思う。大和という集村が卓越する地域では同心円モデルが適用可能であり、中心にある「空の空間」としての広場が多様な機能を持つことを明らかにし、地域に沈潜することで見えてくる社会関係を見事に解明した。地域研究の大切さがわかる本と言えよう。無理して沖縄の事例を出すここなく(ウタキ、アシャゲを広場とするのは間違い。一○一頁)、特殊から普遍に至る道を探せばよい。象徴、境界、表象、意味にこだわる評者とは立場を異にするが、景観に歴史を読むという宮本常一の仕事を深化させつつ、経済や社会に焦点をあてて空間や場所を総合的に捉え直す試みや、民俗事象を断片化させずに全体との関連で捉える志を今後も期待したい。
(〒110-0005 東京都台東区上野4-6-10)

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