青山孝慈・青山京子編『相模国村明細帳集成』全三巻
評者・木村礎 掲載誌・地方史研究295(2002.2)

 青山孝慈氏は神奈川県史編纂事業(一九六七〜七四年)の事務局メンバーとして事業の推進に大きく貢献された方である。担当は近世。京子氏は孝慈氏の妻。『相模国村明細帳集成』は、県史終了後における青山氏御夫妻の永年にわたる地を這うような努力の結実である。
 村明細帳(類)は近世地方文書のなかではよく知られた文書であり、ここでは、その説明をはぶく。個々の近世村の概略を知るに便利な村明細帳は、自治体史(誌)に多く採択されている。この文書についての研究としては、野村兼太郎編著『村明細帳の研究』(有斐閣一九四九年)が知られている。この本は研究編一五一頁、資料編九七○頁、付録一三六頁、計一二五七頁に及ぶ大冊である。研究編の中では「村明細帳を通じてみたる村の生活」および「幕末農間渡世の調査」の二つの章、特に後者が知られている。本書の中心は資料編にあり、ここには関東諸国(武蔵が中心、安房は欠)を始め、信濃・美濃・駿河・遠江・摂津・紀伊・越前・肥前等の明細帳が一点から数点ほど収められている。当時としてはこうした努力は偉とすべきであるが、地域的な網羅性は欠けている。付録は索引であって、件名・人名・地名・書名の四つに分れており、きわめて丁寧な出来である。殊に件名索引は非常に有効であって、その作成態度には大いに学ぶべきものがある。
 さて、本書『相模国村明細帳』は二段組三巻に及ぶ厖大なものである。余りに重いので秤にかけたら七キロあった。第一巻は一○三七頁、所収郡名は三浦・鎌倉・高座の三。第二巻は八二二頁、津久井・愛甲・大住三郡。第三巻は九二○頁、淘綾・足柄下・同上三郡。計二七七九頁九郡。相模国の郡数は九だから、本書には全郡が網羅されている。相模国の村数合計は、「天保郷帳」によると六七一である(郡ごとの村数はここでは省略)。青山氏のこの本はそれらの殆どを網羅している。編者はその「凡例」において「網羅に近いが、網羅には及ばない」としている。地域網羅性の高さはこの本の大きな特色であって、それを達成するための辛酸は並々ならぬものがあったろうと推察される。
 この『相模国村明細帳集成』全三巻には五九頁の「別冊」がついている。「別冊」は「凡例」、「相模国村明細帳集成収録史料目次」(各巻そのものには目次がない。ダブってもよいから各巻にもつける方が便利)、「相模国の「村明細帳」の概要」、「「村明細帳」の名称」、「「村明細帳」類の成立―正保二、三年指出から寛文、貞享まで」、「史料」(追加九点)、「あとがき」より成る。つまり、この別冊の中心部分は、村明細帳の内容検討ではなく、古文書学的検討なのである。もちろん、古文書学的検討はその文書の性質と理解するために大いに有効だが、村明細帳が持っている多様、多量な情報につきその一部についての研究であっても付載していただきたかった。これは決してないものねだりではない。こまかいことは省略するが、青山氏はこれまでにも相当数の村明細帳を情報源とする基礎研究を「神奈川県史研究」、「藤沢市史研究」、「三浦古文化」等に発表しておられるのである。これらはいずれも津久井・高座・鎌倉等郡別の研究であり、地味だが有効な研究である。氏は他にも相模における近世文書の概観、五人組帳、寺院の概観(これは『新編相模国風土記編』等による)等々相模全体を一覧できる研究があり(神奈川県史という職務柄そうした広域意識がとぎすまされたのであろう)、それを私は知っているから、村明細帳にもとづく研究を要望しているのである。青山氏御夫妻が今後も健康を維持されて、研究を推推されることを期待する。

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