立花京子著『信長権力と朝廷』
評者・堀  新 掲載誌・日本歴史643(2001.12)

 本書は三職推任の新解釈で著名な立花京子氏の研究をまとめた著作である。内容とは別次元の話であるが、カルチャーセンターの古文書講座で歴史研究に目覚め、研究書をまとめるに至った著者のご努力にまず敬意を表したい。同様の講座で学ぶ多くの方は、高齢にも拘わらず精力的である。著者のご活躍は、それらの方々に大きな希望を与えたであろう。
 本書の構成は、既発表論文四本・新稿五本(終章を含む)・参考史料からなる。参考史料の武家伝奏・勧修寺晴豊の日記は、その重要性にも拘わらずいまだに未刊である。解読・解釈ともに難解な史料であるが、史料の共有化と利用促進をはかる著者の姿勢には共感を覚える。
 本書の内容を要約すれば、「信長は天皇・朝廷を侮蔑し無視していたものの、天皇制度を崩壊させることはできなかった理由は、天皇の天下静謐主宰権、官位叙任権、および国家的祈祷権を、信長が自己の権力存立にとって不可欠としたからである」(三○一頁)ことであろう。本書には多くの論点が示されているが、限られた紙数でそれらすべてに触れることは到底不可能であり、以下の三点に絞って紹介し、最後に全体の論評を試みたい。
 まず第一に、著者が重視される天下静謐主宰権である。天下静謐とは、天皇の命を受けて将軍が逆賊を退治し、全国にわたる平穏な社会状況という。しかし南北朝以降、天皇のためではなく「室町将軍のための天下静謐」に矮小化していた。信長はこれを天皇の繁栄のための天下静謐へ純粋化させたうえで、将軍義昭から天下静謐行権を委任させた(九六〜九八頁)。信長の統一事業の原点である。
 著者は天皇の軍事大権を所与の前提とされるが、それでよいのであろうか。また、本人(義昭)が所持していない権限を他者(信長)に委任できるのだろうか。さらには、重大な変化がありながら、なぜ同じ「天下静謐」と表現されるのか、それで当時の人々は理解できたのだろうか。
 また著者は、信長の「天下のため」という表現は「(天皇のための)天下静謐のため」という意味であったとされる。信長の言う「天下」が、旧秩序から脱却した革新的なものではないにせよ、そのすべてが天皇に帰結するのであろうか。「天下」には多様な意味・用法があったのではないだろうか。
 ここに現れた著者の論法は、まずAと解釈しうるBという語句を見出し、次にBと代替しうるCという語句を見出し、そしてA(概念)=B(史料用語)=C(史料用語)と結論づけるのである。これが「天皇のための天下静謐」=「天下静謐」=「天下」ではないか。AとB、BとCの間に一部の重なりがあるとしても、それぞれがまったく同一であり、さらにはA=Cとなるのであろうか。A=B=Cを「論証した」とし、それを前提にさらに展開される議論には違和感を覚える。
 第二に、三職推任に関する議論である。本能寺の変直前に、朝廷が織田信長を「太政大臣か関白か将軍か」に推任した事実は、信長の政権構想や当該期の公武関係を考えるうえで重要である。近年この研究が花盛りであるが、著者の研究がその起点にある。著者は三職推任を信長の強制とみなす。信長の本心は三職いずれもだが、第一希望は将軍で(二一二〜二一三頁)、しかもこの時は推任勅使を請けることのみが目的だった(二二三頁)。
 将軍任官を望む信長が推任を強制したという著者の当初の主張(二六〜二七頁)からすると、明快さを欠く。推任勅使の派遣に意味があるのならば、なぜ信長はこれを宣伝しなかったのだろうか。そもそも信長は本当に三職のいずれかを望んでいたのだろうか。また、第一希望が将軍ならば、信長はなぜ平氏を源氏に改姓しなかったのだろうか。さらには、三職いずれもを望みながら、何故そのいずれかの推任を強制したのであろうか。
 これらの疑問に対して、著者も答えようと努力されているのだが、橋本政宣氏も指摘されているように(「贈太政大臣織田信長の葬儀と勅諚」『書状研究』一四号、二○○○年一二月)、史料に即した立論が必要であろう。評者は、信長は三職いずれにも就く意思はなく、「日本国王」から「中華皇帝」ヘと展開していくと考えている(「織豊期王権論」『人民の歴史学』一四五号、二○○○年九月、同年四月に大会報告)。信長の政権構想は、律令制にとらわれた一国史的観点から脱却し、東アジア世界のなかに位置づけてはじめて理解できるのである。
 第三に本能寺の変である。信長は朝廷に限りない攻勢をかけ、危機感を強めた皇太子・誠仁親王は信長打倒計画に同調する。しかし、真の黒幕は他にあるという(八○〜八一頁、二八七頁)。著者が果敢にこの難題に挑まれ、議論が活性化したことの意義は大きい。
 天皇ないし朝廷は、信長にとって自己の権力存立に必要な存在だったはずだが、例え統制のための威嚇としても、相手が危機感を強めて暗殺計画を練るほどの限りない攻勢をかけるだろうか。そもそも、誠仁親王が計画の一員であるとすれば、なぜ当日明智方の軍勢に取り囲まれて危険な目に遭ったのだろうか。
 最後に、全体的な点に触れよう。著者の織田権力に対する最終的な評価は、室町・江戸両幕府と同様の公武統一政権であり(二九四頁)、信長は実質的な日本国王であった(二八六頁)。この点は、評者の見解と奇妙なほど一致する。それでは、本書で繰り返された評者への批判は、一体何だったのだろうか。そもそも、著者と評者では事実認識や史料解釈が大きく異なりながら、何故似た結論になるのであろうか。
 評者なりにその理由を考えると、一言で言えば、名目が先か、実質が先か、ということではないだろうか。著者は、天下静謐の議論にも明らかなように、まず名目なり正当性なりが先にあり、それを獲得した信長が天下統一を進めていくという認識である。評者はまず実質があり、名目は後から付いてくるものと考えている。名目をまったく無視しているのではない。つまり、将軍(と同等)になったから天下人になれるのではなく、天下人が将軍(と同等)になるのである。この違いは、一概にどちらが正しいと決められるものではないかも知れない。しかし、真実に近づく唯一の方法は、厳密な史料解釈であると思う。
 本書は新稿の多さが目を引き、著者の真摯な姿勢は敬服に値する。しかし、新稿の多さゆえか、二○○を超える誤記・誤植があるのは残念である(岩田書院のホームぺ−ジhttp://www.iwata-shoin.co.jpに正誤表が掲載されている)。
しかしながら、本書は著者が渾身の力を振り絞った力作であり、随所に刺激的な論点が散りばめられている。当該期の専門家に限らず、多くの読者を得るべきであろう。評者が強調したいのはまさにこの点であることを確認して、拙い本紹介を終えたい。
 (ほり・しん 共立女子大学助教授)

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