井之口章次著『生死の民俗』
評者・永瀬 康博 掲載誌・御影史学論集26(2001.10)

 著者は葬送儀礼の大家である。しかも主要論文は一九七○年代後半から一九九○年代前半の二○年間の仕事で充実した内容となっている。
 本書は大きく二章で構成されている。第一章の「葬儀の民俗学」では三○項目について著者の意見が明快に示されていてわかりやすい。さらに著者の研究の目指してきたことを知ると一章の主旨が一層鮮明になる。この回答は本書の最後にある「柳田国男の仏教観」に見いだすことができる。柳田著の『先祖の話』の中から「柳田は祖霊崇拝を日本の独自宗教に高めたいと考えていたのではないか」と述べている。ところが著者は各地の習俗を比較検討して、仏教色を取り除いて祖霊信仰を明かにし、なおかつこの中味に神学の作為が含まれていることを昭和三○年代に気が付いたと言う。この点を著者は学問とは進歩しなければならないという良心に基づいて次々に明らかにしてゆくのである。それが第二章に該当する。そのヒントは第一章に隠されれている。三○項目を読み通すと本書の軸が段々と見えてくる。主だった項目を見てみると@「耳ふさぎ」では俗信の合理性を説いている。A「黒不浄」・「忌服」では穢をわかりやすく説明し、「手洗酒」では墓穴掘りが差別的な名称で呼ばれているが村人に差別感はなく、専門的な技術に信頼と感謝があるという。穢と差別との関係を否定する重要な指摘をしている。そしてB「生と死」では霊魂の存在を述べている。
 この三点の軸を通して二章「生死の信仰・俗信」を読み通してみたい。この章は十一の論文で構成されている。
 @俗信というのは科学の温床でありながら、しかも非科学的なカスばかりが残ったものが俗信であると指摘をする。また祭祀構造の中で陰の部分を占める物忌が俗信と区別ができない程からみあっていることを述べている。次ぎに呪術と祈願に関して呪術は俗信でありしかも個人的であるのに対して、祈願は信仰と俗信の中間に位置し社会的であると指摘をしている。そして著者自身は呪術を研究・指向して呪術の解明を試み、そこから呪術は日本独自のものではなく外来文化の受容の可能性を見いだすのである。
 A穢では、まず通過儀礼の問題から入って行く。この儀礼は再生と復活の儀礼であり人生の折り目であると述べる。この中の産育・婚姻・そして葬式には穢が伴っているのである。
 また穢というのは基本は俗信であるという。俗信は非科学的であり連想というものが伴いやすく、かつ連想を大切にしなければならないと述べる。つまり大量の出血は死に至るのであるが、出血の連想は生理的な出血まで及び混同されて、その結果出血は穢となったのである。当然そこには男性社会の論理が働いていたと論じている。
 B霊魂では産神・厠神の存在自体が疑問であることから説き起こして、産神とは実は赤子に入る霊魂であり、産の忌とは産婦が身をつつしんで体力の回復を待つ広い意味の俗信であると述べる。また厠神とは中世末期近世初頭の陰陽師が作り上げたものであり、祖霊信仰の形成過程そのものであると明解に示している。
 伝統的な葬送墓制は根強い霊魂信仰を背景として遺体遺骨に執着が少なかった。遺骨を尊重するのは仏教の影響であり、それが今日の墓地問題へとつながっているという。
 そもそも霊魂信仰が発達した祖霊信仰は不幸な魂の救済を無視する欠陥があって宗教とはなれなかった。それを補ったのは仏教であって民衆の中に受け入れられた。ところが祖霊信仰自体は中世末期・近世初頭の復古思想や国粋主義の盛り上がりの中で形成し整備されたと重要な指摘をする。
 以上、本書は霊魂を核に置きながら三軸が関連しあって著されている。そして結論にあたるのが「柳田国男の祖霊信仰」である。柳田は霊魂信仰と祖霊信仰の境目がはっきりとしないことから祖霊信仰が非常に古いものと考えてしまったことである。これについて著者は中世末期・近世初頭の国学高揚と民間宗教者の活躍が契機となって祖霊信仰が形成されたと論じるのである。
 本書を読んでいると、二五年前筆者の民俗学研究の最初の輪読会テキストが『先祖の話』であったことが思い出された。最初に立ち戻させるのが本書であるように思われる。民俗学の研究分野は多岐にわたるが、民俗学のあるべき本質が見いだされる。
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