西尾正仁著『薬師信仰−護国の仏から温泉の仏へ−』
評者・藤江 久志 掲載誌・御影史学論集26(2001.10)

 薬師如来は病気治療の仏としてあまりにも自明のこととして従来その信仰について体系的に考察されることが少なかったのである。
 しかしながら本書は極めて実証的に薬師信仰の歴史的変遷について明らかにしており、単純な思い込みが誤りであることを教えてくれている。
 本書の構成は次の通りである。
(目次省略)
 以上のように本書の内容は多岐にわたるが、特に古代における薬師信仰について著者が明らかにしたことを紹介したい。
 著者は、古代社会において薬師如来造立が天皇を中心とした人々の病気平癒のためであり、同じ病気でも社会に広く蔓延する疫病消除に対しては賑恤・大赦が実施され、金剛般若経を誦するにすぎないことを明らかにする。そしてそれは、天災を天皇の寡徳にその原因を求める古代国家の基本的考え方に由来し、又薬師信仰はそれを補強する関係にあったことを明らかにした。
 さらに仁明朝に盛んになる薬師悔過に注目し、このころに薬師法が疫病消除に用いられるようになったことを指摘する。この変化は、災異失政説に代わって怨霊がその原因とされるようになり、それを防ぐために験力に優れた僧の力が必要とされ、その結果登場してきた密教僧に対する、南都仏教側からの巻き返しの動きの結果であるとする。
 以上のように紙数の関係からごく一部の内容を紹介したが、著者は薬師如来に対する信仰が古代国家体制の思想的変遷と密接に関係していることを明らかにし、単なる仏教思想史に留まらず、政治史的にも薬師信仰をめぐる動向の重要性を教えてくれるのである。
 また、中世・近世の個別の薬師信仰を巡る問題については、研究対象があまりにも膨大であるが、今後薬師信仰に関わる研究を進めていく上において、時衆や熊野信仰者などの伝播者の問題等基本的な事柄についてその解決の筋道を示しているのである。
 さらに著者は伝説や社寺縁起について長年研究を重ねられており、本書で示された伝承に対する考察の方法は薬師信仰の研究にとどまらず我々に示唆を与えてくれるであろう。
 本書は薬師信仰の基本的研究として重要な価値を有するのである。
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