西尾正仁著『薬師信仰―護国の仏から温泉の仏へ―』
評者・越川次郎 掲載誌・日本民俗学226(2001.5)

 本書は副題にみられるように、薬師如来の「護国の仏から温泉の仏ヘ」至る過程を検討したものである。薬師如来の「護国」的役割や「温泉」における信仰は、従来の薬師研究では注目されてこなかった側面である。
 もっとも薬師如来は、古代から現代まで様々な形でひろく信仰されてきたが、そのわりには、民俗学の研究対象としてはあまり注目されてこなかった。その理由を本書の筆者は、薬師が除病安楽の仏であるという固定観念にとらわれ、またあまりにも世俗的かつ単線的信仰であると考えられていたために、これを深く追求しようとする研究者が少なかったのだとしている(八頁)。本書以前で、民俗学の立場から薬師信仰を検討した代表的なものとして、五来重(編)『薬師信仰』がある。これに対し筆者は、庶民信仰の中にこそ薬師信仰の本質があるとする五来の指摘の重要性を評価しつつも、「五来氏の論は各時代・各地域の薬師信仰の共通性・通時性に目を向けるあまりに、各々の信仰のもつダイナミクスを捨象してしまい、かえって薬師信仰の持つ猥雑な力強さが見えてこないように感じられる」と批判している(一七頁)。
筆者は、古代から近世にかけての薬師信仰をめぐる様々な史料の検討から、薬師を単なる医療の仏としてはならないと主張し、また、薬師信仰を広めた宗教者や薬師如来に願を託す民衆の存在を無視することはできないと訴えている(八〜九頁)。このような観点から、「各時代毎に特徴的な薬師信仰を取り上げ、その信仰を流布しようとした人々あるいは集団に焦点を当てながら、薬師信仰の諸相を明らかにしていこうというのが本書の目的」であると述べている(九頁)。全体としては、薬師信仰をめぐる民間説話とそれを持ち伝えた人々や集団を明らかにすることに重点を置いた構成となっており、これが本書の大きな特徴である(一八頁)。
つまり本書は、薬師信仰の多様な歴史的展開を検討することによって、五来重(編)『薬師信仰』に代表される、薬師が「除病安楽の仏」であるという単一的な認識への修正を促しているといえる。そして、本書はその意味で、薬師信仰研究のさらなる発展の可能性と課題を示したのであり刮目に価する。また評者は、民俗学における医療の問題に関心があり、薬師信仰にも興味を持っていたが、具体的な課題には着手していなかった。本書によって、民俗から医療の問題を考える際の薬師信仰の重要性をさらに強く感じた次第である。 
それでは、本書の構成を概観してから、具体的に内容を紹介し、評者なりのコメントを付させていただきたいと思う。本書のおもな構成は以下の通りである。
(目次省略)
 第一章は、六国史に見られる薬師信仰に関する記述から、古代薬師信仰の変遷を検討している。筆者によると奈良時代の薬師信仰は、皇親の病気平癒・延命祈願にその目的が限定されており、疫病流行のような社会的災異には援用されなかった(三一頁)。
 ところが仁明朝にはいると、薬師法や薬師悔過法といった薬師を本尊とする修法は不予には修せられなくなり、代わって疫癘流行や物怪出現といった社会的災事に対して修せられるようになった。しかし、こうした社会的災事に修せられていた薬師悔過法も、承和十年(八四三)を最後に六国史からは姿を消してしまうという(七五頁)。
 摂関期において病は、いわゆる物怪によって引き起こされると考えられるようになり、薬師の力では押さえ込むことができないものと考えられた。そのため、患う以前の息災に薬師の力を期待するようになった(七九〜八三頁)。藤原道長は薬師を、九世紀段階で見られた来世指向の薬師信仰とは異なる性格の、滅罪修善のための仏、あるいは極楽浄土への遣送仏と理解していたことが、『栄華物語』や『今昔物語集』の記述から窺えるという(八九〜九一頁)。この道長の信仰は、浄土教に吸収されたものであり、浄土信仰が末法思想の高まりの中で急速に高まりを見せたことから、このように薬師も末法時代の仏としての面が注目されることは十分予想されるとしている(九三頁)。
 第二章は、律令政府の疫病対策に視点を据え、その対策の中から疫病神信仰が形成されてきたことを明らかにし、次いで平安中期の代表的な行疫神である牛頭天王を祀る祇園感神院の本尊に薬師が選ばれた理由を陰陽道との関わりから探っている。
 第三章では、温泉に薬師が多く祀られていることに筆者は注目しており、その発祥は有馬温泉にあると結論づけている。筆者はまず有馬温泉をめぐる諸伝承を分析し、その伝承母胎となった集団について検討すると共に、その集団と薬師との関係を論じている。
 建長六年(一二五四)成立の『古今著聞集』巻二第三話は、初めて温泉と薬師との関係が示された説話である(一七六貢)。行基が摂津国の有馬温泉で行き倒れの病者を救うが、これが薬師の化身で、「我はこれ温泉の行者也」と名のって忽然と姿を消した。そこで行基は、寺院の建立と薬師如来像の安置を誓願し、今の昆陽寺(現兵庫県伊丹市)を建立したという。筆者は、この説話の「温泉行者也」という薬師の言葉を重視している。この一言によって温泉は薬師如来の行場としての位置を獲得したとする(一八○頁)。
 そして、有馬温泉にある温泉寺の縁起と『臥雲日件録』の記事との比較から、この説話が有馬で成立したとしている。そして、温泉寺縁起は有馬温泉再興伝承という性格を併せもっており、寺院によってのみ独占されたわけではなかった。そのため、番乞食や魚売りの商人が往来し、又一方でこうした人々の存在が、湯治客に温泉寺開基伝承の存在を換気させるという相互の関係によって伝承され続けた(一八五頁)。
 さらに筆者は、清澄寺蔵の「冥土蘇生記」にある、尊恵が地獄に招請されたという説話に注目している。「冥土蘇生記」では、清澄寺を往生地、顕教四方仏の三つまでの勝地とし、有馬温泉山を東方薬師の勝地としての位置付けを行っている。こうした薬師信仰の萌芽は、既に十世紀末の天台浄土教においてみられる。それは第一章で指摘された、阿弥陀極楽浄土への遣送仏としての薬師信仰である。有馬に勧進のために集ってきた人々は、こうした信仰を持った念仏聖であったと思われ、彼らは有馬に元来あった石像薬師を浄土教に習合させ、二世安楽の地有馬をつくりだした(一九八頁)。その後、十二世紀に存亡の危機に瀕した有馬は、天台山門系念仏聖らの勧進集団によって再興されたとする(一九九頁)。
 続けて筆者は、全国の一五○の温泉の開湯伝説を検討し、中でも薬師が卓越していること、行基による開湯伝説が重要な位置を占めていることなどを指摘している(二三四頁)。行基開湯伝説は行基による温泉の発見・薬師の造立・寺院の建立を一つのセットとして構成されており、温泉と薬師を結び付けた最古の説話が『古今著聞集』にみられる有馬温泉の開湯伝承であることから見て、これらの伝説は有馬を起点として全国的な広がりを見せているとすべきであり、換言すれば、当初有馬温泉によって管理されていたこの伝説を、各地に持ち広げていった集団の存在が想起されるとしている(二四二〜二四三)。そしてその集団は、東大寺の勧進事業に参加した山岳宗教者であり、行基伝説を管理していた勧進聖たちと交流する中で行基開湯伝説を持ち伝える伝播者の役割を果たすようになったという(二五○頁)。それは、彼等の中に山中で活動する中で温泉を発見し、これを管理経営するものもあったからである。そして、彼等は行基と自分達の活動を重ね併せるようにして自分達の経営する温泉に行基開湯伝説を持ち込み、それと同時に、この伝説で自ら「温泉の行者」と名告る薬師如来を温泉の守護仏として祭祀するようになった。この過程を通して薬師は他の神仏とは区別され、温泉守護仏としての地位を確固たるものにする。やがて行基開湯伝説をもたない他の温泉においても薬師は守護仏として祭祀される。そのような様子を、白浜湯崎や玉造温泉の伝説に見ることができるという(二五○頁)。
 第四章では、十五世紀以降有馬との交流を深め、熊野に集っていた時衆や熊野比丘尼などの遊行する宗教者によって、薬師や温泉をめぐる民間説話、たとえば和泉式部・浄瑠璃姫・小栗判官などが日本各地に展開されていく様子を報告している。
 さて、本書で中核となるのは、第三章「行基開湯伝説と温泉薬師」であると評者は判断している。したがって、この章を中心にコメントを若干加えてみたい。しかし、第一章と二章は第三章で論を展開する際の基盤となり、第四章は三章で展開した議論を補強する役割を担っていると評者は理解したので、結果的に本書全体を視野に入れることとなる。
 第三章では、全国の温泉で祀られている薬師如来は、有馬温泉を基点として当時温泉経営にも関わった勧進聖や遊行者などによって広められていったものとしている。筆者によれば有馬温泉は、十二世紀に再興され、それは浄土教の中に位置付けられた薬師信仰をもった勧進聖によってなされたという。そして彼らが修験の山岳修行者らと交わることによって、行基開湯伝説と薬師信仰は広められたとする。筆者のこの主張を首肯すれば、行基開湯伝説と薬師信仰のみならず様々な文化要素が、有馬から山岳修行者によって伝えられたと考えることができる。文化の基点と運搬者が明確化されるという点でこれは、文化伝播論に一つの見方を与える可能性を孕む重大な問題であると評者は考える。
 それだけに、第三章で議論された問題は慎重に扱われなくてはならないのであるが、必ずしもそうではない部分がかいま見られる。たとえば第三章の議論は、有馬における浄土教と薬師との結びつきを主な論拠としており、その問題は第一章第三節であつかわれている。この節では、摂関期に藤原道長が時代を先取りした形で薬師如来を浄土への遣送仏と理解していたという論を展開している。だが、薬師と浄土信仰との結びつきが本格化したとされる院政期については、薬師経と『梁塵秘抄』とに浄土信仰の影響が窺える一節をとりあげ、「浄土信仰が末法思想の高まりの中で急速に高まりを見せたことから、薬師も末法時代の仏としての面が注目されることは十分予想される」としているのみで(九三頁)、その記述は一頁にも満たない。「道長の薬師信仰」と題したこの節全体の頁数も十頁におよばず、内容についても概観的要約的印象を持たざるを得ない。紙数の制約や史料の制約があるのかも知れないが、第三章・四章の議論の展開を支える肝心な部分にしては、その検討がいささか不充分ではないかという感を持った。
 また第三章第二節では、全国一五○の温泉開湯伝承を一覧表にして概観し、温泉薬師と行基開湯伝説とのかかわりを指摘したうえで具体的に行基が関わる温泉を八例あげている。そのいずれもごく短い紹介程度の記述に留まっており、評者はものたりなさを感じた。結局、以上から筆者は「行基開湯伝承を有する多くの温泉で、鎌倉時代の初頭の再興伝承を持つ点」のみしか指摘しておらず、先に紹介した重要な議論については、前節までの結論と他の史料とにその検討を委ねてしまっている。そのため、この節で筆者が用意した一覧表の資料が生かしきれていないようにおもわれるとともに、やや結論を急ぎ過ぎているように感じられる。
 以上、簡単に内容紹介と評者なりに気のついたことを述べてきた。いずれにせよ、本書の最大の意義は、従来の薬師信仰研究に新たな視点を付加したことであると評者は考える。その意味で本書が研究史上重要な位置をしめる研究であることは変わらない。また、民俗学に歴史的見地からのアプローチがいかに重要であるかを再確認させられたと同時に、個人的には医療民俗の検討において薬師の重要性を認識させられたのはありがたかった。
 本書が五来重(編)『薬師信仰』と並ぶ、薬師信仰研究の基本文献として、後世の学史に位置づけられること、すなわち本書を新たな出発点として、薬師信仰の研究が大幅に進むことを期待したい。筆者の西尾氏も、そのような思いも込めてあえて、五来重(編)『薬師信仰』と同じ書名にしたのであろうと評者は勝手に推測している。
《参考文献》
五来重(編) 一九七六 『薬師信仰』雄山閣
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