宮家準著『羽黒修験―その歴史と峰入―』
評者・岩鼻通明 掲載誌・日本民俗学226(2001.5)

 一 はじめに
 本書は、日本山岳修験学会会長で、修験道研究の三部作(1)(『修験道儀礼の研究』・『修験道思想の研究』・『修験道組織の研究』)を世に問われ、最近は入門書として『修験道』(2)を出版された宮家準国学院大学文学部教授が、羽黒修験に関する既往の論文に、新たな書き下ろし原稿を加えて、まとめられた一書である。本書の「おわりに」によれば、この原稿は既に五年ほども以前に完成して、某出版社に預けられていたが、出版事情の変化で刊行が困難となったため、この度、日本山岳修験学会の学会誌「山岳修験」の発売元でもある岩田書院から刊行の運びとなった。前著の『修験道組織の研究』の第五章第二節「羽黒修験の一山組織」などと一部で重複する部分がみられるものの、本来は本書の出版が先行していた企画であったことからすれば、やむを得ないものであり、該当部分は本書において、より詳述されている。

 二 内容構成の紹介
 まず最初に、以下の十章からなる本書の内容構成を目次にしたがって紹介することから始めたい。
 第一章 羽黒修験の性格では、修験道とはいかなる宗教であるのかが概説され、羽黒修験と出羽三山との関わりが述べられる。そして、羽黒修験の歴史・羽黒の一山組織・羽黒修験の峰入と信仰のあらましが簡潔にまとめられ、最後に羽黒修験と出羽三山信仰の研究史が整理されている。
 第二章 羽黒山の開山伝承では、羽黒山の開山者とされる崇峻天皇の子である蜂子皇子が由良の浜を経て羽黒山に入ったとされるが、その由良の浜と羽黒山の関わりを探求している。羽黒山の開山縁起類の検討から、由良の浜に関わる伝承は近世期に入ってからつくられたと推測し、由良の港を利用した海の民たちが羽黒山信仰の担い手となり、羽黒山の側でも彼らの伝承を取り入れて蜂子皇子の由良の浜上陸伝承を整えていったものと結論づけられている。
 第三章 羽黒一山の成立と展開では、古代から中世末期に至るまでの歩みが述べられている。この時期の出羽三山に関する史料は断片的にしか残存していないことから、各種の古文書や古記録、さらに縁起や金石文などを活用した記述となっている。戦国期には、周辺の戦国大名の争いに巻き込まれる形になるが、武藤氏や上杉・最上氏との関係が綿密に整理されている。
 第四章 近世における羽黒一山では、まず羽黒一山の大改革者であった天宥別当の事跡が述べられる。羽黒修験の確立や羽黒山中の整備は、羽黒一山を天台宗に統一した天宥別当の功績によるところが大きいが、彼の失脚に至った理由についても、衆徒との軋轢などから説明されている。天宥以降の別当は輪王寺門跡から任命される形となり、ほとんどの別当は羽黒に赴かない事態に陥ったが、十九世紀に入って疲弊した羽黒一山をたてなおすべく羽黒に赴任したのが覚諄別当であった。彼は羽黒山頂のご本社の再建や山麓衆徒を恩分と平門前とに組織化するなどの改革を実施した。最後に、衆徒の立場からの羽黒一山の構造についてのまとめが行われている。
 第五章 羽黒修験の地方組織では、まず中世の在地修験支配に関して触れられる。次に末派修験と霞・檀那場の支配関係について述べられ、近世前期における本山派・当山派修験との確執の問題が指摘され、さらに末派修験と霞・檀那場は東日本一円に広範に分布したことが数々の図表を交えて整理されている。
 第六章 羽黒派里修験の変容では、現在の岩手県宮古市内を中心として、羽黒派修験の状況と近現代におけるその変容を取り上げている。本章は前章における羽黒修験の地方組織に関して、具体的に論じた内容となっており、近世期を通じて、宮古市内の羽黒派修験が、どのように展開していったか、また、神仏分離にともなう変容と現代に生き続ける羽黒修験の末裔の姿を追い求めている。
 第七章 近・現代の羽黒一山では、明治初期の神仏分離と、それにともなう山麓衆徒の再編(山中の清僧衆徒は離散した)、および仏教寺院として存続した手向の黄金堂とそれを管轄する正善院、および秋の峰入の籠り堂として使われる荒沢寺について、羽黒修験の再興として述べられ、さらに第二次大戦後の今日に至るまでの歩みも記述されている。
 第八章 羽黒修験の秋の峰では、正善院を拠点とする羽黒山修験本宗の秋の峰入に、著者が実際に参加した体験に基づく報告であり、秋の峰の実態・構造・機能・世界観についてのまとめが行われている。
 第九章 羽黒山の松例祭もまた、著者の体験に基づく報告であり、その研究史や由来と意義、神仏分離にともなう変容や、松聖の冬の峰修行および羽黒一山組織との関連について述べられている。
 第十章 外国人の羽黒修験研究では、著者とともに羽黒修験の秋の峰および羽黒山の松例祭を現地調査したエアハートとブラッカーの著書の解説(3)(『羽黒修験道』・『あずさ弓』)およびエアハートと著者との対談が収録されている。 

 三 特色と問題点の指摘
 本書を通読して、印象に残った点をあげると、まず、近世後期の覚諄別当の改革が高く評価されている部分である。羽黒山の石段や杉並木などの整備を初めとする近世前期の天宥別当の改革は強調されることが多いが、それに比して、従来は覚諄別当の改革への注目度は高いとは言えなかった。寛政年間に湯殿山をめぐる両造法論が真言宗との間で蒸し返されたり(ちょうど、その時期に三山に参詣した高山彦九郎の日記でも言及されている)(4)、羽黒山頂の御本社が焼失したりなどで疲弊した羽黒の一山組織を立て直したことは覚諄別当の大きな功績であり、その改革があってこそ、羽黒修験が現代まで存続し続けた基盤が形成されたといえるのであり、そこに光が照らされた意義は大きい。
 また、現地調査に基づく羽黒修験の秋の峰と松例祭に関する部分からは、若き日の著者の修験道を宗教学の立場から解明せんとする気迫と情熱がひしひしと伝わってくる。今は世界的な研究者となられたエアハートとブラッカーも共に調査に参加し、熱い議論を交わしたことも、その論証を一段とブラッシュアップすることに寄与したことは疑い無く、著者たちの邂逅は羽黒修験研究にとって意義深い出会いであったといえよう。そのあたりの経緯については、第十章で触れられている。
 ただ、羽黒修験の秋の峰に関する調査研究は仏教側のものがほとんどで、明治の神仏分離以降は並行して実施されている出羽三山神社による秋の峰についての調査報告は皆無に近く、開山一千四百年を記念して一九九三年から開始された女性向けの秋の峰への参加報告がいくつかみられる程度である。この秋の峰は女人禁制の解禁とうたわれてはいるものの、実施時期は異なり、女性のみを対象に行われていることから、これらの参加報告は神道側の秋の峰の調査報告とは言い難い(5)。両者が分離して以来、既に一世紀余りの年月が過ぎたわけで、今後の課題として両者の相違点と共通点を比較分析してこそ、前近代の羽黒修験の秋の峰の本質や全体像をとらえることになるのではなかろうか。昨年で開館十周年を迎えた手向の「いでは文化記念館」は羽黒町営の施設として仏教側と神道側をつなぐ機能を有しつつあり、独自の羽黒山伏修行体験も年に数回実施していて、これからは羽黒修験研究の中核的役割を果たすことが期待される。
 また、従来の諸説を整理して取りまとめる手際のよさには、熟達した研究者の姿が示されている。たとえば、第五章で「霞状」の歴史的展開を、在地修験→配下の修験、一山衆徒→在地修験、別当→在地修験、別当→山中修験、の順に展開したと結論づけた整理は理解しやすい。ただ、田中秀和『幕末維新期における宗教と地域社会』(6)において提起された地域性の問題は捨象されているのではなかろうか。羽黒山の信仰圏がすべて等質的な存在であったのかどうかについては、今後、信仰圏内の地域の側からの比較検討が深められなければならない。
 さらに、気になった点をいくつか指摘してみたい。まず十六頁で「明治以降になって、(中略)出羽三山の名称が一般化した」と述べられるが、出羽三山神社の総称が用いられるのは第二次大戦後であり、それまでは三神社ないし三山神社という名称が使われていた。史料上でも、近世期には「羽黒三山」・「湯殿三山」(両造法論の影響からか天台宗の別当寺では羽黒三山という呼称が、真言宗の別当寺では湯殿三山という呼称がよく用いられたようである)・「羽州三山」・「奥三山」(関東地方からの近世の三山参詣旅日記にしばしばみられる)といった名称が使われているが、「出羽三山」の名称は管見の限りでは未だ現れず、おそらくは昭和になって研究者が出羽三山信仰に注目しはじめた頃から、いわば学術用語として使用されはじめ、それが一般的となって戦後は神社の総称にも使われるようになったものではなかろうか。
 たとえば、宮本袈裟雄編「山岳宗教文献総目録」(7)所収の文献からみれば、「出羽三山」の名称が使用された文献の初見は、戸川安章「出羽三山縁年考」『斎藤報恩会時報』一六五、一九四○年、であり、中央で発行された文献としては、岸本英夫「出羽三山を中心とせる宗教的修行について」『帝国学士院紀事』一―二、一九四二年、となる。本書で引用される阿部正己『出羽三山史』(8)は、両者の中間の一九四一年の刊行であり、これ以前に、地元で「出羽三山」の名称が使われていたかどうかを今後詰める必要が残るが、明治の神仏分離以降、ただちに「出羽三山」の名称が一般化したわけではないという点だけは指摘しておきたい。
 次いで、六八頁で、宥誉(天宥)の出身を最上の公平氏と述べられているが、天宥と岩根沢日月寺の密接な関係は以前から指摘されており、近年になって岩根沢旧日月寺の世代墓地に天宥の両親の墓石が発見され、天宥の両親は老後を岩根沢ですごし、そこで亡くなったものとみられるため、天宥は岩根沢の出身であるともみなしうるが、岩根沢のある山形県西付山郡西川町の安中坊(寒河江市の慈恩寺に属した)の出身であるとする説が有力である(9)。
 続いて、一一八頁で、「押切地区(現尾花沢市)では、全戸が山麓妻帯修験の桜林坊の土檀那になっている」と述べられるが、土檀那という羽黒修験の地方組織は庄内平野のみに存在するものであるゆえに、この押切地区は尾花沢市の旧押切村ではなく、庄内の現三川町の押切新田を指すものであろう。
 なお、一八二頁で、「島津伝道は、明治十八年一月十八日に山形県東置賜郡高島町の(中略)として生まれ」とあるのは山形県東置賜郡高畠町の誤植である。
 さて、本書の読後感として、歴史地理学の専攻である評者との立場の相違が顕著な点を指摘したい。著者の基本的姿勢が羽黒修験史の研究であるのに対して、評者は出羽三山を不可分のものとして、全体的に研究する基本的立場をとってきた。評者の理解では、月山が三山信仰の中核となる本山(奥山)であり、羽黒山はその前立(里山)として立地しており、湯殿山は三山の奥の院ともされるが元来は三山に属ざず、内陸部に位置する葉山が中世には三山のひとつであり、羽黒山と同じく、月山の前立(里山)の役割を有していた(10)。
 天宥別当の羽黒山の天台宗統一によって、両造法論と称される天台宗と真言宗の内部対立が三山で生じるに至るが、両造法論の過程には不明な部分も多く、その全容はいまだ解明されていないといえよう。先述の霞支配の歴史的・地域的展開もまた、両造法論の過程と密接に関連して変化したものと憶測される。それを、単に湯殿山と月山・羽黒山が真言宗と天台宗に分離したと解釈するだけでは三山信仰の全体像は描ききれないといえよう。
 湯殿山の別当寺であった真言宗四ヶ寺に属した山先達たちのほとんどは修験の資格を持たない人々であった。にもかかわらず、羽黒山手向や同じく天台宗に属する内陸部の岩根沢の登拝口と同等に三山参詣者が利用したのはなぜなのだろうか。内陸部の本道寺は近接する岩根沢よりもむしろ多くの参詣者を集めたのはどうしてなのか、といった疑問を解き明かすことは簡単ではない。その面で、羽黒修験の存在はあくまでも三山信仰を全体的にとらえれば、その一部にすぎないのではなかろうか。

 四 おわりに
 最後に、近年の動向として、一九九九年秋に放送された第八回FNSドキユメンタリー大賞ノミネート作品の山形さくらんぼテレビ局制作の番組『消える山伏―岐路に立つ出羽三山―』(11)では、出羽三山の現況を、参拝者の減少・山伏の高齢化・信仰心の希薄化の面から世俗化して、その魅力が薄れているとの指摘が存在する。この指摘については反論もあろうが(この番組もまた、羽黒山のみの分析にとどまっている側面が大きい)、二十一世紀に出羽三山信仰を継承していく上で、二十世紀の出羽三山研究を体系的に整理した本書がその出発点にあることはまちがいなく、羽黒修験研究にとどまらず、羽黒修験道そのものにとっても今後の道しるべとなるべき文献として二十世紀の最後の年に出版された意義は大きい。
 以上、評者の視点からの言及が多くを占める結果となったが、これで本書の紹介の責を終えたい。
《注》
(1)
   宮家準『修験道儀礼の研究 増補決定版』春秋社 一九九九年(初版一九七○年)
   宮家準『修験道思想の研究 増補決定版』春秋社 一九九九年(初版一九八五年)
   宮家準『修験道組織の研究』春秋社 一九九九年(2)宮家準『修験道 その歴史    
   と修行』講談社学術文庫、二○○一年
(3)エアハート・H・B著、宮家準監訳、鈴木正崇訳『羽黒修験道』弘文堂 一九八五 年
   ブラッカー・C著、秋山さと子訳『あずざ弓 上・下』岩波書店 一九九五年(初    
   版一九八○年)
(4)岩鼻通明『出羽三山の文化と民俗』岩田書院 一九九六年
(5)岩鼻通明「富士山と羽黒山の女人禁制の解禁」西郊民俗一四七 一九九四年 なお  
   羽黒山の事例の部分を、岩鼻通明『出羽三山の文化と民俗』岩田書院 一九九六年 
   に再録。
(6)田中秀和『幕末維新期における宗教と地域社会』清文堂出版 一九九七年
(7)宮本袈裟雄編「山岳宗教文献総目録」(桜井徳太郎編『山岳宗教と民間信仰の研究   
   宗教史研究叢書6』名著出版)一九七六年
(8)阿部正己『出羽三山史』(山形県編『山形県史蹟名勝天然記念物調査報告』一一・    
   一二)一九四一年
(9)『西川町史』上巻 山形県西村山郡西川町 一九九五年 五○五頁、および『立川   
   町史』上巻 山形県東田川郡立川町 二○○○年 三四二〜三四五頁
(10)岩鼻通明「出羽三山の両造法論と絵図」西村山地域史の研究一四、一九九六年
(11)『消える山伏−岐路に立つ出羽三山−』(番組の概要は、
   HP http: //www.hujitv.co.jp/tx/pabupepa/99-337.htmlを参照)
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