池田昭著『ヴェーバーの日本近代化論と宗教―宗教と政治の視座から―
評者・三木 英 掲載誌・宗教研究328(75-1)(2001.6)

 本書の著者・池田昭氏はいうまでもなくマックス・ヴェーバー(とくにその宗教社会学)研究の泰斗であり、また大本やひとのみち教団の研究をはじめ、政治、天皇制、民俗に対する筆鋒も鋭く、数多くの著書を世に問うてきた碩学である。
 評者は学生時代にヴェーバーの社会学に触れ、その巨大なることにおののき焦慮してその著作、またその名を表題に含んだ本を入手して理解もできぬままに読んでいたものである。池田氏の『ウェーバー宗教社会学の世界』(勁草書房、一九七五年)も、ちょうどその頃に評者の机上を占領したものであった。いまあらためてそれを開くと、傍線を施したり書き込んだりと、当時それなりに真面目に取り組んだ跡を確認することができる。その後、ヴェーバー社会学の峻嶮を前にとても登りきれぬと嘆息して正面からの登頂を避け、高峰を横目に宗教社会学研究を行うなか、ロバート・ベラーの『日本近代化と宗教倫理』(未来社、一九六六年、のち岩波書店より『徳川時代の宗教』として再刊、一九九六年)あるいはブライアン・ウィルソンの『セグトー―その宗教社会学』(平凡社、一九七二年、のち恒星社厚生閣より『宗教セクト』として再刊、一九九一年)等、池田氏の訳出になるこれら偉大な業績に接し、多くを学んだ。
 池田氏の仕事との出会いなくして評者のいまを想像することは難しい。そしてこのことは、一人評者のみにいえることではないだろう。池田氏が斯界に向けて発した数々の業績があってこそ、現在の宗教(社会学)研究者が存立しえているといっても過言ではあるまい。
 池田氏は常に一つの方向を見据えていたと、評者には思われる。もちろん、池田氏の視線の先には常にマックス・ヴェーバーがいた。とりわけヴェーバーが日本に言及した箇所は、池田氏の脳裏から決して離れることがなかったところではないか。そして本書は、池田氏がその学究生活を通して見つめ続けた問題への答えであるといっていいだろう。なぜ東洋においては日本が西洋型の資本主義を受容し発展させることができたのか、ヴェーバー的問題への池田氏渾身の解答が、本書なのである。
 本書は主に、世界に躍進した近・現代日本社会のメカニズムのルーツを探求しようとしている。まず、その構成を示しておこう。そしてその順序に従って、本書の概要を紹介することにする。
(目次省略)
 ヴェーバーは『儒教と道教』において、文化発展に決定的なことは戦争君主の軍事的カリスマと呪術師の平和主義的カリスマが一手に握られていたか否かであり、一手に握られていた場合どちらのカリスマが「一次的に」君主権力の発展の基礎となっているかが重要である、と述べている。池田氏が序論において行っているのは、ヴェーバーのこの指摘を敷衍し、分析のためのより明確な枠組みを提示することである。すなわち「権威の命令権力に基づいた力の行使の支配は、すべての社会関係ないしは社会集団を、主導する」(本書、九頁)との見地に立ち、宗教と政治との関係に着目して@政治・権力が宗教権力を掌握し、自己の権力の一次的な発展の基礎として自己の軍事的カリスマを置いている場合、A政治権力が、第一の場合と同じように宗教権力を掌握しているが、しかし、第一の場合と違って自己の権力の一次的な発展の基礎として、宗教権力の平和主義的カリスマを置いている場含、B第一・第二の場合とは違って宗教権力と政治権力がそれぞれ独立し、自己のカリスマに基づいている場合、と三つの枠組みを設定しているのである。そして日本は@に拠って、中国はA、インドはBに拠って論じられることになる。
 宗教と政治との関係といっても、本書では日本に存在するあらゆる宗教が言及されるわけではない。ヴェーバーに倣い、「宗教の規範や生活様式が一定の体系をもち、その担い手も一定の組織をもっている、そうした宗教」(本書、一六頁)に着目しようというのが、本書の基礎的な視点である。その上で、第一部第一章は神道に言及する。近代化と選択的親和性をもつものとして浄土真宗、禅、新宗教等をそれと措定した研究はこれまでにも数多く現れてはいるが、西欧資本主義という異文化を導入し受容を可能ならしめる文化伝統は神道(地域神=カミの崇拝)のものであると見、その習合能力を評価するのである。
 第二章では徳川幕藩体制下の宗教−政治関係、すなわち将軍と天皇との関係が考察されている。ヴェーバーは先の分析枠組み@に拠って、これを説明しようとしているようである。ただヴェーバーは、代々の将軍が世襲的軍事的カリスマを有していたもののそれを自己の権力の一次的な発展の基礎とはなしえず、政治的には無力な教権制の長たる天皇を必要とした、と見る。これに対して池田氏は、東方より昇って全土を照らす最高神として祀られた初代とそれ以降の将軍が、「武威ゆえの宗教権威」を有したことを指摘する。日本では(著しい宗教権威・宗教権力を有する宗教階層が存在するインドとは異なり)「どんな世俗の存在であれ、これが非日常的存在となり、現世利益的効用をもつとなると、世俗的存在は聖化され、宗教権威をもつ」(本書、三〇頁)からである。将軍は天皇に仕える宮宰であるという従来の見方を排し、むしろ天皇に優越する存在と捉え、そして下位にある天皇は将軍宣下の式においてのみ一時的に将軍の上位に立ち、将軍にマナを付与してその支配を正当化するという関係を、この章は取り出すのである。
 第三章では琉球王国が取り上げられ、武威を持つがゆえに宗教権威をもつ太陽神としての国王と、彼にマナを付与してその支配を正当化する聞得大君という神女の存在が報告されている。続く第四章が追求するのは、幕藩体制下の村落共同体における宗教―政治関係である。長老制の村落共同体の代表者として最高の宗教権威をもち政治権力を行使する長老の存在と、それに対しマナを付与する者として祭祀執行の中核的実行者である一年神主の存在が、ここで指摘される。また家父長制的村落共同体にあっては分家等による聖なる行事によって、あるいは巫女による託宣を通じマナが付与されることで、系譜の原点としての家カリスマ(そしてそれゆえの宗教権威)をもつ総本家が正当化され、さらに琉球においても長老あるいは家父長たる根人(ニーチツコ)がノロによってマナを付与される、という図式的関係が明らかにされているのである。
 第五章ではこれまでの議論がまとめられる。要すれば、体制であれ村落であれ、政治権力をもちそれゆえの宗教権威を有する祭祀の主宰者(将軍・国王・長老・総本家・根人)は、独自の宗教権威と宗教権力をもつ祭祀の実行者(天皇・聞得大君・一年神主・分家・ノロ)に対し優越するものの、祭祀に際して一時的にその立場は逆転し、実行者が授けるマナを受けて、その支配の正当化を果たすのである。日本シャーマニズムにおいては、宗教権威に優れた「審神者」が神々=精霊を操作して宗教権威において劣る「神主」に依り憑かせ、一時的に神となった神主から呪術的カリスマを受けるという関係が一般的であった(今日も見られる木曾御嶽講における御座立て儀礼は好例である)。この儀礼様式、換言すれば日本的「王権神授」は、日本社会の構造と文化に貫かれていたのである。ここでは「強いカリスマの所有者は、人間の利益のために、より弱い精霊や神=力を自由に強制し得る、という一つの宗教観念が前提となっている」(本書、一○三頁)。これはヴェーバーのいう「神々の強制」としての呪術である。そして神道(さらにいえば呪術)は「現世利益(のマナの働き)を求め、どんな時でも、どんな場でも、神道以外の神々や他村落の神々のどんなものでも、要請する」(本書、一○四頁)という功利的現世主義のエートスを涵養する。さらにこのエートスは、神道のいう「ケガレ」観念に基礎づけられているといわれる。ケガレを克服するなら、欲望を肯定して現世利益を追求し、目的合理的に行動することが必要なのだといわれるのである。この限りにおいて、西欧の産業資本主義という異文化であっても、それを導入することに無理はないということになる。
 この功利的現世主義のエートスに加え、産業資本主義導入にあたりプラスに作用したものとして本書は日本独特の社会構造も強調している。従士的封建制がそれであり、そこに見られる社会関係の固定的ではないことが、第六章の主張しようとするところである。従士的封建制は、中世ヨーロッパのレーエン封建制のように「定型的な範囲に確定されたところの契約」(ヴェーバー)に基づくものではなく、「仲間」的忠誠感情を基礎に置くものであったとされる。ここにおける主従関係には目的合理性が存し、たとえば藩という「仲間」集団を維持し発展させるためには「主君押込め」すらありえたように、集団功利主義への志向が存していた。すなわち「変革」することを妨げない精神が、ここにはあったのである。また村落、とりわけ長老制の村落においても、この構造の相似形が見られる。不変の家カリスマゆえに固定した関係をもっていた家父長制村落とは異なり、一年神主はその限定された期間に責務を果たすことで長老へと上昇する可能性をもっていた。それが、長老制村落を停滞から救い出す。幕末から明治にかけて、日本資本主義の担い手を多く輩出したのが一年神主制度をもっていた関西の地域だったことは、示唆的である。劣位にあった独自の宗教権力の担い手が政治権力の担い手に対等もしくは優位に「なる」ことがあったように、日本社会に見られた「なる論理」ゆえの社会流動性と、(仲間)集団功利主義とが相俟って、産業資本主義という異文化導入を促したというわけである。
第二部第一章は一九九三年にミュンヘンで開催された国際シンボジウム「日本とヴェーバー」においての池田氏による報告であり、第一部で展開された議論の大本となった論考である。これまでと重複する部分もあるが、紹介しておこう。中国とは異なり、日本においてはインドと同様に政治権力と宗教権力の二元牲(池田氏はこれを「指導者層の双頭性」と呼ぶ)が見られるものの、両権力がそれぞれ相互に独立していたインドとは異なって、日本にあっては政治権力優位のもとで二つの権力が交叉していた。将軍と天皇との関係、村落共同体の祭祀集団の長老と一年神主との関係はこれであり、新宗教においてもオルガナイザーと巫者的存在との前者優位の双頭的関係が見られる。そして政治権力の管掌者=封建的階統制の担い手(将軍・大名・代官・庄屋)に対しては、彼らを神に祀ったいくつもの事例から知られるように、救済者宗教意識が見られた。それゆえに彼らは強力な支配をなすことが可能となる。そして支配者の指導のもと資本主義は導入され、日本は「『国民的』共同体意識」(ヴェーバー)をもつ統一的な近代的国民国家へと移行することとなる。また、日本の封建体制が外的諸条件に対して柔軟でありえたことも大きい。将軍、大名、代官、庄屋と、それぞれの結節点に崇拝されるカリスマを有した自律的存在があったことが、その理由として挙げられている。また武士勢力に関し、彼らが臨機応変に行動することを良しとする武士道に基づいていたことも、柔軟性をもたらす。これは、「時・処・位」に応じて対処することを良しとする神道の原理に合致する。加えて、神道が日常労働を説いたことも重要であるとされる。池田氏によれば、苦難の根拠となるものはケガレであり、ケガレとは功利主義的観点から有用ではないものをいう。苦難から逃れる方法、つまりキヨメル方法として日常労働に精励することが強調されるというわけである。日本近代化と選択的親和関係にあるファクターを、本章は満を持して指摘した感がある。
 第二部第二章は池田氏の旧著『ヴェーバー宗教社会学の世界』所収の「大衆宗教意識」が再録されたものである。ここで問われているのは、バラモンという祭司権力の最高の担い手が存在したインドにおいて、なぜ呪術的恩寵を施すことを主機能とする秘行者(Mystergog)が(バラモン階層の内外から)現われ、民衆が彼らを「生ける救済者」として崇拝したのか、その理由である。分析枠組みBに拠るインドでは聖と俗の権力は並立しており、バラモンが政治権力を掌握していないという事情は、彼らの祭司権力を空洞化させていた。加えて、バラモン・カーストが合理的に組織化された統一的祭司組織でなかったことも大きい。また、バラモンの宗教権威の根拠が呪的カリスマである限り、それはいかなる身分にも結びつかず、他のカーストによるカリスマの獲得を阻止できるものではない。そしてヒンドゥー教の救済教義は、キリスト教のように一義的でなく、多義的であった。これらの要因が、バラモン階層内外からの秘行者出現の可能性を開く。その彼らへの民衆による崇拝は十一世紀以降に頭著なものとなる。この頃から呪術・精霊信仰が再活性化し、秘行者を中核とする宗派組織の階統化が進んで、一般信者に対する彼らの権威が絶対化してゆくのである。秘行者のカリスマは、欧米のように官職にでなく、その人自身に結びついている。それゆえ恩寵を受けることを望む者は、秘行者個人に絶対的に帰依し、彼らを崇拝することになる。また同時期、イスラム勢力が侵入して貴族的力ーストの没落が始まるが、このことにより民衆の期待は秘行者(グル)に向けられ、彼らを「生ける救済者」として崇拝する意識が高まってゆくのである。
 最後の第二部第三章では、都市中間層を吸収して成長を遂げた「ひとのみち教団」とファシズムとの関係が論じられる。ひとのみちのイデオロギー的特徴は、一方で天皇至上主義を謳い、他方でデモクラシーの基本概念を説いたという矛盾した性格であろう。やがてひとのみちは権力に統合されてゆくことになるが、生活危機に直面した都市中間層がいかにしてそれに呑み込まれていったのか、その理由が彼らのエートスに求められ、そのエートスが「苦難の弁明論(Theodizee des Leidens神義論であるが、池田氏はこう訳出する)」を鍵に、解明されてゆく。ひとのみちの教えによれば、唯一の神は無定形なアニマ的力=マナであって、それは諸々の神々・仏を含む宇宙の万物に顕現する。人間は「神の分霊」であり、その人間の「ひとのみち」とは現象世界の一切を自身に従属させ、自己の利益のために利用することである。降りかかった苦難も神の現われである限り、否定されてはならない。そもそも人が苦難に見舞われる原因は心の問題(不足心)である。ならば、人間を曇らせ苦難を誘引した「自我」を「没却」して「天人合一」するなら、救済財としての徳が獲得されよう。自我没却の手段は「惟神の道」と呼ばれ、それは何より現実生活において「身を削ぐ」実践(日常的労働)である。さらにいえば社会、国家のため、自己犠牲を払って尽くすことである。そうすることで神から与えられた「個性」が発揮され、人は「真の自由」を享受できると説かれる。「真の自由」は今日いわれるような目的というより、集団功利主義的に働いた結果というわけである。ここに見られる一種の楽天主義が、不況に喘いでいた都市中間層の共感を得る。そして集団功利主義的性格は、国民を動員するエネルギーを供給することになる。またそして、何より大切な集団(天皇を頂点とする国家)の前には、民主主義が強調する「平等」も「権利」も、何時であれ放擲される運命にあったといえるのである。
 以上、本書を概観した。評者の力量不足ゆえに、池田氏の力点の置き所を捉えそこなったのではないかと懸念する。それ程に盛り沢山の内容であったからと弁明しておくが、しかし池田氏的問題、ヴェーバー的問題の考究を志す向きに少しは役立てるよう、示しえたのではないか。
 以下、感じたところを述べる。本書を構成する二つのセクションのうち、一部の方が本書のテーマをより直接的に論じていると思われるため、コメントはそちらに向けられるが、その前に二部についても若干記しておこう。第二部第一章は第一部の原点として重複する部分も少なくないため、ここでは触れない。第二部第二章について、これが旧著から再録されたのは、インドと対比することで日本社会の姿をより鮮明にするためなのであろうか。確かにインドにおける宗―政の二元的支配、宗教体系の非組織性、また呪的カリスマをめぐる個人的関係の強調は、日本のそれに濃厚な集団性とは対照的で、これがインド社会全体の近代化にプラスにならなかったということであろう。評者としては、このインド社会の分析に加えて中国についての論考も並置されていれば、本書全体のバランスを思うなら、よかったのではないかと感じられた。第二部第三章については、第一部で指摘された神道の要素(ケガレ、ミソギ)や集団功利主義がここで再現しており、興味深い。ヴェーバーがもしこの同じテーマを論じたならかくあろうと思わせるような、池田氏の独壇場というべき研究である。が、本書のテーマからすれば付け足し的なものではないか。第二部第二章も、であるが、この二つの章が本書に採録された積極的な理由は評者には不明である。
 さて、本題である。何より、本書が到達しえたところに対し、賛辞は惜しまれるべきではない。日本が西欧の資本主義という異文化の導入に成功しえた因として、神道と従士的封建制とに着目し、そのメカニズムを解明した本書の価値は計り知れぬほどに大きい。これまでの研究が看過してきた感のある神道の、文化発展における重要性を丸山真男のいう「(カミに)なる論理」を挺子にして見出し、革新性から最も遠いと思われた神道のイメージを覆した点は高く評価さるべきであろう。加えて、宗教的ファクターを指摘することで事足れりとはせず、日本社会の構造上の特質と近代化という変革との親和性にまで論を進めたことが、池田氏の議論を力強いものにしている。日本宗教社会学の王道を往く記念碑的な作品といえよう。
 その内容の豊かなこと、説得的なることは、評者の拙い筆では尽くせそうもない。原典にあたっていただくことを勧めることとして、残された紙幅で評者が感じた若干の疑問を呈しておきたい。まず、日本近代化と関係する宗教として指摘された神道であるが、この神道という言葉でなく、日本シャーマニズムあるいは日本的呪術体系という言葉を用いた方がより適切といえまいか。神道という言葉からは、宗教法人・神社本庁による宗教が想起されることもあり、その場含には誤解を招くこともあろう。より正確を求めるなら、神道という言葉に代わるもので問題の日本宗教を表わすべきであったと思われる。
また本書では琉球が取り上げられ、国王と聞得大君、根人とノロとの関係が将軍と天皇、長老と一年神主との関係に相応するものとして活写されているが、この琉球を第三章・四章において論じ、第一部の結論部というべき五章・六章につなげるかたちで布置したのは何故なのか。琉球もまた顕著な近代化を達成したというのなら理解できるが、そうとはいえないはずである。なぜここで琉球なのか、説明に乏しいようである。なお、琉球においては、マナを授与する神女の呪術が合理的知識ではなく「土着の伝統的信仰知識」(本書、五○頁)に基づいており、そのために「宗教は、合理化から程遠く、琉球社会の停滞化を招くことになった」(本書、六○頁)と考えられている。このことに関連し、天皇はさておき、一年神主が依拠したのも土着の伝統的信仰知識ではなかったか。日本の村落共同体の宗教は、琉球社会のそれと比較して、合理的であったといえるのであろうか。その点、やや説明不足ではないか。
「日本的王権神授」についても若干の疑問がある。将軍が天皇からマナを受けてその支配の正当性をえたことについて、池田氏は「将軍の宗教権威が武威に基づいていて平和時には有効でなく、あるいは確固としたルールをもっておらず、これらのためにそれは不安定なのである」(本書、五一頁)からマナが必要とされたのだと説明している。琉球国王についても同様であろう。では長老の場含、また家父長(総本家)の場合はどうなのだろうか。ともにその宗教権威は、将軍・国王と等しく、不安定であったのだろうか。とりわけ、不変の家カリスマをもつ総本家の権威は盤石なのではなかったのか。そうであれば、マナを受ける必要などない、と考えられまいか。
 もう一つ、神道の罪(悪)観念である「ケガレ」が功利的現世主義をモティベートするとの主張が、評者には不明瞭なままである。池田氏はケガレを、いわば利益追求にあたり無駄なもの、邪魔になるものと規定しているようで、そこから先の主張を導いているのであるが、何やら牽強付会の感がないでもない。さらに、日本の宗教事情は「生ける救済者宗教を成立せしめなかった」(本書、一四七頁)といわれるが、それでは将軍、大名等による強力な支配を指摘した第二部第一章の主張と矛盾するのではないだろうか。
 細かい点で疑問を感じた箇所、得心のいかなかった部分は以上を含め、実は少なくない。しかし、それを差し引いても、本書の大筋は圧倒的な追力をもち、示唆に富むものであった。そして本書を読むものは等しく、池田氏の学問的情熱の炎がいまだ盛んなることを感じることができるであろう。次に世に問われるであろう研究が、待ち望まれるところである。
 また本書は、近年の宗教(社会学)研究が枝棄末節に拘泥し本道を外れていると、言外に訴えているようにも感じられた。評者とては、大先達から下された鉄槌でもあると思い、自戒して原点を忘れず研究に取り組むよう、心新たにしたことである。

詳細へ 注文へ 戻る