林英一著『近世の民俗的世界−濃州山間農家の年中行事と生活−』
評者・西海賢二 掲載誌・地方史研究292(2001.8)

 本書は一九九七年五月に刊行された『民俗と内的「他者」−祭祀組織と非組織の関係−』(岩田書院)に続く著者三冊目の単著である。前著では葬式をめぐる葬家(主体)と地域的互助組織(他者)との関係を導き、これをべースにして祭祀・行事における祭祀組織(主体)と非組織(他者)との関係を理論的に論考したものであり、この成果を基にして、いくつかの地域を取り上げ、地域ごとの両者の関係を捉えたものであった。これをうけて本書では、前著の理論的な論考から一転して実証的(具体的)に岐阜県加茂郡白川町黒川のある農家に伝わる天保八年(一八三七)に書かれた『自昔代々行伝来ル年中行事』やその他の近世文書から、まず当時の民俗の様相を求める作業を行っている。そのことによって近世の民俗を歴史資料から独立的に取り出す作業を行うことを試みている。林氏によれば独立的ということは、時代的であると解釈している。その後に現在の伝承との比較研究を行ったものである。両者を比較することにより、より近世の民俗の様相が明確にとらえられるとしている。以下、主要目次を掲げる。
(目次省略)
 近年、近世史研究と民俗学の研究が共同研究的に行われてきていることは周知の事実であるが、その多くは歴史学の立場から民俗学が多く対象としてきた問題たとえば民俗行事の分化・発展や子供のしぐさ・地域社会と民俗社会などを調査研究のテーマに据えるものが多い傾向にある。それに対して本書はあくまでも民俗学の立場から近世史研究にアプローチしたものであり今後の近世史研究のなかで本質的に民俗学研究をどれほど評価の対象として取捨できるかの一つの著作となるであろう。
 通読して民俗学からの近世史へのアプローチの可能性はある程度理解することはできたが最近学際的という一種のブームによって隣接の学問とが相互扶助的な関係を持続することが重要であるとの見解が主流である。もちろん学問研究にとってこれが最善であることはいうまでもないが、これまでの歴史学(近世史)からの潮流とは連動しているとはいい難い。ここ一、二年の研究動向に限ってもタイトルは民俗学的なものが目立つようになってきているが切り口はほとんどが文献解釈的なものが多いのは否めない。例えば昨年刊行された鯨井千佐登著『境界紀行−近世日本の生活文化と権力−』〈勁草書房・二○○○年〉を興味深く拝読させていただいた。そこには「指きり」をはじめとする子供のしぐさと呪文、白鳥や白狐の姿をかりた神々の伝説や祭り、男根の模型や春画などの縁起物にみられる都市や農村の祝祭的空間を彩った滑稽な性と陽気な笑いなどを紹介している。さらに先祖の暮らしの哀歓の条件としてはたらいていたものが手がかりに、今日の既成の通念からいったん離れることによって、過去の生活文化のもった豊かな意味を発見し、さらに近代的世界観とはまったく異質の民俗的心性の側面を探ることができるとしている。くわえて「ゆびきり」や伝説、縁起物などの取るに足らないと思われるもの、まともに取り上げるのがはばかれるもの、そうしたものが意外にも大きな問題と深く結びついていることを検証しようとした。傾聴に値するものであるが取り上げている事例はほとんど歴史史料からであり、まさにこうした視点が本来的に歴史学と民俗学の協調によってすすめられるならば、と自戒をこめて反省している。さらに中村博勝「近世後期の地域社会と『民俗的世界』ヘの対応−南山城上津屋村等九ケ村組合村の事例を中心に−」(『日本史研究』四六五号・二○○一年五月)にいたっては「近世中後期の村−地域社会では、「民俗的世界」の「膨張」ともいうべき事態への対応が、焦点の一つであると規定し、南山城の上津屋村等九ケ村組合村を中心に、互酬関係などの「規範」にも着目しながら、同村・組合村の「民俗的世界」ヘの対応を検討している。ここで注目すべきは中村氏が「民俗的世界」について、その内容について、従来「民衆」とよばれてきたものを「民俗」と言い換えることによって新たに見えてくるものとして、民俗的諸行事やその諸集団などを一括して民俗的世界と捉えていることは民俗学の立場のものもこの論旨を今後の課題としてすえる必要があるに思える。この点はすでに四半世紀も前に安丸良夫氏が民俗的世界が地域社会を覆うと述べられたことに誘引されて、ここに互酬の概念を取り入れることで、民俗的世界の膨張とそれに対する動きとのせめぎ合いが存在していると括っている。この指摘からかなりの月日が経過するものの民俗学側からの意思表示はなかったように思われる。その点では林の今回の著作は題材は年中行事であるがこれに対する一つの回答になるような意味合いがあるように思われる。

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