喜多村理子著『神社合祀とムラ社会』
評者・櫻井治男 掲載誌・宗教研究328(2001.6)



 本書のもとは、『山陰民俗研究』(二、一九九六年)と『日本民俗学』(一七二、一九八七年)とに掲載された二論文であるが、一書にまとめるにあたり加筆訂正がほどこされ、かなり大部の内容となり、それだけ読み応えのある論考となっている。著者の研究対象はムラ社会、そして「歴史の表舞台に立つこともなく一生を終わる人々の生活のあり様を歴史という時間の中において表す」(二四九頁)という手法の俎上にのぼったのが材料としての「ある事件」(同)、それが明治末期に生起した神社合祀である。
 著者はこの調査研究を通して「八幡では戦後の生活変化についても調査しましたが、高度経済成長期を経た今日ではムラ社会の中で人と人とが絆を結びあう機会が失われつつあり、その代わりに若い世代には地域よりも個人の生活を第一に考える意識が強まっています。氏神に対する信仰も徐々に薄れてきました。そうであるからこそ、宮騒動を起こした当時の人々のものの考え方、感じ方を明らかにしておく必要があったと思っています。」(二五○頁)と「あとがき」に感想を漏らしている。ここにいう「人々のものの考え方、感じ方」にいかに、そしてどのように迫るかを、民俗慣行、社会組織、個人の行動等へと焦点を当て、それらの相互関連のなかで浮かび上がってくるムラとムラ人という実態を、文献と聞き取り資料とを材料に明らかにしており、いわゆる「神社整理」問題を直接・間
接的に扱った諸論考のなかで、あらたな研究の枠組みを提示しているといえよう。
 本書は、鳥取県と滋賀県の二事例を深く掘り下げたものであるが、以下に掲げる目次を見てもわかるように、両者に共通する章・項の立て方とはなっていない。この点では、なぜこの二事例なのかという「神社整理」研究からの説明には不充分さがみられるが、地域の綿密な研究という点では、鋭い分析がなされており、今後の研究進展への貢献度は高いといえよう。目次は次ぎのようになっている。
(目次省略)
 第一部の「神社合祀と宮騒動」は、騒動の様相が臨場感をもって復元されており、こうした事例と、それを明らかにする文献資料とに出会えたことは幸運ともいえる。しかしながら、地域に埋もれている近代の神社行政関係資料にさほど光が当てられていない状況からすれば、著者の調査努力とそれを活用する視角の優れていることを示している。
 ここで著者は「宮」騒動との表現を採っている。ムラに神社は多数あるが、ミヤと呼ばれる神社は一つに限られると、かつて原田敏明は指摘したが、その点でもこの事例は、ムラ共同体が奉斎する神社のあり方をよく示している。騒動の内容は、一行政村における神社合祀の強行が、被合祀社の住民による反対行動の先鋭化を発生させ、警察による首謀者の拘引と裁判、小学校への児童同盟休校、町村分離請願などを引き起こしたもので、それだけであれば事件の起承転結で終わってしまうが、ここでは地方改良運動との関わりという切り口が持ち込まれていることにより、これを一地方の事件から、全国比較の事例へと引き出されているといってよかろう。
 第一章では、鳥取県の合祀施策の特徴として、知事の施策への取り組み態度、山陰線開通に見られる近代化と国民化の波、明治から大正への代替わりの時代性を、合祀が積極的に展開されたことと関連づけられている。この点ではかつて森岡清美が指摘したように三重県を神社整理のモデルケースとする中央政府の意図がみられるという特徴と異なっており、必ずしも当県内での施策展開に何か特別なあり方が存在するのかは明らかといいがたい。代替わりとの関連でみれば、三重県ではその頃に、かつて合祀された神社の復祀への行動が生起してくる時期であり、対照的な点に興味がひかれる。
 第二章は宮騒動の内容が詳しく描かれ、しぶとい住民側の抵抗運動が明らかにされている。特に被合祀神社の住民側から町村分離の請願がでていたり、また合祀後の復祀の状況を扱ったなかで、神社明細帳に脱漏していた神社がムラの氏神となる等、行政資料を活用しての提示は重要である。また、ここでは合祀施策を推進する県・郡の動きも示され、そこには「人々の信仰とムラ社会についての理解の欠如」(五五頁)があったことを指摘している。
 第三・四章では前章のような形で現れた騒動を、当時の社会状況とムラ社会の構造について、施策に対する新聞及び地元住民の反応、行政村とムラ、ムラの領域と構成戸、ムラ運営と階層、水利慣行等の六項から分析されている。ムラの非日常的事件が、なぜこのような形をとったのかを、日常生活を見ることで明らかになる(八頁)という視角からのもので、いくつか重要な指摘が見られる。なかでも町村合併とのからみで、合祀反対の立場に立つムラが、合祀先神社のムラではなく、それとは別なムラとの親近感を主張する点を、地理的条件、共有林問題、経済力の諸点から検証し、それはあくまで町村分離の理由付けにすぎず、むしろ「地主・小作関係が行政村の範囲内で完結していなかったため、各ムラの反発に対して行政村の抑制力が働かない構造…自作地主が…抵抗運動を繰り広げていきやすい環境」(一一四頁)と推論されている点は重要であろう。
 終章は、「身体感覚化されたムラ」、すなわち「ムラ社会の中で生きる身体を通して感覚的に捉えていた、その感覚的な部分」(一四五頁)が、国民統合施策とに齟齬のあったことをまとめとしている。当時のムラ人に忍び寄る全体社会の動き、すなわち町村合併、鉄道敷設、日露戦争による税負担、義務教育延長に伴う負担増加、高等科設置というような問題が、政治や時代に対する漠然とした不満・不振・不安を呼び起こし、危機意識を高め、それが「宮」の騒動として現れたことの課題である。そこでは、抵抗運動を展開した人々として、神職、区長・氏子総代、主役である住民の役割が、それぞれに機能したこととされる。また、そうした人々の社会的紐帯を強化してきた、非日常性としての祭礼や日常の共同労働、労力提供、労力交換の積み重ねがあったことが指摘されている。
 ここでの事例は、騒動が先鋭化した場面での様相である。こうした騒動が発生せずに、あるいはさほど問題とはならずに、神社合祀や復祀が進行した地域も、全国各地には多数見られよう。こうした事例との比較も同様の分析枠でなされれば、本書の指摘もさらに明確になるであろう。 第二部は、滋賀県の事例が扱われている。当県では境外無格社数が短期間に減少しているが、一般に神社合祀問題では、村社レベルの合祀に大きな課題を残し、境外無格社のそれについては少ないとされる。しかしながら、後者を単純にみてしまっては、実際の状況を正確には把握できないことを、ここでは検証されている。本書の第一部でも示されているように、村社間の合祀の場合にはムラ対行政村との対立が表出する。しかしながら、無格社と位置づけられていても、それがムラとしての「求心的役割」(一六四頁)をになっている限り、合祀に対する抵抗があることをここでは示される。しかも、事例として取り上げられている内容は、神社と寺の統廃合とムラの再編成という例である。
 文献資料や聞き取り調査により、ムラの歴史的状況、社会組織、祭礼行事等に焦点を当て、人々の日常的な繋がりを詳細に明らかにするとともに、祭礼組織の改編とその後の様相にまで及び興味深い内容である。
 事例となる三上村の北桜と南桜という二つのムラは、もとは同じ幹から分かれた集落との伝承をもち、共同の祭祀が行なわれる一方で、相互に縁組をしないという慣行も守られてきたところである。北桜はさらに二組に分かれていたが、明治末期に両組にそれぞれあった社寺は統合されるとともに三つの組をもつムラとしての再編成が行なわれたが、結果的には旧来の組の伝統的意識が残されていることが明らかにされている。一方の南桜は神社合祀だけでムラの再編成にまで及ぶこと無く祭礼実施やムラ運営がなされてきた。こうした両者の相違はムラ内における組の結合のあり方による異なりとされ、結局は「旧来の伝統を破壊するかたちで行なわれ…新しくつくられた組は結果的には集団としてのコーポレイトな側面を持ちえずに終わった」(二四八頁)との指摘がなされている。
 本書は、詳細な調査に基づくものであり、それらの要点を紹介するよりは、直接読者が内容に踏み込まれることを願いたい。ここで著者は、ムラに民俗解釈を施すことを控え、事実の掘り起こしと検証に当てられている。そのことが、今日の日本社会におけるムラの問題や地域社会の再生の課題に、伝統宗教の研究面から迫り得る材料を提供しているといえよう。
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