森田清美著『ダンナドン信仰』
評者・松原武実 掲載誌・南日本新聞(2001.6.17)


 隠れ念仏に新しい視座
 藩政時代、庶民は必ずいずれかの寺に所属させられた。例えば他国へ旅行する時に発行される通行手形には何宗の何寺に属するかが書かれでいた。いわば戸籍証明のようなもので、これを寺請制度という。十六世紀末から一向宗を禁止した薩摩藩では、宗門改めは役人によって厳しくなされたが寺請制度はなかった。したがって他藩のように特定の寺院と強く結びつく必要はなく、実際あまり結びつかなかった。
 では暮らしの中で日常的に生起する病や死や災害に人々はどう対処したのか。それにこたえたのが毛坊主(亜流の僧)やヤンボシ(山伏)たちであったが、その実態はほとんどと言っでいいほどわかっていない。
 串木野市の北西部に位置する荒川と羽島に焦点を当ててこの問題を考祭したのが本書。ここにはダンナドンと呼ばれる内寺(ウチデラ)を持つ家々がある。内寺とは正式の寺ではなく、民家の例えば納戸に祭壇が設けられた。その当主をトイナモン(年の者)という。人々はだれかが死ぬとダンナドンのところに走り、トイナモンにカケツケという儀式をまずしてもらい、トイナモンはその後の葬儀にかかわる諸儀礼を執り行う。中でも重要なのはホネナヤマカシという硬直した死体を納棺前に柔らかくする呪法。
 私はこの地域に芸能を訪ねたことはあるが、こういう秘儀的習俗があることは知らなかった。まずこれが大きな驚きだが、本書の意義は珍しい習俗の紹介にとどまらない。ダンナドンの機能、トイナモンの性格、同様の呪術を行った巫女と地神盲僧、ムラ内の各種の民俗神、これらを徹底的に分析することによって、庶民信仰の基層部分に迫っている点である。このことはカヤカベ等のかくれ念仏研究に新しい視座をもたらすとともに、南島に通ずる死霊観をも浮き彫りにする。
 ミクロに徹することによって全体を照射するという、郷土史研究本来のだいご味を十分に味わわせてくれる。
書者は長く県立高校に勤め、現在は鹿児島実業高校で社会科を教えている。多忙な教員生活の中でこれだけの研究を遂行したことに敬意を表する。(松原武実・鹿児島国際大学)
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