井之口章次著『生死の民俗』
評者・内田賢作 掲載誌・國學院雑誌102-5(2001.5)


 イエの核家族化や過疎による離村の進行、一人っ子の増加に伴い、近年墓のありようが問題とされている。従来型の墓地では、将来の維持も難しい時代になってきたからである。一方、○○家の墓式の家の墓には入りたくないという女性が増加し、散骨の是非や集合墓など新しい葬制・墓制に関わる問題が提起されている。また、文化の進展によって消滅するかと思われた迷信も、ある面ではいっこうに減少する気配はない。本書の著者井之口章次氏は「文明開化がとなえられてから、かれこれ百年も経つというのに、日の吉凶に関する俗信は、少しもおとろえる気配がない。それどころか、一般化して固定したように思われる。」と指摘する。葬儀の問題や生死に関する信仰・俗信について、検討し直し、そのあり方を考える必要性が生まれている。この書はそのよき手引きとなるであろう。
 著者井之口章次氏(元杏林大学教授、本学非常勤講師)は、折口信夫の郷土研究会で学びながら次第に柳田国男の民俗学に近づいていった。柳田国男主宰の「民俗学研究所」所員として、全国各地の民俗調査に従事する傍ら、長年本学の民俗学研究会を指導したが、その中心的な関心は葬式にあり、それにつながる霊魂信仰にあった。また、死と対極の人の誕生への関心が生まれ、死や出産との関係から俗信に関心を持ち続け、昭和二十九年『仏教以前』、昭和四十年『日本の葬式』を刊行し、昭和五十年には『日本の俗信』を刊行している。本書は、それ以降のこの方面の成果をまとめたものである。
 一部の「葬儀の民俗学」は、一九八一年から八二年にかけて「月刊歴史教育」に連載されたもので、葬送習俗に関する主要な問題が論じられている。著者は日本の場合は「霊魂信仰があまりに根強かったために、神観念や独自の宗教が十分に発達せず、仏教を借用する形をとってきたけれども、仏教の入ってくる前にも、独自の『あの世』を考えていたはずだ」とし、「霊魂信仰」から「祖霊信仰」ヘの発展過程を述べる。そして「霊魂信仰」を理解しようとしなければ、昔から統いてきた葬儀の心や、一つ一つの行為行動の意味が、全く埋解できなくなってしまうだろう」と主張する。一方で、「葬儀は死者の霊が平安に、あの世での生活を送れるように、静かに送り出す儀式である。生者にとっては、お別れの機会でもある。もちろん現代人は新しい習俗を求めている。何かを創造したいと考えている。しかしその原動力は、過去の蓄積の中にこそある。歴史を無視した思いつきでは人々はついてこないだろう」とも主張する。
 本稿は、我が国の葬送習俗の発生と現状、問題点を明示する。また、本稿に添えられている写真は、すでに消滅して目にする機会のない物が多く、習俗理解のための貴重な資料であり、葬送研究を志す者にとっては必読の書といえよう。
 二部の「生死の信仰・俗信」は國學院大学創立百周年記念出版『日本民俗研究大系』や弘文堂刊『講座日本の民俗宗教』等に執筆した信仰・俗信関係の十一の論文によって構成されている。これらはいわゆる「俗信」をめぐる問題と「祖霊信仰」をめぐる問題とに二分できるように思う。
 まず著者は「日本の俗信・迷信」の中で、柳田国男の俗信とは「永い歳月の間に、少しづつ養ひ育てて来た我々の自然観」である(「笑の本願」)との説明を引用し、「乏しい科学知識しかもたなかったわれわれの先祖達が大自然の脅威にさらされ、またその中で生きる人間の運命に自らの能力ではどうしようもない力の存在を垣間みたとき、それに対処するための知恵として、俗信は生まれた。」「どんな俗信にも、それが生まれた時代には、ただそれだけを生活の指針として生きていた人々がいた」と述べる。
信仰と俗信との関係については、「信仰はあくまで社会的なものである。類を呼ぶものである。これに対して俗信は、より個人的な、より具体的な知識や技術である」(祈願と呪術)とのべ、「神や霊や白然の力など、人間以上の力に対応しようとするとき、人力以上の力を人間と対等と見て、合理的と思われる手段で制御している場合を俗信とし、人力以上の力を人間より上位の存在として、拝み・祈る場合が信仰」(老少伝承論)と区別する。そして、「俗信を信仰の崩れた形、零落した姿としてしか見ようとしなかった、従来の固定観念を取り除いてみると、問題はまだまだ発展し、展開して行くだろうと思う」(老少伝承論)と今後の俗信研究への期待を述べている。
「現在、専門分野に分化している殆どの学問や思索は、総て俗信から生まれてきたものである。科学の温床であった」と述べ、その上で「俗信をそのまま信じるという意味で温存することに、私は強く反発し、反対する。だが、俗信の発生・存続の理法を追究することは、民族の自己反省のために必要なのである。そしてそれを通して、日本や日本人をよりよく知り、ひいては人間や文化の究明に近付いてゆく」(日本の俗信・迷信)と俗信研究の目的を示している。
「祖霊信仰」については、「民俗学の信仰関係の諸問題を、推し進めるためには、柳田国男の祖霊信仰論を検証しておかないことには、前に進むことができない」といい、『先祖の話』を元に取りまとめる。祖霊信仰の存在とそれを実証した柳田の功績を認めながら、祖霊になることができるのは幸せに死んでいった人の霊であり、若くして命を落とした人や、戦死・事故死・自殺した人の霊のことは考えていないがゆえに、それをどのように受け止めて評価するかが問題であるという。つまり「柳田は祖霊信仰を肯定的にとらえるばかりで、祖霊信仰の持っている重大な欠陥には、いっさい触れようとしなかった。また祖霊信仰を、日本固有の、基本的な信仰と位置づけ、非常に古くからのもののように考えた」という。そして、「独自の宗教を持ちたいという念願」から、「あらゆる外来宗教や思想、すべての神々を取り込んで、祖霊信仰を形成しようと、努力を結集した。これを祖霊信仰神学と呼んでも、言い過ぎではなかろう」と述べる。そのため祖霊信仰を見いだすという方向だけに行くと、「祖霊信仰神学の形成過程は、わかるかも知れないが、それ以外のことは何もわからなくなってしまう。師説を、ただ全面的に信奉するのは、後進のとるべき道ではない。冷静に、師説の出てきた筋道を明らかにすることが、後進の動めであり、今後の飛躍の原動力になるのではないか」と述べるのである。
 他の章は、この主張を実践したものである。例えば、「老少伝承論」の中で、著者は折口信夫の「稲むらの蔭にて」に触れ、信仰起源と実用起源との関係を検討し、「人は自然の中から、多くのことを学んできた。生活の知恵も霊魂観も自然観照の中から得てきた。そのうちカミ信仰が芽生え、皇室を頂点とする家族国家観の中で、稲作を中心とする農耕儀礼や、日本的祖霊信仰体系を創り上げてきた」という。また「好多説・不好多説―耳ふさぎ・耳くじり―」の章では、同齢者の死亡を耳にしたとき、耳をふさいで聞かなかったことにする呪いを取り上げ、中国の「竈祭り」に言及する。「日本文化研究の側から、外来文化受容の条件や、体質というべきものを、明らかにしよう」とし、新しい視点から従来の説に果敢に挑戦している。
 もちろん本書で、論じられている問題の全てが解決済みのわけではない。赤子が生まれてから宮参りまでの間に、つまり産の忌みの残っている間に、橋のたもとや便所などに連れて行くことがある。著者は「産の神そして厠神」の中で、これは「産神や産の忌みなどとは無関係な、危険を避けるしつけの問題である」と断定する。川はひとびとの暮らしのあらゆる側面にかかわっていた。川は村境であるとともに他界との接点でもあった。水神に習合される井戸神・厠神・橋神と産の神との関係については、なお検討の余地があるように思う。また、赤不浄といわれる穢れがある。出産・月事に伴う穢れである。結婚不浄というのもある。著者は「老少伝承論」で傷と同様、「処女出血を忌むということだろう」と結論づける。ただ、通過儀礼には、いったん死んだ形をとり、次の段階に生まれかわる形をとることがある。擬死再生である。つまり、死の穢れに通ずると見るのである。この問題では、婚礼と出産・葬儀を細かく分析し、対応させ、また、あらゆる出血の場面を想定して、検討してみる余地はあるように思われる。
 葬送や俗信研究で今なにが問題とされ、どういう学説があり、著者はどう考えているのか。今後の研究者に対して、大きな道筋を示している書である。

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