法辻本弘明著『中世武家法の史的構造』
評者・岡 邦信 掲載誌・古文書研究53(2001.5)


 本書は日本法制史研究者の辻本弘明氏が一九六八年から一九九一年にかけて発表された八本の論文から構成されている。
 本書の内容は多岐に亘るが、問題関心は近代市民社会成立の前提としての封建制がもたらした功績を認知し、日本社会の発展過程において封建制が如何なる役割を果したかという点を西欧封建制との対比に於いて明らかにするということに貫かれている様に思われる。その上で、中世日本に現われた「見逃され易い社会事象」が社会制度の特徴が顕現したものであり、それが法の成立と正義の維持に役立ってきたことを証明することを目的とされる。
 以下、各章の内容を紹介したい。
 第一章「太政官符と国司の権限」は伊賀国玉滝杣が東大寺に寄進された際に作成された天徳三年十二月廿六日付太政官牒と同日付太政官符案を素材として国司の在地における権限の行使とそれが日本における封建社会とその政治機構成立に果した役割を考察したものである。著者は官牒と符案では同杣を廻り競合関係にある東大寺と修理職について、前者では東大寺の要求を認めているのに対し、後者では斥けている点に触れ、符案は国司自身の権限に基づき、修理職の保護と自立性を保証するものとして発給されたとされる。この点、中世イングランドにおける特権領主の「令状返還権」と同じ性格を持つものとし、日本法史における領主特権領の封建関係の在り方の成熟に伴い生ずる過程の実態に類似性があることを指摘される。
 第二章「在地裁判権の成立」は十・十一世紀における在地裁判権の成立過程を明らかにせんとされたものである。著者は本公験を持たなかった中級官人以下の「在地刀禰等」が第三者に対抗するための、「在地」の証判を得ることによって相互保証機能を持つ「在地証判」制度を成立させ、この「在地証判」機能の延長の上に鎌倉幕府成立前夜には在地裁判権としての成熟を迎えたとされる。
 第三章「土地所有権の源流」は中世の土地領有をめぐる「本権」と「知行」の関係について、武家政権においては荘園付属的下級領主権に基づく知行としての土地支配が本権の様に授与特権に権原を置くのではなく、占有に根拠を置いて安堵を愛ける様になるその過程を明らかにせんとしたものである。
 そこにおいて、鎌倉幕府では当知行は年紀により権原に昇華されたのに対し、室町期には本権による由緒に基づくことなく、当知行それ自体に保護が加えられた。即ち、国王の特権授与は幕府・将軍の御判・奉書に取って代わられたとされる。
 第四章「武家社会の規範」は古い時代よりの社会規範としての「道理」を日本人の生活感性・生活意識との関わりで分析せんとするものであり、その為にはじめて「道理」思想を法制の基本理念に持ち込んだ御成敗式目にさかのぼり考察を進められたものである。
 著者は武家の「道理」観念は個人の意識的自覚を背景に成立したものであり、そこには「無私」「公平」という法感情を含むものであるとされた。更に鎌倉幕府法に見られる「不論理非」という文言についても、道理と融合することにより、理非を言わないことが道理であると解された。本来同一の観念ではない「道理」の理と「不論理非」の理を泰時は一致させることを企て、一致しない場合には「道理」を優先し、幕府の専断を排したのが「不論理非」を含む法であると高く評価するのである。
 第五章「惣管領権と在地耕誉権」は国衙機構を継承し、在庁を駆便し、田地を検注し、一国平均後、御家人役等を賦課徴収する権限=幕府の惣管領権とそれを分掌する立場にあった在地領主の惣領との関係を検注を手掛りとして究明せんとしたものである。
 律令国家の崩壊につれ国司が掌握するに到った検注権が荘園領主への公権委譲の形で分譲され、他方領家は現地武士にその代理をさせたことから国衙検注は武家実検使にも継承され、国司検注は二分されたこと、更に一円的規模で惣検を行い得た国衙に代り、中世国家たる幕府が荘公領の上位に位置する惣管領権を掌握し、惣領は幕府からその分掌的地位を保証され、公事納入との交換で得分を得、本領を安堵されたとされる。
 第六章「両成敗法の起源」は両成敗法の起源を観応三年の追加法に求め、その発生過程を訴訟手続法の変遷の面から追求したものである。それは喧嘩・私合戦も苅田狼藉等と同じく、権利の帰属をめぐる相論から派生した実力行使であるとの認識による。
 即ち、喧嘩両成敗法を安堵外題法、苅田狼藉の検断沙汰への移管等、紛争解決に当り、次第之訴訟を経ることを強制する一連の動きの中に位置付けられた。
 第七章「戦国法の形成過程」は何故戦国大名が領国支配に際し、「法による支配」を必要としたかという疑問につき、以下の観点から六角氏式目を素材として考察された。領主の自力救済権を基盤にした支配の正当性に法の基礎を置いていた鎌倉幕府法に対し、集団の構成員が自から法を制定し、自からの行為を規制するという一揆契状等の自律性を持った在地法の主体たる在地集団が所領安堵を契機として大名との間で封建契約が締結される。戦国法はかかる性格を持つものとされた。その上で、六角氏式目とマグナ・カルタを対比し、共に王(大名)と家臣の合意により成立した点に注目し、同意のみが法を法たらしめる点から「国法」とコモン・ローの共通性を主張ざれた。
 余録として掲載された「法文言の虚像と実像」は「不論理非」という文言の意味合の変化に着目し、法は立法時には実像をもって登場し、立法趣旨を意識して静的社会を維持しようとするが、政治は社会の変化を招来させようとし、変化した社会に妥当するよう法の機能に変化を加える。ここに法の実像を転倒した虚像が生まれるとされる。その上で憲法二十六条と教育基本法三条を考察し、同一の構造がここにも見られることを論じられた。
 以上、粗雑な紹介であるが、以下若干の感想を述べて書評の責を塞ぎたいと考える。
 本書を一読して印象的なことは、著者の、西欧と対比しつつ過去の法事象を光源として現代法・社会を照射しようという一貫した問題意識である。本書の章立てもその大きな構想から構成されたものと思われる。
 ところで、本書においては、比較の対象として、しばしば中世イングランドの法事象について言及が為される。比較研究という視点の重要性は言うまでもないが、何故中世日本の法事象を究明する為に中世イングランドが比較の対象とされたのか、両者の間に類似が見られるという以上の説明が必要なのではあるまいか。また両者の法事象に類似点があったとしたならば、その背景についてより掘り下げた究明が必要であろうし、そうしたならば理解が深められたであろう。
 次に一点史料解釈について疑問を述べさせていただくならば、文暦二年閏六月廿八日追加法の「就惣道之理、可有御成敗」についてである(一四六頁)。著者は惣道之理=道理として、起請の失が無かった場合、幕府が道理ときめるものを基準に成敗すべきと解釈されたが何故であろうか。起請の失が無いということは起請者の主張が真実であるとの神意が示されたのであり、はたしてそれを越える「幕府が道理ときめるもの」を想定し得るであろうか。むしろ、起請の失が無い=起請者の主張が真実であるとの神意が下った、その神意に従うことが「就惣道之理、可有御成敗」の意味ではあるまいか(例えば吾妻鏡寛元二年八月二日条)。
 以上、浅学非才故に著者の意図を誤解し、非礼に亘る所が多々あったのではないかと恐れる。また著書の豊かな内容に対し、木を見て森を見ずといった評になってしまった。著者の御海容を請う次第である。(北九州大学法学部教授)

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