小田雄三著『後戸と神仏』 |
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評者:山岸 常人 | |||||
「日本歴史」767(2012.4) |
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一九八〇年から九〇年頃にかけて、中世の寺社における多様な信仰の様相を追求する研究が盛んに行われた。後戸・床下などの場、摩多羅神や荼枳尼天のような仏神、その奉祭に関わる下級の宗教者や差別された人々など、いわば「正統ではない」宗教の諸現象に着目し、それがむしろ中世の宗教の重要な側面を示していることを明らかにした。つまり「正統ではない」などという修飾語が、中世の宗教のもつ多面性に正しく対峙していない者の言辞にすぎないことを示した一群の研究であった。この種の研究の先駆者であり最大の牽引者は本書でもしばしばとりあげられる服部幸雄であり、また彼と双璧をなす高取正男であったが、両者の研究は民俗学的な手法が濃厚であった。 本書は、「後戸考」(仮に第一論文とする、以下同様)、「中世の後戸猿楽について」(第二論文)、「後戸と後戸の神」(第三論文)、「服部幸堆『宿伸論−日本芸能民信仰の研究』をめぐって」(第四論文)、のわずか四編の論文から構成される。第三論文は第一・第二論文のエッセンスを納めつつ考察を深めたもの、第四論文は服部幸雄の遺著の紹介を兼ねて、著者の説や研究の履歴を述べたものである。したがって本書の主題が本格的に展開されるのは前半の二論文である。 第一論文では、後戸という空間が、本尊の護法神の祀られる独特の場であること、そのような空間・場の成立が院政期であり、鎌倉時代前半に定着したこと、本尊の背後の来迎壁の成立による仏前・仏後の空間の分割と、仏空間への人間の侵入の恒常化が後戸の形成の背景にあったことなどを明らかにした。さらに同様の性質を持った空間として、床下・縁下を挙げ、その聖性にまで言及する。その上で後戸を主たる活動の場とする職掌として承仕に注目し、仏への奉仕という職務と、後戸における仏物・寺物の管理といった、具体的役割を解明した。 しかし、著者が建築空間の変遷を知る上で依拠した井上充夫の所説は、それを鵜呑みにすることはいささか危険であろう。評者も井上の研究からは多大な影響を受けた一人であり、その成果を高く評価している。しかし井上の研究には、寺院の社会構造や、僧俗の寺社への関わりについて、正確な把握が欠落している。しかも、建築空間の変遷についての大局的な図式化を行ったために、実態とは異なった記述がまま見られる結果となっている。小田氏の論述の中に要約された井上の主張でもそうした点が現れている。井上説に依拠して、例えば、仏堂内に人が入るようになって、後ろから仏を見てはいけない禁忌が発生し、それにより来迎壁が成立し、そのために仏の不安が生ずる等という過程が想定されているが、そのような禁忌や不安は実証できるのだろうか。例えば、来迎壁の有無とは無関係に仏像には飛鳥時代から光背があって、井上説の論理に沿うならば後から見ることを防いでいる。とすれば井上説は無批判には依拠できない。もっとも、光背がそのような役割を持っていたとは思えないし、来迎壁も同様である。 若干の課題を残すとは言え、本書が中世寺院の後戸の理解のための基本的文献であることにかわりはない。コンパクトにまとまった珠玉の論文集である。 |
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