四国地域史研究連絡協議会編『戦争と地域社会−慰霊・空襲・銃後−』

評者:芳地智子
「地方史研究」357(2012.6)

 本書は、二〇一〇年七月に徳島市において開催された、第三回四国地域史研究連絡協議会(徳島大会)「近代四国における戦争と地域社会」の成果をまとめたものである。
 徳島大会では、四国四県の各研究者から、近代四国の戦争をその地域社会に暮らす人々の視点から考察した報告がなされた。

 高知県における日露戦争戦没者慰霊(小幡尚・高知県)
 善通寺における乃木神社・護国神社の建設(野村美紀・香川県)
 戦略爆撃と中小都市空襲
   −第二〇航空軍B29による愛媛県への空襲を中心に−(藤本文昭・愛媛県)
 戦時体制の進展と徳島の農村女性(佐藤正志・徳島県)

 小幡報告は、高知県における日露戦争戦没者慰霊の具体相を、遺骨の帰還から葬儀・埋葬に至るまでの過程に着目して検討したものである。亡くなった兵士がそれぞれの故郷でどのように弔われたかを、当時の地元新聞を主たる史料とし、また具体的な数値を示して論じている。陸軍省の規則では、遺骨の埋葬は陸軍墓地を原則とするものの、遺族への遺骨下付も認めており、ほとんどの遺族が下付を望み、軍の手を離れた遺骨の帰還儀式、葬儀(公葬)・共同墓地への埋葬には、地域の軍事援護組織が深く係わっていたことを明らかにし、高知県の戦没者慰霊のあり方の「原型」を示している。
 野村報告は、第一一師団が設置された軍都善通寺における乃木神社と護国神社の建設過程を具体的に検討している。乃木希典は初代の第一一師団長であったことから、乃木神社の建設計画や資金調達には師団幹部が関り、また例祭日を乃木の師団長任命日とするなど、神社は乃木個人の顕彰ではなく、第一一師団との関りを強調する意図であったとする。またその後の護国神社建設は、誘致活動に積極的であった丸亀ではなく、乃木神社に隣接し、戦没者の慰霊・顕彰施設が整備されていた善通寺が選定されたことが、地域独自の動きと連動し、特徴的であるとしている。
 藤本報告は、B29による愛媛県への空襲を、空襲体験者・空襲実行者(アメリカ兵)への聞き取り調査と、戦災遺跡の発掘、米軍の記録資料などの視点から検証している。愛媛県は松山市・今治市・宇和島市などが大規模な夜間焼夷弾空襲を受けるなど、四国では最も米軍に狙われていたとし、米軍上層部は精密爆撃こそ主たる戦略であるという信念を持ち、戦争の早期終結を意図して、地方の小都市を戦略爆撃したとしている。
 佐藤報告は、満州事変以後の戦時体制の進展のなかで、徳島の農村女性の日常生活から女性の果たした役割を検証している。「愛農婦入会」などの女性団体の設立で農村女性の組織化が進み、活発な活動を展開していた。女性たちはそれまでの閉ざされた社会から、「お国のため」として外での行動が可能となり、解放感や高揚感から銃後活動を推進していったとしている。

 本書の四本の報告では、戦時下における各地域の特色が明確に示されたが、さらに県を越えて他地域との比較研究が進むことが望まれる。研究大会の成果が一冊にまとめられることは、当日参加できなかった者にとっては本当に有難い。二〇〇八年に発足した四国地域史研究連絡協議会による刊行は、高松大会の成果である二〇一一年三月の『四国の大名−近世大名の交流と文化−』に引き続き、二冊目である。すでに昨年開催された高知大会の成果本の刊行も決定しており、今後も同協議会の四国地域における継続的な活動に期待したい。


詳細 注文へ 戻る