福西大輔著『加藤清正公信仰』

評者:池上正示
「望星」(2012年3月号)

「清正公」と民衆信仰
 加藤清正は不思議な存在だ。豊臣秀吉の部将で肥後の領主という、近世初期の一諸侯に過ぎなかったにもかかわらず、死後に様々な英雄伝説が生じ、歌舞伎や講談のヒーローとなった。また神格化され、庶民の祈願信仰の対象となった。豊国大明神(秀吉)や東照大権現(徳川家康)のように、神として祀られた同時代人はいるが、全国規模で信仰の対象となった例は他にない。
 従来この現象は、清正が生前に篤信していた法華信仰の伝播力に求められていた。が、それだけでは清正公信仰が法華・日蓮宗の範囲を超えて拡大したこと等を説明できない。また、従来の清正公信仰の研究は、特定の地域・宗派・寺院、そして清正伝説の賛美という視点からのものになりがちで、全国的で現代に至る視点からの、客観的な研究は乏しかった。
 本書は、広く長期的な視点からの、本格的な清正公信仰研究の先駆けと言えよう。成城大学と熊本大学で民俗学を学び、現在、熊本市立博物館の若手学芸員として活躍する著者は、民俗学的な手法を歴史研究に採り入れることで、清正公信仰が民衆に支持された理由を解明しようと試みている。そこから浮かび上がる清正公信仰の実像は、江戸時代後期には世情不安がもたらす流行神としての姿であり、政治批判の側面を持ち、ハンセン病患者等、疎外された人々が信仰の担い手の一部であったと考察している。そして近代では清正公信仰は国家の対外膨張政策に取り込まれ、軍神としての性格が肥大してゆく。その過程でわが本妙寺も、江戸後期には有名な大津波の供養塔の存在という陰徳と、近代ではハンセン病患者の排除という耳の痛い話を示されている。
 若書きの本書は専門家が読めば問題点はあると思う。が、この有意義な研究課題を担い続ける人材が著者であることは間違いない。


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