田村貞雄編『「ええじゃないか」の伝播』

評者:桜井 昭男
「明治維新史研究」8(2012.2)

 本書は、二〇〇九年九月六日に京都府城陽市の城陽市歴史民俗資料館で開催された 「ええじゃないか」関西シンポジウムの記録で、当日の報告・コメント八本を中心に、以下の九本の論考が収録されている。

  「ええじゃないか」関西シンポジウムの経過(田村貞雄)
  南山城・京都への「ええじゃないか」の伝播(中川博勝)
  「ええじゃないか」の諸段階と東西南北(田村貞雄)
  京都豊年踊りと大坂の砂持ち(長谷川伸三)
  名古屋の「ええじゃないか」と流行的な祭礼(武藤 真)
  「ええじゃないか」再考(木村直樹)
  「ええじゃないか」伝播の前提としての俳諧ネットワーク(伊藤 太)
  但馬国における「ええじゃないか」の展開(松井良祐)
  「ええじゃないか」とは何か(和田 実)
  「ええじゃないか」関西シンポ二〇〇九年で考えたこと(ひろたまさき)

 以下、それぞれの論考の内容について簡単な素描を行っておく。
 まず、田村貞雄氏の「「ええじゃないか」関西シンポジウムの経過」は、シンポジウムの発起人でもある田村氏が、シンポジウム開催にいたる経緯を説明されたものである。本シンポジウムに先立つ成果に位置づけられるものとして、一九八七年に愛知県豊橋市の愛知大学で開催された「ええじゃないか」東海シンポジウムがあるが、その成果とその後の「ええじゃないか」研究の進展状況を確認している。
 中川博勝氏の報告は、京都における「ええじゃないか」の初期段階の展開と発生前後の市中の状況との関係を明らかにすることを目的とし、大政奉還から王政復古にいたる政治権力の転換期にあって、全国的な大豊作と物価の下落という社会状況や、戦争回避に対する民衆の安堵感について触れ、そこにおける情報(風聞)の役割の重要性を指摘している。また、民衆の日常的な都市秩序である「町組」に注目していることは、「ええじゃないか」の意味を考える上で重要な視点といえる。
 田村貞雄氏は、これまでの氏の研究の要約という形で、「ええじゃないか」の諸段階とその発生範囲をまとめている。そこでは「ええじゃないか」のきっかけを御鍬百年祭とする自説を確認し、それまでの「ええじゃないか」観について、御蔭参りの延長であること、御札降りから始まったこと、民衆の不安を根底とする目的を持たない乱痴気騒ぎであるといった、これまでの「ええじゃないか」に対する観念を改める必要を説く。
 長谷川伸三氏の報告は、京都豊年踊りの絵画史料を用いながら、踊りの発端となった天保期の大坂の砂持ちや天保期以降の京都の砂持ちについて検討し、「ええじゃないか」との関連を追及したものである。
 また武藤氏は、名古屋城下及びその周辺の「ええじゃないか」について検討し、それが地域秩序に則って行われたことや、地域の伝統的な祭礼と密接に関わっていたことなどを指摘している。また現代に引き継がれている御鍬祭りも視野に入れながら、「ええじゃないか」の本質に迫ろうとしている点が注目される。
 木村氏は、これまでの研究史を整理しながら、あらためて「ええじゃないか」の「発端」から「伝播」にいたる「全体」との関連を明らかにするための「ええじゃないか」の条件と概念規定の必要性を指摘し、その視点から「御鍬祭百年祭」や「御札降り」「御蔭祭り」との関係を検討している。
 伊藤太氏は、「ええじゃないか」の前提として、俳諧という地域を結ぶネットワークの存在を想定することによって、「村の鎮守社神職」が踊りと俳諧を媒介していたことを指摘し、そこに登場する「風流」という語を「ええじゃないか」に通底するキーワードとして捉えている。
 松井良祐氏は、但馬国における「ええじゃないか」の展開を検討し、民衆が但馬国を通過した山陰道鎮撫使をまねた行列を行って新政府を歓迎したことについて触れ、それを稲荷踊りや残念さん参りの継承と位置づけ、「幕府政治の終わりを実感し、新政府に期待を寄せた人々の姿」を見ている。
 和田実氏は、「ええじゃないか」の最新の研究動向に対して、今後の「ええじゃないか」研究を展望し、「ええじゃないか」を受容した民衆の素地を各地域の祭礼や行事に求める研究動向をさらに発展させていくことや、「ええじゃないか」が発生した村の構造的把握の必要性を指摘している。
 最後にシンポジウムに参加したひろたまさき氏が、「ええじゃないか」の宗教的性格について触れ、民衆意識の変化に対する視点の重要性を述べている。

 以上、本書に収録されている論考について、ごく大雑把に紹介したが、「ええじゃないか」研究の進展とその状況がよくわかる内容となっている。とくに、「ええじゃないか」を考えていく際の論点として、「共同体秩序」ともいうべき日常の枠組みや、地域の祭礼といった伝統性が大きな要素として作用している点は、「ええじゃないか」の非日常性との関係という点で大きな意味をもつものと言える。伝統的な祭礼は概して伝統からの逸脱を否定するという意味で保守的といえるが、しかし時として祭礼に込められたエネルギーが横溢し、一気に反体制的状況(その方向性や程度は別として)を醸し出すこともある。そういった民衆の宗教性の問題を、それぞれの村落状況の変化の問題も含め明らかにしていくことが、今後の「ええじゃないか」研究の重要な論点になると思われる。
 ところで、今回のシンポジウムは会場が京都府城陽市ということで、報告はおもに近畿地域が対象であった。また、これまでの研究成果は、一九八七年のシンポジウムが愛知県豊橋市の愛知大学を会場とし、「東海シンポジウム」と銘打っていたことが象徴するように、東海地域の研究が「ええじゃないか」研究を主導してきた。しかし、田村氏の報告によると、「ええじゃないか」は関東から九州まで、蝦夷、陸奥をのぞく広い範囲で発生していたことが明らかにされているが、それらは「騒動の性格、現象に関して地域差がある」(武藤真氏、本書八一頁)、あるいは「地域によって「ええじゃないか」の多様な現象が明らかにされてきた」(和田実氏、本書一〇五頁)とすれば、その実態を東海・近畿以外の地域についてさらに検討していくことが必要といえる。たとえば、「ええじゃないか」については幕府政治に見切りをつけ、「新政府に期待を寄せた」(松井良祐氏、本書一〇一頁)民衆の反幕府的要素が指摘されているが、それは近畿地域における状況としては十分理解できるが、しかし「将軍の御膝元」関東地域ではどうだったのだろうか。その発生・展開・終焉の様相は東海地域や近畿地域とどのように異なるのだろうか。今後さらに対象地域を広げた史料の発掘と、それをもとにした研究の進展が望まれる。また、そのことによって新たな民衆像が構築されていくことが期待できるのではないだろうか。


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