川名 登著『戦国近世変革期の研究』

評者:滝川 恒昭
「日本歴史」765(2012.2)

 著者川名登氏(以下著者)は、日本近世史、なかでも河川水運史や河岸研究の第一人者として良く知られる。しかし本書はそれとは大きく分野を異にし、「現在のわれわれの生活を考えるとき、十六世紀という時代の各方面の研究が非常に重要だと考える(本書あとがき)」という問題意識のもと、著者が一九六〇年代から現在にいたるまで書きとめられてきた、戦国時代から近世初頭の房総を対象とした研究を集成したものである。その構成は大きく二部に分けられる。

 第一部は六章からなり、里見氏をはじめ、正木氏・武田氏・酒井氏・高城氏といった、戦国期の房総で活躍した領主について基礎的な考察を行ったものである。そのうち最も早くに発表された里見氏に関する研究は(一九六三年)、里見氏歴代が発給した確実な文書を可能な限り収集し、そこから花押・印判などの形態や特徴を見出し(いわゆる外的考察)、さらに集められた文書を時系列上に並べてみることでその歴史的事実を確定し、もっておもに「軍記物」「系図」等によって構築されてきた従来の里見氏の歴史像を徹底的に排除しようと意図したものである。
 この発給文書を徹底的に集めて種々分析するということは、すでに戦前において相田二郎氏が甲斐武田氏や小田原北条氏といった名だたる戦国大名の印判や花押を分析した際に採用している方法である。とはいえそれを里見氏クラスの存在にまで普遍化したこと、さらに文書の外的考察にとどまらず、それを基本的な歴史事実の検討や認定にまで発展させたことは、この方法が現在戦国大名研究において定着していることともあいまって、研究史に残る大きな仕事と評価できよう。また武田・正木・酒井・高城氏といった発給文書のきわめて少ない領主についても、その後関係史料をも合わせることで里見氏同様の分析・検討を行ったものがここに収録されているが、これらも基礎研究としての価値は高い。
 そのなかで最新作(二〇一〇年)の第二章「里見氏家臣団組織の成立」のみは、近世初頭期における里見氏に関する基礎的な事実関係を叙述したうえで、近世大名里見氏の家臣団構成や常陸鹿島領支配の問題といった、従来まったく未検討の分野について迫ったもので、里見氏研究の新たな課題を指し示しているものである。

 第二部第一・二・三章は、安房・上総・下総国における近世初頭の検地帳を徹底的に収集し、その分析から、それぞれの検地の概要や特色を述べたうえで、その歴史的意義を明らかにしようとした労作である。この前提には、著者の房総全域にわたる長期・悉皆的な史料調査が存在しており、それゆえここで述べられた結論は、大変な作業のうえで集められた貴重なデータと、それに裏付けられた手堅い論証のうえにたっているだけに説得力を持とう。また第四章は、近世初期の徳川代官である吉田佐太郎・行方隼人に関する基礎的な事実を明らかにしたものである。この時期の代官については検討例が少ないが、その実態を明らかにすることは、中世から近世へのいわゆる移行期の社会・政治構造を解明する一つの手がかりになるだけに、貴重な成果であろう。
 一般に関東地方を対象とする研究や自治体史における時代区分では、小田原北条氏が滅亡する天正十八年(一五九〇)までを中世の範囲でくくり、一方近世については、飛躍的に史料が多くなる元禄期以降あたりからがその研究対象とされる例が多い。したがってこの間の文禄から寛永期は、いわば研究史の希薄な地帯ともいえる。したがってこの第二部に収録された各研究は、それぞれの論旨の確かさに加え、まさにそのような時期を対象としたものであるだけに、その価値はさらに増そう。

 このように本書に収録された研究は、これまで史実と伝説に彩られた里見氏などの房総の戦国領主たちや、近世初頭の検地や代官について、文書や検地帳といった史料を徹底的に収集し整理分析することによってその実態を明らかにし、さらに歴史的評価を与えたことに大きな意義がある。まさにそれは「確実な史料によればここまではいえる」と著者が繰り返し述べる実証的かつ謙虚な姿勢に裏付けられた評価なのである。現在房総では、戦国時代の史料の掘り起こしや研究が急速に進展し、その研究動向を土台に始まった新たな千葉県史の編纂事業もこのほど完成をみたところであるが、本書に収録されたそれぞれの研究が、まさにその起点となっていることは間違いない。ただこれらは、一部を除けば大学の紀要や郷土史雑誌に収録されたものが多く、必ずしも入手しやすい環境にはなかった。この点からも、これらの研究が一書にまとめられた意義は大きく、本書がこの方面の研究のさらなる進展に大きく寄与することは間違いないだろう。

 ただ本書を一読して気のついた点を若干あげてみる。まず巻末「あとがき」に「(それぞれの論文は)収録にあたって標題を一部訂正して編成した」とのみ記されるが、例えば第一部第一章「房総里見氏の文書」は、初出時(「房総里見文書の研究」『日本歴史』一七九、一九六三年)のそれではなく、佐藤博信編『東国大名論集』(吉川弘文館、一九八三年)収録時に修正増補されたもので、さらに文末に付された「里見文書目録」は佐藤博信・滝川恒昭編『房総里見氏文書集』(『千葉大学人文研究』三七、二〇〇八年)の成果も反映されている。瑣末なことかもしれないが、これが研究史的にみても重要論文として位置づけられるだけに、そのような点も明示された方が良かったのではないか。
 また第一部第六章において、最新の成果といえる『千葉県の歴史 資料編中世三』(千葉県、二〇〇一年)に収録されている酒井胤治制札(「平山文書」)を、明確に偽文書と断じているように、近年の史料批判の姿勢やそれに基づいた研究について、疑問点や批判らしき指摘もいくつか垣間見られる。ただ残念ながら特にそれについて論じられているところはない。時間的制約その他種々困難な事情もあったと拝察するが、著者が現在の研究動向についていかなる評価を下されていたのか、この際詳しく述べていただきたかったのは私ばかりではないと思う。

 最後になるが、著者の初期の研究に、近世大名里見氏の家臣団名簿ともいえる「里見分限帳」の検討を行ったものがある(「いわゆる里見分限帳の信憑性について」『歴史地理』九一−二、一九六五年)。これは、世に流布する「里見分限帳」を集成・分析して、その史料化を果たした労作であり、その後「分限帳」自体も史料集『里見分限帳集成』(地方史研究協議会、一九六六年)として公刊されている。当該史料集については絶版となってながらく入手不能だったが、その後新たに発見された史料やもう一篇の分限帳等を増補したうえで、このほど『里見分限帳集成(増補版)』(岩田書院、二〇一〇年)として復刊された。本書と併せて利用することを是非お勧めしたい。
〔追記〕 著者川名登氏は、昨年(二〇一一)六月十一日未明逝去された。今までいただいたご厚誼と学恩に深く感謝し、ここに謹んでご冥福をお祈りするものである。
(たきがわ・つねあき 千葉県立船橋二和高等学校教諭)


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