岡山藩研究会編『藩世界の意識と関係』
評者・福田千鶴 掲載誌・日本歴史636(2001.5)


 岡山藩研究会(代表深谷克己)は、丸善株式会社から『池田家文庫藩政史料(古文書・古記録)マイクロ版集成』が刊行されたことを契機に、一九九二年七月に組織された。以来、本会では今日まで、分科会(史料講読)と全体会(研究報告)の二本立ての研究活動を地道に続けている。会員相互の連絡としては会誌『岡山藩研究』を発行しているが、本書はこれまでの研究会活動の成果を広く公刊して、学界に問うための第一回の企画である。
 本書の構成は、以下の通り。
(目次省略)
「総論」では各収録論文の共通の論点を導き出すための位置づけが編集委員各氏によってなされ、さらに本論集のキーワード「藩世界」「意識と関係」について説明されている。いずれも力作揃いの三部一一本に及ぶ各論文の強調点は、幸い収録論文の冒頭に論文要旨が付されているのでそちらに譲り、ここではタイトル「藩世界の意識と関係」に示された意図について紹介し、本書の意義と感想を述べることにしたい。
「藩政(制)」についての研究は一九六○年代に活発化し、一九六三年に公刊された藩政史研究会編『藩政成立史の綜合研究―米沢藩―』(吉川弘文館)を筆頭に、下総佐倉藩・内藤藩(佐貫・磐城平・延岡)・佐賀藩などの総合研究が蓄積され、加賀藩・高遠藩・苗木藩などの個人研究に加えて、岡山藩については谷口澄夫氏による『岡山藩政史の研究』(塙書房、一九六四年)がある。近年、藩政史研究は下火になった感もあるが、県史・市史等の自治体史研究によって、現在も着実に成果が蓄積され続けているといってよいだろう。こうした動向に対し、本書は従来の藩政史研究の到達点と課題をふまえつつ、「藩世界」というキーワードによって藩研究の新たな方向性を示そうと試みている。
 藩世界とは、「武士や町人、百姓、僧侶、等々、藩領域で生きる人々の営為として捉え」られ(三二頁)、こうした人々の営為は「多様な姿をもっており相互に関連を持ち、しかもそれは、個別藩領域にとどまるものでなく他の世界との関わり、繋がりをもち、広がっていた」と説明される(三三頁)。このように、藩世界の意味するところを一言で表現するのは容易ではないが、通常われわれが「藩」と表現する領域内部(藩世界内部)に存在する諸集団の多様性を解明しつつ、それらの諸集団が藩世界外部の諸集団と織りなす世界、すなわち藩世界の外部・内部の諸集団が織りなす諸関係のもとでの相互意識をさぐり、その意識によってさらにつくられる新たな関係を解明していくことが本書のねらい、ということになるだろうか。言い換えれば、本書は従来の一藩限定的な藩政史研究を克服するための新たな問題提起として、藩世界の内と外の諸集団の関係と意識を探るという方法を通じて、岡山藩を素材に総体としての幕藩制を描こうと試みているのである。
 さて、一点だけ感想を述べると、右のような新しい視点を導入しながらも、具体的に取り上げられている対象は従来の〈支配−被支配〉の枠組みを超えていないのではないかという印象をもった。とくに、女性・子供・老人といった人々や、藩領域を超えて流動的に活動する人々の営みなど、藩庁に記録として把握されにくい人々(年貢・諸役を藩に対して負担しない人々)の営みについて十分に取り上げられているとはいいがたい。この点について、「文化、民衆宗教、身分制、女性史、職人集団、海防問題、朝廷との関係、対外関係、商業・流通の問題、等々をめぐって様々な関係が形成されていった」が、これらは「本論集で提示できなかった」(三七貢)と今後の課題として確かに指摘されている。
 しかし、評者にははたしてこれが個々の執筆者の問題関心がたまたまそうした分野に及ばなかったことに起因するのか、あるいは藩庁史料をおもに利用して藩世界を描くことによる方法論的限界なのか、が不明に思えた。この点を明確にしていただけると、従来の藩政(制)研究から藩世界研究へと進展させるうえでの貴重な指針が示されたのではないだろうか。
 同研究会では、マイクロフィルム利用による研究の限界からフィールド調査を繰り返し、本書の執筆においても藩庁史料と地方文書を併用するよう努めたと説明しているが、池田家文庫藩政史料のマイクロフィルム化を契機として発足した岡山藩研究の今後の可能性を明確にするうえでも、藩庁史料としての同史料群の全容を構造的に解説する論稿があればよかったと思われる。本書所収論文のうち、大坂留守居文書について史料学的作業を踏まえた泉論文は右の課題の一端を担っているといえるが、今後こうした研究が蓄積されることで藩政(制)と藩世界との関係がより整理されることを期待したい。
 いずれにしろ、本書は「藩」という概念を捉え直す大きな問題提起をしており、久々に藩研究がおもしろくなってきたと感じるのは、ひとり評者だけではないだろう。
(ふくだ・ちづる 東京都立大学人文学部助教授)

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