江田郁夫著『中世東国の街道と武士団』

評者:斎藤 慎一
「日本歴史」765(2012.2)

 「栃木県に就職してまもなく二十五年がたとうとしている。大学生として仙台で過ごした六年半と、社会人ルーキーとして東京で過ごした半年間を除けば、生まれてから現在までの大半を栃木県で暮らしてきた。当然、栃木県には愛着があるし、この年になってあらたに気づいたふるさとの魅力も一、二にとどまらない。」

 著者は本書がなりたった背景について「あとがき」でこのように記している。関東北部から中世東国史を研究し、二冊目の単著を上梓されたことにまずお慶びを申し上げたい。
 「あとがき」に表現されるように、本書は下野国を中心に、中世の街道と都市そして武士団について蓄積された十編の論考を二部に分けて収めた論文集である。
 冒頭の「はじめに」では全体の構成を述べ、「東国の幹線交通路奥大道が南北に縦断した下野という地域を中心に、街道と都市、武士団について論じる。これにより、中世の奥大道や下野の特質をうきぼりにするとともに、あわせて地域の変容過程を都市や武士団などの諸側面からあきらかにしたい」と本書の意図を掲げる。

 「第T部 下野の街道と都市」では四章を配置し、主題の中核である道の議論を軸に街道と都市について述べる。
 「第一章 奥大道と下野−中世大道の特質−」では、文献資料を中心に奥大道および下野国内の大道を博捜し、道筋を復元する。そして国内主要都市の諸様相を描き、大道の特質に迫る。種々の特質を指摘するなかで、「大道が大道たるゆえんのひとつに、軍勢の使用に耐えうる、具体的には最低限、荷駄隊を含む軍勢が通行できるという条件が考えられるのではなかろうか」とする指摘が評者の目を引いた。前章を受けた「第二章 中世東国の大道」では大道の幅の問題と奥大道の特質について再論する。前者では「中世の大道の本質は広い道であり、軍勢の通行に耐えうる程度の規模を有した」と、再度、主張する。後者は評者の提起を受けての議論であり、奥大道の重要性を再確認する。なお、評者への批判については、拙著「鎌倉街道中道と下野国」(栃木県立文書館編『戦国期下野の地域権力』岩田書院、二〇一〇年)で論じたので、ここでは触れない。
 続いて都市に関わる二章を設ける。「第三章 中世の宇都宮」では、鎌倉時代から戦国時代にいたるまで時代ごとに宇都宮の構成要素を文献資料から抽出し、中世の都市景観に迫る。また「第四章 中世の天命」では中世鋳物師集団の活動の場としての天命、幹線交通路上に位置し北関東を代表する町場としての天命を分析し、天命の領域や領主の変遷について述べる。

 「第U部 下野の武士団」では那須・佐野・長沼家に関わる論考を収める。宇都宮・小山両家という守護家ではない武士団の選択に著者の配慮が感じられる。
 那須家に関わる論考は、「第五章 鎌倉・南北朝時代の那須惣領家」と「第六章 室町時代の那須一族」である。第五章では『玉燭宝典』紙背文書の那須系図を分析し、同時代史料より歴代の活動をあとづけ、同系図の信頼性を説く。第六章では、白河結城文書に属する那須家関連文書を伊王野那須家の文書とし、移管の契機を応永三一年(一四二四)の那須一族の分裂という政治情勢に求める。ともに史料論への視点が注目される。
 佐野家に関わる論考は「第七章 中世の佐野荘と佐野氏」・「第八章 南北朝時代の佐野氏」・「第九章 中世の銅山衆」の三章が充てられる。第七章では複雑な佐野家の系譜を整理し、地域区分にあわせて同家は上佐野家と下佐野家の二家が存在し、それぞれ拠点を構えていたことを明らかにする。さらに第八章では、南北朝期に活躍した佐野師綱を中心に、上佐野家が佐野を代表する存在となる過程を描いた。とりわけ天命鋳物師の掌握を視野に含めている点は見落とせない。この二章は中世東国の領主の存在形態を検討する上で、佐野家の意義を押し上げた。また、第九章では戦国時代に佐野家に被官化した鍋山衆と呼ばれた領主の活動について分析する。
 「第十章 関東八屋形長沼氏」では一五世紀の長沼氏の活動をあとづけ、長沼家から鎌倉府体制下の関東八屋形のあり方を分析する。領主分析が個別領主分析に埋没せずに広い視野で行われており、今後の著者の展開を予想させる。

 最後の「おわりに」では交通論を総括し、領主の問題については「総じて、下野武士団は南北朝時代を境に大きく変貌をとげ、家督・本領・一円支配をめぐって一族中や近隣領主層との対立を深刻化させていった」と下野国における南北朝期の意義を強調する。
 東国全体を視野に置き、そのなかでも日常的な活動と結び付いた栃木県より歴史像を語るという著者の取り組みに影響を受ける点は多い。とりわけ道の問題についても、鎌倉街道という概念を安易に利用せず、「大道」という語彙にこだわり、歴史像を組み上げる姿勢には学ぶべきところが大である。

 さて、著者によって描かれた街道・都市・武士団をキーワードとした地域史像は、次に何が期待されるのだろうか。このことを読後の感想としてもった。
 例えば、鋳物師の生産地天命と交通の要衝である天命宿は、著者が指摘するように一致した場所ではなかろう。加えて『松蔭私語』では「天明御陣」と「春日岡」(近世の天明の近隣地)という語彙の使い分けがあり、空間的にも春日岡は「天明御陣」と「児玉塚」の中間にあると読める。さらに幹線の移転にともない町場は移転することが常であり、近世の町割りによって確定した現在の天明の場所を中世天明宿の地とする通説は、結果論的な判断と評者には感じる。著者が指摘するように「天命宿を含めた全体の景観復元は、すべて今後の課題」であり、地名は動くことを踏まえ、広域のなかでそれぞれの地点が持つ性格を踏まえて空間構成が検討されるべきと考える。そして、中世後期に惣領となる上佐野家の本拠とこの天命宿はいかに関連したのだろうか。通説の天命宿は下佐野だったが、著者も指摘するように重要な寺院は上佐野にあった。坂東三十三所の巡礼道も上佐野を越え、鍋山衆の領域を結んでいた。さらに北関東を代表する町場である天命宿は著者の論ずる奥大道上にはない。
 それぞれがどのように連関するか。歴史地理学・考古学等の成果を導入し、個々の歴史像はどのようにより広い地域の歴史像を明らかにするか。このことが次に期待されているように感じられた。無論、著者個人だけに向けてではなく、歴史学全体に向けてである。
 私事ながら、同じ年代で同じ東国を志しながらも、評者の居住地は南関東である。問題意識を共有しながらも、研究者を規定する生活環境の差は、微妙に歴史像に影響するということが、良い意味で本書から実感できた。中世東国史を相対化させて考えさせられたことは、評者にとっては一番の財産であった。これからも東国という地域を理解するために、多面的な視野を持つようにと刺激し続けていただきたいと思いつつ、擱筆する。
(さいとう・しんいち 東京都江戸東京博物館学芸員)


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