太田富康著『近代地方行政体の記録と情報』

評者:安藤 福平
「日本歴史」762(2011.11)

 本書は、長らく埼玉県立文書館に勤め、アーカイブズの実務と学の両道を実践してこられた太田富康氏のこれまでの研究のうち、アーカイブズ資源研究(史料学、記録管理史)に属する論文を収録したもので、幕末の村役人層、明治期の府県庁、郡・町村役場を主な対象に、情報の伝達と、その情報を資源として保存利用する記録管理を明らかにするとともに、行政記録に対する近代日本のアーカイブズ認識の変遷を考察しようとするものである。「近代地方行政体」を対象とする史料学としては、鈴江英一氏、丑木幸男氏に続く研究書である。以下、章ごとに順を追って概要を紹介する。

 序章「アーカイブズ資源と情報・記録研究の現在」では、情報体としてのアーカイブズの特質が、文書(当事者間の情報伝達)から記録(保存して組織内で利用)、アーカイブズ(組織外へも提供)へと情報伝達機能が転換することにあり、アーカイブズの活用には特定の理論と方法、すなわちアーカイブズ学と文書館が必要な所以を説く。この観点から、アーカイブズへのアクセスをサポートするという、文書館が果たす機能について考察する。さらに、情報・記録およびアーカイブズ研究の状況に対する著者の認識を示し、本書の対象と構成を説明する。

 第一編「幕末の地域情報環境」は、第一章「地域における政治社会情報伝達の実相」、第二章「ペリー来航期における名主の黒船情報収集」からなり、武蔵国の村役人層を対象に情報伝達を考察する。前者は、地域外で生成された政治的・社会的情報がいかなる伝達ルート(公的支配ルート、人的つながり、商業メディア等)で入手され、さらに地域内で伝播するかを、情報精度(真偽)の吟味や記録化の諸相をも含めて考察している。後者は、ペリー来航期における時間経過にともなって、入手される情報の種類やルート、質を考察する。「地域情報環境」については、第四章、第八章でも関説されている。

 第二編「府県庁記録の成立とアーカイブズ認識」は、明治期の府県における記録管理制度とそこにおけるアーカイブズ認識の変化を対象とし、第三章「明治政府のアーカイブズ認識と記録管理」で、「国民国家の指標としてのアーカイブズ」という視点から概観する。初期に行われた編纂事業が記録管理に影響を与え、アーカイブズ認識(著者のいう「アーカイブズ認識」とは、公文書を史料として認識する、歴史価値のために文書を保存する志向、といった意味であろう)の萌芽が見られたが、国史編纂事業縮小、府県史編纂事業中止後に後退する。ただし、アーカイブズ認識の後退が編纂事業の中止によるとはいっていない。むしろ、明治政府の公文書用紙の定式統一が、活版技術の導入とあいまって、廻状と御用留への筆写から文書原本の配布と綴込(簿冊)というシステムを生み出し、アーカイブズ・システムの基礎条件を用意したことを評価する。
 第四章「活版印刷技術と情報環境の革新」は、明治初年における情報伝達と記録蓄積の革新を可能とした活版印刷を、府県の情報施策(新聞、官報、府県公報)や情報管理・記録管理との関係で論じる。第五章「『文書』と『記録』をめぐる概念認識の変遷−職制規程にみる明治期埼玉県庁の場合−」は、明治前期には「文書」は事務処理過程段階のもの、処理完結後編冊された簿冊は管理・保存される「記録」として認識されていたが、やがて「文書」に統一される状況を考察する。あくまで、埼玉県庁の規程上における概念認識の変遷であり、「記録概念が後退し、歴史的価値認識が希薄になる状況」とは断定できないが、documentもrecordsも「文書」と呼称する現在の状況の淵源という意味で興味深い。

 第三編「府県史編纂事業と記録管理の相関」は、第三章で概観・展望した府県史編纂事業が記録管理とアーカイブズ認識に影響を与えたことを具体的に論証したもので、本書の核心をなす。第六章「『府県史料』の性格・構成とその編纂作業」は、府県史編纂の位置付け、内容構成、府県における編纂方針と作業、史料選択の対象簿冊などについて、国立公文書館だけでなく各府県に残された関係史料を駆使して検証する。その結果、府県史編纂の成否は府県庁の記録管理およびその掌握の如何によることを確認する。第七章「府県史編纂期における記録と編纂の職制−秋田・埼玉両県の場合−」は、府県史編纂と記録管理の関係、両事業と職制の関係について秋田・埼玉両県を対比して考察する。秋田県では記録管理セクションへの記録(原文書)の集中化、記録管理と編纂機能の連携、埼玉県では写本での重要記録の集中という対称が観察される。そして、県史編纂自体の評価は、本格的な記録管理制度、公報誌・法規集の編纂刊行に至る間の過渡的なもの、と展望する。この評価は妥当なものと思うが、県史編纂によるアーカイブズ認識の芽生え、対する本格的な記録管理制度によるアーカイブズ認識の後退、の歴史的評価が問われる。そもそも、「アーカイブズ認識」という語法がこの場合有効かという疑問も生じる。

 第四編「郡役所・市町村役場の記録と情報」は、第八章「郡役所の記録と情報−埼玉県・郡制施行以前一八七九〜一八九六−」、第九章「市町村役場の記録管理と府県」からなり、府県−郡役所−市町村の組織間、記録間の関係にも言及しながら、記録管理につぃて考察する。

 終章「アーカイブズ制度への序章−行政記録の〈力〉と公開−」は、戦前期における公文書の移管・公開事例、図書館人(佐野友三郎・鈴木賢祐)の文書館認識と実践を検証し、日本最初の文書館が山口県で設立される伏流を探り当てる。アーカイブズ制度と公開の相関は現在の課題でもある。

 本書は、著者二十年来の研究をほぼそのままのかたちで一書にまとめたものであるが、方法論が一貫していることに驚く。著者および著者の出会った研究者集団が目指したアーカイブズ学(そのうち史料学、記録管理史の分野に限っての話だが)の方向性の確かさを実証したものといえる。もっとも、本書が対象とした研究分野は歴史研究との接点にあり、歴史研究者のこの分野への参入が期待される。そのための条件整備が文書館界には求められる。

(あんどう・ふくへい 広島県立文書館前副館長)


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