俵谷和子著『高野山信仰と権門貴紳』

評者:藤原 修
「御影史学論集」36(2011.10)

 神戸女子大学民俗学研究会が毎年刊行する『久里』は、思索することを原則にする論考によって誌面が埋められている。そして論者がその思索を深めながら、研究者として成長していく姿を感じ取れる点で、実に刺激的である。御影史学研究会民俗学叢書二〇『高野山信仰と権門貴紳−弘法大師入定伝説を中心に−』の著者である俵谷和子は、まさに『久里』を舞台に着実に論考を発表して成長途上にある研究者である。
 言うまでもなく、高野山信仰史研究は日本仏教史のみならず日本宗教史の理解には必須の分野であり、その裾野は広くかつ深く複雑である。俵谷が先行研究を着実に検討しながら、その中で自らの論考をどのような骨組みで1冊にまとめるか、以前より期待し楽しみにしていたが、現時点での答えが新しい視点の提示という形で示されたことを喜びたい。
 まず本書の構成を紹介する。

 まえがき
第一章 弘法大師入定伝説の成立と展開
 第一節 高野山弥勒信仰−その成立過程をめぐって−
 第二節 高野山納骨信仰成立前史
 第三節 高野山奥の院の成立
 第四節 高野山開山伝承と定賢
第二章 天野四社明神の成立と平家
 第一節 天野四社明神の成立と平清盛
 第二節 行勝・天野社と平清盛
 第三節 天野社と天野四社明神
 第四節 保元元年の大塔再建とその資材運搬道
 第五節 西宮浦の史実と伝承
 第六節 高野山一心院行勝上人の検討−出身地兵庫県西宮市高木からみる−
第三章 仁和寺の発展と高野山
 第一節 藤原道長の高野山参詣をめぐる問題
 第二節 弘法大師入定伝説と仁和寺
 第三節 仁和寺の天野社支配−仁和寺領六箇庄と覚法法親王をめぐって−
第四章 仁和寺と道
 第一節 仁和寺の建立をめぐって−光孝天皇陵と大道−
 第二節 福応神社と覚行法親王−兵庫県西宮市今津という場所を手がかりに−
 第三節 淀川の川津「今津」を考える−『山槐記』に見える「今津」を中心に−
あとがき

 一昔前の大阪の小学生にとって、高野山は林間学校の思い出とともにあるといって過言でない。山上の宿坊に到着後、翌日には奥の院に参拝。その途次、膨大な墓碑群を見て高野山の持つ不思議さを、記憶にとどめることになる。もとより、この光景の出現には、五六億七千万年後の弥勒下生を待つという空海の入定伝説の存在が夙に指摘されていて、その研究蓄積も多い。俵谷はこの考え方がいつから発生したのか、またなぜ発生したのか、その理由、唱道者の問題など、空海入定伝説の考え方が広まった経緯について、あらためて敢然と問いかけるのである。

 第一章では、藤原道長の奥の院参詣が入定伝説(弥勒下生を待つための入定)を信じてのことではなかったことを、丹念に史料を読み解きながら明らかにする。そして、この参詣が別の要因(造寺造仏のための水銀確保の必要性)によって行われたことを述べ、入定伝説は道長の参詣以降に形成されたと指摘する。一方、空海が虚空蔵求聞持法を興福寺法相宗の護命から伝法された史実から、弥勒菩薩を宗祖とする法相宗と空海の関わりが深いとし、空海が弥勒信仰を持っていたことを確認する。問題はこの空海の弥勒信仰を空海入定伝説に発展させた経緯なのであり、この経緯に仁和寺が深く関わっていると問題提起して、仁和寺と高野山、空海入定伝承という一見唐突な組み合わせに目を開かされる。
 第二章では、仁和寺と高野四社明神(天野社)、水銀をめぐる関わりを探るなかで、高野山と仁和寺との関係を明らかにしようとする。とくに、高野山大塔の再建に当たる平清盛の動きと「高野断穀上人」と称された行勝、心覚、覚法法親王という四人の人物の関係をとおして、仁和寺と天野社、そして高野山とのつながりの構造を指摘する。
 第三章は、第一章および第二章のなかで指摘した問題点を総合し、研究史を整理するとともに、あらためて丹念に史料を読み解いて、新しい視点を提示する本書の白眉である。
 空海入定伝説は、聖と言われる宗教者が伝播者となって空間的に広がったことは事実だとしても、その成立においては、当時の高野山の状況及び真言宗の宗派事情が大きな要因ではなかったかと指摘する。すなわち、仁和寺は真言宗内での指導権を獲得するため、真言宗の嚆矢であり根本道場である高野山を掌握する必要があった。そのために、祖師廟を単なる墳墓ではなく、祖師空海が現に生きて弥勒下生を待つ聖地とするという唱導が仁和寺を中心として進められ、空海入定伝説が形成されることになったのではないかと指摘する。
 第四章は、仁和寺の立地から仁和寺が与えられていた役割を考察する。歴史地理学的な分析もあり興味深い論点が提示されている。

 以上、本書は多岐にわたる問題を提起しながら、主に仁和寺に焦点をあてて、仁和寺が高野山と深く関わっていくなかで、空海入定伝承を核とした高野山信仰が成立する経緯を述べる。また仁和寺と天野社そして高野山の関係性が、造寺造仏のための水銀調達の観点から提示される。いずれも新しい知見を提供し、研究史の上でも正当に評価される業績である。


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