井上寛司著『日本中世国家と諸国一宮制』

評者:田村 正孝
「ヒストリア」223(2010.12)

   一

 本書は、著者が三十年の長きにわたって取り組んできた中世諸国一宮制研究を総括したものである。諸国一宮制を平安後期から戦国期まで見通すことによって、制度の全体的把握とその普遍性・一般性を導き出すことを目的とし、一宮制論を中世国家論のなかに位置づけようとする意欲的な一書である。
 まず、本書の構成を示しておこう。

序章  中世諸国一宮制研究の課題と方法−研究史の整理と課題の設定−
第一章 中世諸国一宮制の成立
 第一節 研究史の概要と特徴
 第二節 中世諸国一宮制の基本的性格
 第三節 中世諸国一宮制の成立過程
第二章 中世諸国一宮制の構造と特質
 第一節 社官組織
 第二節 社領構成
 第三節 造営形態
 第四節 祭礼構造
第三章 中世諸国一宮制の変質
 第一節 中世後期(南北朝・室町期)一宮の類型区分
 第二節 中世後期一宮の諸形態
 第三節 中世諸国一宮制の変質と形骸化
第四章 中世諸国一宮制の解体
 第一節 戦国期一宮の諸形態
 第二節 戦国期一宮の類型区分と中世諸国一宮制の解体
結章 総括と展望

 一宮の基礎データを集積した中世諸国一宮制研究会編『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、二〇〇〇年)の発刊によって、一宮研究は新たな出発を迎えた。その後、一宮研究会編『中世一宮制の歴史的展開(上・下)』(岩田書院、二〇〇四年)では、前書によって得られた成果に基づき、一宮は多様な観点から議論されるに至った。
 著者はこれまで数十本にわたって諸国一宮制に関する論文を発表し、研究を牽引してきた。本書は、特にここ十年の研究の進展を踏まえながら、全編書き下ろした重厚なもので、一宮研究の到達点を示すものである。

   二

 本章では、本書の内容を紹介していこう。
 序章では、地域的・時代的多様性をもつ中世諸国一宮制の全体的な把握と普遍性・一般性を抽出するためには、どのような分析視角と方法を用いるべきかを検討する。
 第一章では、まず平安末から鎌倉期を中心に、諸国一宮制の基本的性格を検討し、一宮が国家的神社制度の基幹を担っていたとする。つづいて、一宮制の成立時期とその過程を分析し、諸国一宮制が十一世紀中頃から十三世紀初頭に至る間に三つの段階を経て成立したと論じる。そして、なかでも鎌倉初期が体制の確立期だと明示する。
 第二章では、社官組織・社領・造営・祭礼構造を分析しながら、中世前期における諸国一宮制の構造と特質を考察する。これまで一宮制の再編成と鎌倉幕府の関与については、モンゴル襲来を契機とする諸政策に注目が集まってきたが、著者はむしろ十三世紀前半に構築された基本的な枠組みが重要であると主張する。
 第三章では、中世前期から後期へと移行するなかで、一宮制の構造と特質がどのように変容したのかを検討する。この段階において、諸国一宮の地域的多様性がさらに増幅したため、制度の普遍性がますます捉えにくくなった。そこで、「王法仏法相依」の理念に基づいた「国衙・社家相共に」の原則による展開を五つの類型に区分して、諸国一宮制の全体像を把握しようと試みる。そして、多様な形で変質しつつあるとはいえ、中世諸国一宮制が南北朝期・室町期を通じて存続し、独自の重要な機能を担い続けたと評価する。
 第四章では、戦国期を中心に中世諸国一宮制の基本的な枠組みがどのようにして崩れていったのかを分析する。一宮制の解体は、顕密体制や「国」支配秩序の解体に他ならなかったことを論じる。これは、@中世を通じて発展を遂げた「公方」観念の社会的共有化(世俗の論理に基づく政治的・社会的統合の前進)、A近世幕藩制国家における政治権力の宗教からの自立と形態的分離、B世俗の政治権力による宗教の支配と統制が歴史的到達点の上に立つものである、と結論づける。
 結章では、諸国一宮制を総括し、これを中世国家論のなかに組み込むことを目的とする。そして、中世諸国一宮制は、国家と宗教との関わりという、日本中世国家の最も本質的で重要な特徴をも同時に解明することのできる制度論だと主張する。

   三

 前章の内容整理から明らかなように、本書が持つ研究史的意義は大きなものである。この全体に言及することは評者の能力からすれば荷が重いが、誤解を恐れず、いくつかの点について論評していきたい。
 まず、神社史における諸国一宮制論の意義について論じよう。中世宗教史研究は、黒田俊雄氏が提起した顕密体制論の登場によって、仏教史が長足の進歩を遂げる一方、神社史は著しく立ち遅れていた。中世において神仏が密接な関係を持っていたことからすれば、神社研究を欠いた宗教政策論は大きな欠落を抱えていたといえる。また、領主制論に基づいた一宮研究では、国衙支配を解明する中で副次的な素材として取り上げられたに過ぎず、国家論としての視角を持たなかった。これに対し、著者は諸国一宮制研究を精力的に進め、神社が果たす固有な役割に着目し、諸国一宮制を中世社会に特有な国家的な神社制度として理論的に位置づけ、一宮を国家体制の中に組みこむ道を切り開いたのである。諸国一宮制論の進展により、個別神社にとどまらない制度史としての神社研究が確立したといえよう。
 本書は国家と宗教の関係についても進展をもたらした。諸国一宮制論を神社史研究の枠内にとどめず、黒田氏の権門体制論・顕密体制論を批判的に継承しながら、中世国家論に組み入れようとする。結章で精緻に論じているが、黒田氏の権門体制・顕密体制論には、@神社の位置づけの不充分さ、神社史研究の欠落、A国家権力の中間支配機関としての地域支配権力(国衙・守護)の位置づけが明確でなく、専ら中央の問題として権門体制国家を論ずるに止まった、という弱点があったとする。そして、中世諸国一宮制は、これらの課題を解決し、国家と宗教との関わりを解くことができるものだという。
 さて、近年の諸国一宮研究にはジレンマが漂っている。それは研究が進展するのに伴って一宮独自の多様性が明らかとなり、これにより一宮制の本質を見極めることがますます困難になるという事態に陥ったのである。この状況を打開すべく、著者は一宮制の普遍性を抽出するため、成立期からこれまで研究が手薄であった室町・戦国期を含めた全体の検討に主眼を置く。その上で、全体的な形で捉えうる方法として、類型分類による分析を進め、中世全体の諸国一宮制論の枠組み、あるいは歴史的特質を明示した。この方法論は、今後の研究において重要な意味をもつものと考える。
 以上、いくつか評価点を述べてきた。ここまでの指摘からも明らかになると思うが、本書は一宮研究の到達点を示す一書と言え、大きな意義を有する。それは神社史研究のみならず、中世宗教史・国家論にも影響を与えるものであろう。

   四

 前章でみたような特色を持つ一方で、疑問点も挙げられる。本章では、論点を絞って何点か論じていく。
 まず、中世の国家的な神社体制について述べたい。著者は、日本中世の神祇体系の基軸を担ったのは、「二十二社制・一宮制」(「王城鎮守・国鎮守制」)、とりわけ中世諸国一宮制が最も重要で規定的な役割を担ったとする。二十二社・一宮制は、中央と地方の神社制度が二十二社制と一宮制という形で相互に連動しながら成立し、それら全体を通じて中世日本国の秩序と安定が保たれるという。一方で、中世の神祇体系が二十二社・一宮制のみによって構築されていたということを意味しないとも述べる。
 以前、評者は中世の国家的神祇制度を「二十二社・一宮制」と捉えるのが妥当かどうか、と疑問を提示した。そして、中世の神祇体制には伊勢神宮や宇佐宮・石清水八幡宮という「宗廟」を基軸としたものが存在すると論じた(1)。確かに、伊勢神宮や石清水宮は二十二社に属すし、宇佐宮は豊前国一宮である。しかし、三つの神社が担った機能はいずれも二十二社や一宮の範疇を超え、著者が示した制度の枠組みで捉えることは必ずしも実体にそぐわない。また、中世には、宗廟神(天照大神・八幡神)は皇祖神であるとともに「日本鎮守」という国主神の認識が進んでいく(2)。したがって、朝廷・天皇と最も強い関係を取り結んで王権守護・王土守護を担った「宗廟」を基軸とした神社体制、すなわち、「宗廟制」こそ神祇秩序の中核に設定すべきではなかろうか。
 さらに注目すべきは、九州では八幡神による神祇秩序が形成されていたことである(3)。宇佐宮をはじめいずれも一宮制に関わる五所別宮(大隅国正八幡宮・肥前国千栗宮・肥後国藤崎八幡宮・豊後国由原八幡宮・薩摩国新田八幡宮)、および香椎宮・箱崎宮が、その秩序の中心として展開した。九州の一宮制は、一宮の基本的なあり方から逸脱した側面がみられ、制度をめぐる議論において特殊な地域として明快な結論を得るに至っていない。しかし、造営・祭礼構造、あるいは一宮相論の様相などをみれば、九州の神祇秩序は宗廟八幡を前提としなければ解くことができないことは明らかである。このことからも中世の国家的な神社体制のなかに宗廟制を設定すべきだと考える。
 つぎに、一宮の成立について述べよう。これに関しては、著者と上島享氏との間で激しく議論されている。上島享氏は、一宮は国内諸社のなかでの一宮であり、国内神祇秩序全体のなかで位置づける作業が必要だと指摘する(4)。一方で著者は、受領・国衙より国家権力の主導性を強調する。特に、新帝の即位に伴って、朝廷が全国の有力五十社に神宝奉献した一代一度大神宝使は、二十二社・一宮制が形成される起点と捉えて重要視している。神宝奉献対象五十社のうち、二十二社制に属したのが十三社、一宮となる神社が二十九社含まれている。また、宝治三年(一二四九)諏訪信重解状(「諏訪大祝家文書」)には「帝王即位之時、諸国一宮被行大奉幣」とある。これらのことからすれば、確かに、大神宝使制が二十二社・一宮制と密接に関連するかと思われる。
 しかし、一宮の成立を検討する際にむしろ注目すべきなのは、全国六十六か国中の半数以上にあたる三十六か国には大神宝使が発遣されなかったことではなかろうか(5)。これらの国々においてどのように一宮が成立したのか、このことを考える時、国衙の主導を想定するのが自然であろう。また、@尾張国では、大神宝使発遣対象社が広域に圧倒的な信仰を集める熱田社であったにも関わらず、真清田神社が一宮に選ばれたこと、A伊勢国一宮多度社は伊勢神宮の神郡を除いた国衙支配圏のなかから選定されたこと(6)、この二つの事例も一宮が設定される際に国衙の意向が大きく働いたことを示しているだろう。一宮成立の議論に関しては国衙の主導という実体的側面を評価すべきと考える。一方、著者が指摘するように、一宮は縁起などに天皇神話を取り入れた中世日本紀を構築していたことは、理念的には中央と結びついていたことを表していよう。国の代表的神社と認定されたからこそ、日本国の鎮護の一翼を担う存在として、たとえ観念的であろうと積極的に朝廷と繋がろうとしたからではなかろうか。
 最後に、中世後期の諸国一宮と中世国家に関して指摘しておきたい。これまで室町期の公武政権による国家的神祇政策をめぐる研究ははとんど進んでいない。鎌倉期のモンゴル襲来の際に公武一体の一宮政策が打ち出され、それにより宗教秩序の再編が起きたことは、井原今朝男氏や海津一朗氏によって明らかにされるところである(7)。一方、室町期に幕府は宇佐宮など一部の造営事業に関与することはあったが、鎌倉幕府のような関与の仕方はみられなくなる。
 著者は、この段階における諸国一宮制の歴史的特徴として、荘園制的な関係とは別に、諸国一宮が公家・武家をはじめとする中央諸権力(特に白川・吉田家といった中央神祇官)と直接結び合う傾向が強まることを指摘する。しかし、それはあくまで個別の動きであり、一宮全体の傾向として敷衍させることができるであろうか。本書が政治的側面の影響については積極的な評価を加えず、構造論に徹したからであるが、中世国家と宗教の関係論を説くためには、国家政策との関わりも含めた検討がなされる必要があるだろう。
 また、中世後期の国家像をどのように捉えるかという課題も残る。従来の国家論は鎌倉期を中心とした枠組みであり、後期の国家像はいまだ十分描ききれていない。川岡勉氏は、権門体制論を踏まえて、室町幕府−守護体制を提示し、中世国家の特質である国家と国の関係を提示したが(8)、朝廷や寺社を含めた体制については不明確なままである。宗教史の分野では、室町期における国家の宗教政策の検討が進められているが、神社史はいまだそこへのアプローチが始まった段階ではなかろうか。したがって、公武関係と宗教史研究を含めた国家像を描く際に、神社の果たした役割を明確にしていかなければならない。
 以上、本書について卑見を述べてきた。一宮の展開は多様な様相を示すため、議論が分化し錯綜する傾向にあった。これに対し、著者は地域的・歴史的特質を踏まえながら、諸国一宮の普遍性を追求するという一貫したテーマを持ち、中世を通じた制度の全体像を示した。このことは、神社史のみならず、著者が解明を意図した中世国家と宗教の関係論においても本書がもつ意義は大きいだろう。今後は、著者が提示した枠組みを実証的に検討し、さらに豊かな一宮像を描かれるとともに、中世の国家的神社制度の解明が一層進展することが期待される。
 最後に、評者の力量不足から、誤読・誤解により筋違いの批判をした恐れがある。この点については、著者・読者の御海恕を願うばかりである。

 註
(1)拙稿「中世宇佐宮の変容」(『ヒストリア』二〇八号、二〇〇八年)。なお、宗廟制については別稿で改めて論じる。
(2)佐藤弘夫『アマアテラスの変貌』(法蔵館、二〇〇〇年)、上島享「中世王権の創出とその正統性」(『日本中世社会の形成と王権』第一章、名古屋大学出版会、二〇一〇年)。
(3)前掲註(1)拙稿、九〇〜九二頁。
(4)上島享「中世宗教支配秩序の形成」(『日本中世社会の形成と王権』第三章、初出二〇〇一年)。
(5)畠山聡氏も本書の書評にてこの点に触れる(『歴史評論』七二三、二〇一〇年)。また、評者は別稿にて一代一度大神宝使と中世神祇秩序の関係を論じる(拙稿「中世神祇秩序の形成と一代一度大神宝」、『信濃』六二−一二、二〇一〇年)。
(6)岡野友彦「中世多度神社祠官小串氏について」(一宮研究会編『中世一宮制の歴史的展開』上、岩田書院、二〇〇四年)。
(7)井原今朝男「中世の国衙寺社体制と民衆統合儀礼」(一宮研究会編『中世一宮制の歴史的展開』下)、海津一朗「異国降伏祈祷体制と諸国一宮興行」(『同上』)。
(8)川岡勉『室町幕府と守護権力』(吉川弘文館、二〇〇二年)。


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