地方史研究協議会編『歴史資料の保存と地方史研究』

評者:長谷川 伸
「記録と史料」21(2011.3)

 本書は、ここ10年間の資料保存運動、博物館・史料館・(公)文書館を取り巻く諸問題を、地方史研究の立場から改めて問い直すという意図のもとに、地方史研究協議会のプロジェクトメンバーが地方の現場の声も集めて編集した論集である。「歴史資料の保存と地方史研究」という王道のテーマのもと、地域資料の保存を取り巻く環境の変化、厳しい史料保存機関の経営の現実、公文書管理法への対応といった抽出した様々な課題に今後どう立ち向かおうとするのかという問題設定は、時宜を得たものといえる。地方史研究協議会の運動論については自身の総括に任せることとし、ここでは全史料協の活動とも関係の深い「地域資料の保存」と「人材育成の課題と地方史研究」に関わる論考を中心に書評を進め、共通の問題点を明らかにしてみたい。

1.地域資料保存の現在と「過疎化」

平田 豊弘「平成の市町村合併と資料保存−熊本県天草市の事例−」
 2002(平成14)年に設置した旧本渡市立天草アーカイブズを基盤として、2006年3月の市町村合併に向けての行政文書の保存の取り組みや、その後の天草市立天草アーカイブズへの展開を紹介している。常に市町村アーカイブズの先端を走ってきた取り組みに敬意を表したい。しかし、ここで述べられているのは総合的文書管理システムの「提案」であり、天草アーカイブズの評価・選別の「考え方」である。また、「天草総合博物館」構想という連携の名のもとに、旧2市8町にあった10館の資料館を整理・統合する急速な施策は、合併後も旧市町村の資料保存機関の役割を基盤に、新自治体の地域のあり方を模索する現実的な動向とは一線を画すものである。
 平田は、「資料保存は単に物の保存ではなく、時空を超えた人間活動の保存であり、現代に生きる私たちの指針」であり、「市町村合併後の新たな地域創造のためには地域の誇りを基軸とした住民と行政の協働が必要」であるとする。全く同感であるが、この高尚かつ美しい資料保存の理念の裏で、様々な問題を抱えているはずである地域資料の保存・活用の実際の姿は、果たして合併に伴う新たな地域創造に成功しているのか?本書の別の地域における史料保存の実態を訴える論考と比べると、いささか疑念もある。

平井 義人「地域の過疎化と資料保存−大分県の事例−」
 平井の主眼は、大分県立先哲史料館が行ってきた資料散逸防止対策としての「記録史料調査事業」を、自治体における地域史料の全体把握の方法論として提唱・理論化することにあるが、むしろ注目されるのは、その記録史料調査によって明らかになった地域史料の散逸、地域史料を支えてきた地域の過疎化の深刻な現状にある。
 近世の庄屋文書を中心とする地域史料の散逸が止まらない。子もなく後継ぎもおらず、家に一人残された老人が家伝史料を守っているという事例に一度ならず遭遇する経験。小学校が廃校になった地区が多くなり、まもなく無人となる集落も出てくるという危惧。古文書を納めていた蔵や家が解体され、その結果「家」そのものが消滅したり、地域からの転出が確認されても転出先が不明となる、そして地域が古文書を所蔵していた家の存在を記憶していないという現象は、平井が現地調査で体験した地域の過疎化の厳しい現実と史料保存の難しさを浮き彫りにしている。
 平井のもう一点の重要な指摘は、資料散逸の多くの理由にある「所蔵者自身が所蔵する史料を読めないために、価値が分からず捨ててしまった」ということを、我々はどのように受け止めるかということである。誰も読むことができなくなった家伝史料は存在価値を失い、家人の日常意識の外に追い出されると、過疎化と相俟って資料の散逸に拍車がかかるという。この問題は、地域史料を保存しその価値を後世に伝える「人」と「技術」そのものが枯渇しているという事実を示しているともいえる。

橋詰  茂「過疎化地域の資料保存問題と地域史研究」
 過疎化の進む地域では、平成の大合併によりすべての面において高齢化現象が顕著に表れる。橋詰は香川県を事例として、そうした地方における資料保存のあり方、地域の資料保存機関の関わり方、地域史研究の活性化の必要性について述べている。
 過疎化の進む自治体では緊縮財政が続き、合併時には保存する施設がない、担当職員はいない、自治体による地域史料の所在状況の把握はできていない。過疎化は現地保存にも影響を与えている。地域の資料保存を担うことのできる民間の伝統的な組織が壊滅状態にあり、個人では資料を保存できない。その結果、現地での資料保存ではなく、県施設への寄託等による資料保存を強く求めることが多いという。各市町村ごとに存在した文化財担当者が合併により減員されたため、広域化した新自治体の文化行政全体をカバーできないという課題などは、市町村合併の弊害として従前から予想された話である。
 長年個人の努力によって保存・継承されてきた民間所在資料の保存について、社会情勢が大きく転換する中で、地域行政の資料保存への取り組みの重要性と責任を問う橋詰の指摘は重い。こうした厳しい状況だからこそ、過疎化にあえぐ地域において資料保存をどう推し進めるのか、限られた人材と収蔵スペースの中でその方法の再考・再編が急務とする提言は、今や全国的な課題であるといえる。

2.地域資料の保存と人材育成

 全史料協では、昨年の福島大会研修会E、関東部会第253回例会シンポジウム「地域の史料保存と人材育成」でこの問題を取り上げたが、史料保存整理事業の現場における最大の課題は、人材難・財政難・育成難から発する次代の地域資料の担い手がいないということである。地方史研究協議会は地方史研究・地域史研究の振興に関わる「地域資料の保存・活用を担う人材の育成」という問題を、どのように考えているのであろうか。

白井 哲哉「資料保存機関には地方史研究が必要である」
 白井の所論は、博物館・文書館・資料館は資料保存機関であるという社会的再認識の必要性を説き、資料保存機関の主役は専門職員であり、資料の専門職員には地方史研究が必要、だから資料保存機関には地方史研究が必要であるという回遊的な論法で、資料保存機関における専門職の再配置を訴えるという奇妙な専門職論である。
 白井は資料保存機関機能の弱体化の中で顕在化した「資料と研究の“タコツボ”に陥り、“自分の研究ばかり”する」一部の職員に対する評価に対して、地域資料に関する自らの専門研究こそ、豊かな利用者サービスを提供し得る専門職員の存在意義であり、ゆえに地方史研究は資料保存機関職員の本分であることを強調する。これはその通りだが、専門職員の専門領域は○○分野ですといって、例えば「近世しかやり(れ)ません」というのは、違う話であろう。専門職員に求められているのは、「研究」と自身が保持している知識と技術、経験をベースにして、(近接する)多様な専門分野に応用することでもあるはずだ。
 「この逆境下に、なお資料保存機関の仕事を志す若い世代の台頭は、私にとって励みである」と、現在の克服すべき課題について何らの手段を示すこともなく、高い立場から現場や専門職を目指す者を俯瞰する言い方には違和感がある。そもそも白井が展開している論は、過去20年来変わっていない「地方史研究」運動のオールドスタイルというべきものであり、今さらここに回帰したり、改めて強調する必要はあるまい。

福島 幸宏「『専門職』とはなにか」
 これに対して福島は、資格を軸に仕事と人生を保証する「専門職」は、日本では法的拘束力のない制度であるため現状では到達しないことを前提に、博物館・図書館・公文書館等関係社会で求められる「専門職像」を現段階の処方箋として提示している。専門職にはコミュニケーション力+コーディネート力と、専門職固有の専門性を守りつつも、専門分野に捉われずに広い視野を獲得し、成長する存在になることが求められる。例えば、地方や小規模公共団体であれば、専門の研究分野を持ちつつも、博物館のこともわかるし、図書館も公文書館のこともわかる、さらには市民活動にも参加できるというようなマルチな人材が有効であるということである。さらに福島は、(公文書館の場合)多くの職員が専門職の候補生・後備役であることが望ましく、多くの職員に少しでも触れてもらうことが、組織の中での「味方」を増やし、「専門職」の理解にもつながるという考えを提示している。
 すなわち、専門職予備軍や非常勤の専門職や次代を担う人材育成の問題は、かつてのような専門職獲得の理路や、そのための狭い分野の研究能力の精錬方法だけでは立ち行かなくなったということである。問題は、大学の育成・非常勤専門職員などの時期において、対象者が研究分野に関する広い視野と、地に足の着いた裏付けある基本的な技量をもとに、卓越した専門分野の研究を進める能力と、人と人を結びつける力を磨く方法を、一人ひとりがさまざまな社会の諸段階において身につけることができるか、ということであろう。

松下 正和「災害と歴史資料保全」
 大規模災害時における歴史資料保全活動に携わってきた松下は、地域資料の保存は、日常の資料保全活動が重要で、研究者が研究に必要な史料だけを保全するというスタンスでは、住民の理解は得られないという基本的な姿勢を示す。市町村合併や指定管理者制度の導入によって、博物館・資料館の機能縮小や文化財行政の退化、また地域コミュニティーの揺らぎによって、地域の歴史資料に携わる人々を現場から遠ざけているという実感は、過疎化にあえぐ地方の現状とも共通のものといえよう。
 ゆえに、地域資料の保全の問題を行政の責任のみに押し付けるのではなく、住民自らもあるべきコミュニティー像を積極的に模索し、地域社会の一員として歴史文化を考えるような気運を作るべく、地域の歴史資料の保全に携わる人々を大学・自治体等が全体として「地域連携」という形で支援に乗り出している姿が、松下らの現在の活動である。
 これは、地域社会の変容の転換点における地域史研究・地方史研究の目指すべき方向と方法のひとつであるが、具体的に何をどう地域に残し、地域で伝える存在(「人」)を育成していけるかが、今後問われる課題となる。

3.地方史研究の転換と振興の方法

 改めて再論する。平井・橋詰の論考から浮かび上がるのは、深刻な地域の過疎化の現状と資料保存の難しさの問題である。すなわち、平成の大合併と地域の過疎化の深化は、(所蔵者であっても)資料の面倒を見る人がいなくなっていることを示している。それは、史料を読んで理解し、価値を認識できる人が激減しているということ、さらに資料を守る立場にある地域行政の(専門)職員がいないということでもある。
 地方の史料保存・研究の現場では、近年地域における「歴史研究者層の希薄化」が表出している。それまで地域史研究を支えてきた教員等が高齢化等で研究の一線を引き、自治体史編纂の終了後も研究を継続する人の減少が顕著である。年齢など物理的な要因によって、地方で地方史の研究を続ける意義や、史料を後世に残していこうとする保存意識を保持し続けられるかどうかが、問われる時代となってしまった。
 橋詰は過疎化の進む地域の資料保存は、地域住民と地域資料館の連携が最も重要で、開かれた資料館、地域住民の協力体制という相互扶助を鮮明に打ち出すべきであるとする。そして、文化行政の後退に危機感をもった有志の研究会活動を例に、いまこそ地域史研究の活性化が求められているとする。これらは、地方における地域史料の保存と地域史研究における「自助」の方法であるといえよう。
 地域の歴史資料の保全に携わる人々全体を「地域連携」という形で支援しつつ、地域史研究を進め、その成果を還元しようとする松下らの取り組み。専門領域は深く広く、コミュニケーションとコーディネート力を備えて地域住民と共に考える姿勢を持ち、専門的でありながらマルチという福島が示した専門職像を図太くした人材を育成していくことも、地方・地域における資料保存・研究で求められている活動ではないだろうか。
 すなわち、ここにおいて地域史料の保存と地方史研究は、そこに携わる関係者が共同でその新たな地域資料の保存・活用に関する方法論を切り開くとともに、それを支える地方史・地域史研究の振興策を打ち出していく必要があると考えるのである。

 なお、太田 冨康「電子文書の保存と地方史研究」は、今後電子文書の定着・普及により歴史資料に「原本」は存在しなくなり、将来の歴史研究はすべてコピーで研究するようになる。原本を尊重してきた地方史研究は、「電子文書の史料論」ともいうべき、新たな資料批判・資料認識の方法を確立する必要があり、そのための整備の指針を示している。これからの公文書管理法施行下の社会では、新しい地方史研究分野の開拓、新しい地域資料の保存体制の方法を拡大しつつ、課題解決を目指さなければならないということであろう。
 そうした意味で本書のテーマ「歴史資料の保存と地方史研究」をいかに深め、新しい研究の方法や指針を提起していくことができるか、地方史研究協議会の今後の動向に期待したいと思う。

〔新潟市歴史博物館〕


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