三村泰臣著『中国地方民間神楽祭祀の研究』

評者:神田より子
「山岳修験」47(2011.3)

 本書は著者三村氏が、自身の生活圏である中国地方に視点を置き、荒神信仰を基盤とした神楽祭祀に焦点を当てて、民間神楽研究の再考をねらった力作である。全体の構成は神楽研究史を扱った序章、中国地方の神楽の特徴を描いた第一部「中国地方の民間神楽祭祀」、悪神を中心とする「荒神神楽」実演の目的と内容を検討した第二部「中国地方の荒神神楽祭祀」からなる。第一部第1章では今まで演劇性の強い神楽に関心があった事、第2章ではこれまで注目されなかった祭儀的・芸能的な要素の強い安芸十二神祇と「将軍舞」を、第3章では山代神楽と「山之神」を、第4章では芸予諸島の神楽と「三宝荒神御縄」を、第二部第5章では神がかりの芸態を残す将軍舞を軸に考察する。この考察から、当地方では善神より悪神を対象とする神楽の伝統があることを明らかにする。第5章では備後地方の荒神神楽における荒神の性格を示し、第6章の周防地方の荒神神楽祭祀では、その実状と基本構造を記述し、第7章は祭場構造を、第8章は祭式構造を、第9章では神がかりを考察する。そして中国地方の荒神神楽祭祀が、かつて悪神の死霊を浄化する「浄土神楽」と呼ばれ、死霊祭祀の場で行われてきたことを示し、その基本構造を第10章備後の浄土神楽で解明し、その核に浄土神楽を位置づけ、最後に日本の民間神楽の中に改めて位置づけた。以上の内容を具体的に見てゆくことにしよう。

 序章では、これまでの研究では、折口信夫による善神を対象にした神座鎮魂論の視点が根強く継承されてきた。その後本田安次らによって民間神楽の本格的な研究が始まった。中でも岩田勝『神楽源流考』(一九八三年)では、中国地方の神楽が神座鎮魂論では捉えきれず、悪霊強制の比重が高いことなどが分析されてきたが、その理由が普遍化されていない事を指摘した。そこで諏訪春雄が日中比較芸能史を提唱し、中国南方の「目連戯」の影響を論じた可能性に注目した。これらを踏まえ中国地方の民間神楽祭祀研究を概観し、岩田の前述の著作、石塚尊俊『西日本諸神楽の研究』(一九七九年)、牛尾三千夫『神楽と神がかり』(一九八五年)等により研究の幕が開いたことに言及した。これらを踏まえて、「安芸十二神祇」や「芸予諸島の神楽」に注目し、その神霊観だけではなく、神楽の本質理解(定義)のために、新しい研究視座が必要であるとした。

 これまで三村氏も含め神楽研究の新しい視点や分類の方法などを巡って、氏の指摘通り、新しい研究視座の必要性が議論されてきた。しかし本論の主題「悪霊鎮送」の理由を普遍化させることは可能だろうか。また神楽の新しい定義作りと「本質理解」とを括弧で括り、同義語のごとく述べているが、この両者は違うレベルの議論ではないか。神楽は地域と歴史と人間が作り出した文化の関係性の中で成立し変化もしている。それ故つねに動態的な研究の視座が必要となるのではないだろうか。この辺りの用語の使い方が気になった。では内容をくわしく見てゆくことにしよう。

 第1章では中国地方の民間神楽祭祀の性格を考察するため、広島県内と県境の神楽を概観する。当地では古くから荒神信仰が盛んで、神楽祭祀もこの信仰を基礎に展開したが、地域毎に歴史的な背景が異なることを踏まえ以下の5つに類型化した。@芸北神楽は歴史的に新しいが今最も人気の高い神楽で、中でも新作高田舞は神楽競演大会での主要な地位を占める。A安芸十二神祇の「荒平舞」と「将軍舞」は特別な価値があり、神楽本来の目的や形式の古さを留め、神楽研究の格好の材料である。B芸予神楽の中では名荷神楽に伝わる託宣行事、藁蛇を遊ばせる託宣舞、葬祭神楽などは価値が高い。C比婆荒神神楽の祭式は湯立行事や荒神迎えを行い比婆斎庭神楽と類似する。D備後神楽は中世から伝わる弓神楽や五行祭が当地方で異常な発達を遂げた。三村氏はこれら5つの類型を述べた上で、安芸十二神祇の「荒平舞」と「将軍舞」は特別な価値があるとし、それらの中に神楽本来の目的や形式の古さがあると指摘した。これらの指摘は分析に入る前に当然の事として語られている。これでは当初から結果が想定されているように読めてしまう。なぜそうなのかが見えてこない。

 第2章では「将軍舞」を伝える安芸十二神祇の特徴を提示する。この舞は弓を採って舞うもので、神楽の持つ神霊観が含蓄されているとする。そこで将軍舞の神がかりの姿を探るため、資料『正行本』を分析し、時代の変化と共に悪魔払いよりも「宝遊ビ」に重心が移り、「荒平舞詞」で唄われる「死繁昌の杖」が「代々繁昌の杖」と変化し、再生の要素が消え、豊饒との関わりのみになった。この過程を神歌の変化から探り出し跡づけた点は大変に興味深い。将軍舞でも『正行本』の神がかりは、悪魔の居場所を見つけ打ち払うためのもので、善神の託宣ではなく、悪神に関わる祭祀が特徴だとする。面白い分析ではあるが、ここでは三村氏の予測のみで述べられ、悪霊封じと断じた部分は、神歌や舞の詞章を示してほしかった。とくに中国地方の民間神楽は善神よりも悪神にかかわるもので、これまでの視点とは根本的に異なると強調するためには、資料を使って指摘することで説得力が増してくると思える。

 第3章は藁蛇を使って神がかる「山代神楽」の「山之神」の趣旨を明らかにする。これは式年祭で、最後に天大将軍が暴れ藁蛇をたたき落として神がかり、「山巻き」で終了する。「広兼家文書」によると、文久三年(一八六二)に麻疹の大流行で清めの湯立てが盛んに行われた。また天保八年(一八三七)に餓死者が出て、その変死霊を対象に「御清祓山まき」が行われた可能性を予測した。ここでも興味深い分析だが、神歌や神楽の詞章などの資料を欠いたままで結論に至っている。

 第4章は芸予諸島の瀬戸田町名荷神楽が、藁人形を遊ばせて神託舞を行う神楽に焦点を置き、「八注連竹之脩」と「妙見三神御神託」の背景に死霊供養の土壌があったことを踏まえ「三宝荒神宮御縄」を分析し、死霊を鎮送する目的で行われていたと結論する。

 第5章と第6章では備後地方と周防地方の荒神神楽祭祀を取り上げ、この地域を「荒神信仰ベルト」と呼び、安芸十二神祇の「将軍舞」を通して、荒神祭祀の基本構造を明らかにする。荒神は墓地、死者霊との関係が深く、荒神祭祀は血縁、同族からなる「名」と呼ばれる同族組織が担ってきたことから、この祭祀が死霊にかかわる可能性を指摘し、基本
となる構成要素を祭場と祭式に区分し、その内容や目的の解明を目指す。

 第7章は荒神神楽祭祀の祭場は神殿と呼ぶ仮設の宗教建築物と、天蓋と幡からなり、第5章の成果から死霊祭祀であると予想した。また庄原市東城町栃木家文書から十七世紀には大規模な建造物や舞台装置が墓所に建築されていたこと、人間や自然の穢れを清める装置だったこと、地獄に苦しむ死霊を現世に連れ戻し、それを浄土に舞浮かべるための神楽を行う建築物だったと想定し、かつて「浄土神楽」の名称だったことを指摘した。天蓋は擬死再生とかかわる浄土入りの道具で、白布は死者との血縁を切り、藁蛇は死霊の表象で、これらを死霊祭祀の装置とし、荒神神楽は「生と死の思想を秘めた神楽」とした。

 第8章は祭式構造の湯立行事と五行祭を中心に分析する。周防神舞の湯立行事は十八世紀の資料から、悪魔祓いと招福が目的だったとした。その上でこの湯立行事は三信遠や保呂羽山の霜月神楽と土壌を共通する思想があるとし、死霊供養を目的としていたと考えるに至る。次は五行祭の考察で、備後地方における土公神を祭る「五行祭々文」の語りでは陰陽五行説を提示し、兄弟同士の結束を促す内容だが、五行祭の第一場の表現こそ荒神神楽が死霊供養の神楽であったことを語る証拠物であるとする。気になったのは、湯立行事での祈願や祝詞の内容が引用されていないことである。死者供養についても、近世初期の書写本などについても死者供養の文言についての言及がない。さらに東北地方の湯立行事は死者供養のために行われていたとの推論から、前記の結論を導き出した。五行祭における祭文も雄大な叙事詩の第一場のみを取りだして、これこそ神楽に集まった人々を死の世界に誘う役割だという。これでははじめに「生と死の思想を秘めた神楽」との結論ありきと読めてしまう。

 第9章では神がかりに言及し、悪霊鎮送と死霊供養の要素があると推論し、荒神神楽の特徴は、前と後神楽の二つの場面で神がかりがあり、順逆の舞と王子舞が必要不可欠であるとする。それを探るため、岩田勝が「招迎と鎮送」(『神楽源流考』名著出版 一九八三)と解釈し、牛尾三千夫が「祖霊加入の儀式」(『神楽と神がかり』名著出版 一九八五)と捉えたことを踏まえて、次章で三村氏自身の議論へと進める。

 第10章では慶長十三年(一六〇八)の記録で「浄土神楽」と呼ばれていたものが、吉田神道の影響下で「惣荒神神楽」と改称されたので、近世期の資料から「浄土神楽」を再構成する。まず看経舞では善神(死霊や祖霊)を湯立てと能舞で清め、王子舞と「御蓋引」で神がかりして善神を浄土へ送った。「荒神遊び」では藁蛇を神殿に入れる神渡、神遊び、山納で将軍舞を舞い、荒神や諸悪神を地中に鎮めた。ここは第2章を踏まえた記述だが、2章の分析は三村氏の推測であり、荒神は祟り霊の性格をもつ悪神だとするのは、推測の上に推測を重ねているとしか読むことができない。ここでの議論は浄土神楽の基本構造を再構成するとの意図であった。しかし祭場や儀礼の構造は見えてきたが、神がかりが善神の託宣や神意を得ることではなく、悪霊封じのための神がかりであると断じた部分は、神歌や舞の詞章などを示してそれを踏まえて分析してほしかった。

 終章では中国地方の民間神楽祭祀は、質量共に優れテンポが速く鬼や大蛇などの悪鬼退治が際だって多いことが特徴であるとした。その理由として、悪神を鎮送する伝統や、神がかりが多く、神々の勧請より生や死とつながる天蓋の下で行われ、死霊供養に不可欠の白布で神がかりをし、死霊供養と関わる藁蛇を上げる。これらの神楽は浄土神楽と称した時期もあり、それ故「生と死の思想を秘めた神楽」であって、日本の神楽の原点と位置づけることができると結ぶ。

 大変に意欲的な著作で、精力的にフィールドワークを行い、長年かかって分析した論文の集大成で、同じ研究者としてその成果に敬意を表したい。それでも読み終わった後で残る欲求不満は何なのか。本書の研究の中心は神観念や死霊観の分析にあり、中国地方の荒神神楽祭祀は「生と死の思想を秘めた神楽」とある通り、神楽の中で演じられてきた思想の解釈である。それならば祭場や祭式の分析と共に、祭文や神歌や、神楽の詞章の分析を通して表現してほしかった。それ無しには岩田勝や牛尾三千夫の論考への反論もすとんと胸に落ちてこない。ぜひとも続編を望みたい。


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